1.靴をお舐めなさい
私の今生の名前はラウラ・フォン・ミハエル。
周りからは単純に略して「ララ」と呼ばれていて、所謂転生悪役令嬢をやっている。
ところで読者諸君は、イケメンに靴を舐められたことはあるだろうか。
私は今、絶賛お気に入りの革靴をビチョビチョにされている。
「もご……ペロッ、クチャ…」
今私の革靴をどろっどろの涎で汚しているのは婚約者のアデル・フォン・シュヴァルツマン。
悪役令嬢モノでいうところの最初の婚約者だった。ご多分に漏れず所謂皇太子殿下、要は王子様だ。
「ララ……いつまで俺は靴を舐め続ければいいんだ?」
「喋っていいなんていつ言いましたか?私はいつでも婚約破棄していいんですよ?」
「っ!すまない……!以後気をつける」
……ピチャ。
折角正気に戻りかけたのに、アデルはすぐに靴なめに戻ってしまった。この王子にプライドの四文字はないのか。
革靴越しの生暖かくて柔らかい感触。国の王子様の肉厚ジューシーな舌の感覚。
成人向け指定されていない作品のはずなのに、部屋の中に漂う雰囲気はまさに淫靡。顔を赤らめてだらしなく口を開ける姿はどう考えてもアウトだ。
180cmはあるだろう長身を団子虫のように卑屈に折り曲げて、私の足を宝物のように抱えている。美しい黒い短髪がほんのり汗で蒸気して、多分漫画だったら「ムワッ」と効果音が出ているだろう。切れ長の、やや目つきが悪いとも言える青い瞳が潤んで、今にも涙が溢れそうになっていた。
そして何よりもの問題は、こんなにエッチなSM靴舐めシーンなのに、私が一切興奮できていないことだった。
これは、これは、私の性癖ではない!!
「アダ、いい加減惨めな気持ちになりませんか?」
「全く」
「一国の王子としての威厳は……」
「そんなものお前の存在に比べれば何の価値もない」
「では今日も婚約破棄は……」
「一生するつもりはない」
今日もいつも通りのやりとり。
不適な笑みを浮かべる婚約者を見て、私は心底育て方を間違えたと思った。
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「許せねない!!許していいはずない!イケメンはフってこそ花!惨めなほど美しさが増すんだろうが!」
私、吉岡 永久恋愛は、ベッドの上にスマホをぶん投げてそう叫んだ。
「公式と解釈違い」ほど悲しいオタク仕草もないだろうが、今の私はまさしくそんな状況だった。
皆さんは「負の性欲」を知っているだろうか。
自分を口説こうとする異性に対して「生理的に無理」と言い放ったり、コテンパンに振った後に女友達に「その男が如何に受け付けなかったか」を意気揚々と語ったりするのが気持ち良い!みたいな歪んだ感情のことを指すネットスラングらしい。
科学的には立証されていないらしいが、私は負の性欲は絶対に存在すると思っている。
なぜなら私自身が、そんな負の性欲がビンビンに強い女だからだ。
求められたいし、それを無碍にして優位に立った気持ちになりたい!みたいな感情がゼロとは言わない。
でも、それよりもっと単純な話で、「悔しがる男」「可哀想な男」「自業自得な男」がとにかくストレートに「性癖」なのだ。
現金な話かもしれないが、振る相手が残念イケメンとかだったりしたら更に最高。
顔は良くて色々優秀だけど性格が最悪で男尊女卑バチバチな男がパキっと振られるの、とにかくエロい。「自分が世界で一番正しい」って思っている男が恋愛的に折られる瞬間はまさしくセクシー。
と言っても、残念ながら私はモテる女ではなかった。
娘の名前に「恋愛」とかいうド直球キラキラ文字列を連ねた母親は既に交通事故で他界済み。馬鹿みたいにポジティブで明るい母親にベタ惚れだった父親は、元々根暗だったのに拍車がかかって半ば廃人みたいになってしまった。
そんな父親に表面的な性格の影響を受けまくってしまった、あるいは根暗な性格がそもそも遺伝していた私は、振るためのイケメンどころか、振ったことを話すための女友達すらいない陰キャとして高校生活を過ごしていた。中学まで友達はいたのだが、様々な事情で離散して今に至る。
そんな私の癒しは悪役令嬢系の小説及び漫画だ。
こちらからの婚約破棄はもちろん最高だし、向こうからの婚約破棄を経て、「やっぱりお前しかいない!」と縋ってきたところをピシャリと拒絶する様なんてもう垂涎モノだ。
……と思っていたのに。
ずっと追っていた悪役令嬢小説「モラハラ婚約者が今更縋ってももう遅い〜私は一人で生きていけますが〜」の最終回で、ずっと拒絶し続けていた元婚約者のイケメン王子と主人公が、結局元鞘に収まってしまったのだ。こんな勿体ないことがあってたまるか!
「許されるはずがないだろこんなの!私の可哀想なアダを返してほしい!」
ここでちょっと前の文に戻る。
「元鞘」「復縁」。私の一番嫌いな言葉。イケメンの失恋という最高級食材をもって作られるドブ料理。
優秀だが冷酷無比で主人公のことを顧みなかったモラハラ王子・アデルが、性悪女に騙されたことに気がつき、実は論理的で気高かった主人公の大切さに気がついて復縁を迫ってきたのは本当に良かった。
何度も懇願してくる王子をすげなく拒絶する主人公に惚れ惚れとしていた。最後の方に泣き顔でぐちゃぐちゃになった王子の描写で半ばエクスタシーに入りかけたのに、まさかヨリを戻すなんて。
もし私が主人公だったら、絶対にこんな勿体ないことしないのに!
投げ捨てたスマホも放っておいて、茫然と天井を見つめる。目を瞑って、良かった頃の「モラ今(上記作品略称)」に想いを馳せた。
そしてこれが一ヶ月前の出来事だった。
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ここからは皆さんご存知、異世界転生だ。
心を病んだ父親からの無理心中、避ける術もなくそのナイフを腹で受けたら、気がついたら「モラ今」の世界に転生していた。
時間軸は幼少期。しめたと思った。
後の王子の後悔が大きくなるように、彼から見て影が薄い&国や誰かのためになるような、誠実な行動を心がける。
ストーリーの強制力を以って相手が「ヒロイン」に吸い寄せられたら、私の方から婚約破棄を申し出る。その後どんなに縋られてもヨリを戻さない。
因果応報の嘆きに呑まれた王子がぐっちゃぐちゃの顔になるのを、ワイン片手に楽しむつもりだった。
それなのに。
私が読み飛ばしていたとある設定、この世界の"ルール"が「モラ今」にはあった。
---甲が乙に婚約破棄を請求した場合、健康に害がない範囲で、甲は乙に『要求』をすることができる。乙がそれを叶え続ける限りは、婚約破棄が「できない」---
つまり、アデルが私の「要求」を呑み続ける限り、婚約破棄はできない。
婚約破棄に特化したルールすぎるだろ!!!
そして、この世界のもう一つのクソったれルール。
---婚約破棄が成立しない場合、甲は乙に求められれば愛を囁き続けなければいけない---
「ララ……、ん、愛している……」
「…………。わ、私も、あ、あ、あ、愛して、います……」
王子が唾液をすする部屋に私の愛の言葉(嘘っぱち)が響く。悔しさと口惜しさで涙が出そう。
この物語は、どういうわけか全く婚約破棄に応じるつもりのない王子と、どうにかして振って快楽を得たい私の、攻防の物語である。
お気に召したら評価よろしくお願いします!