第三話 砂の城
本当の私のことを知らないからこその優しさだったのだとしても、私はその優しさに確かに救われていた。
たとえそれが、全てを知ってしまったら崩れてしまう砂の城だとしても…
「おっはよー、依音。昨日は大変だったみたいだね」
「おはよう、暁。彼らにとっては迷惑だったみたいだけどね…」
次の日の朝、学校に訪れた私に対して、私とは正反対と言えるくらい明るい性格をしている友人の八嶋 暁は、昨日の出来事で少し落ち込んでいた私を慰めるかのような明るい態度でいつも通りに私に挨拶をしてくれた。
華音とは違うさり気無い優しさが、とても心地よかった。
「まあ、依音が気にすることないよ。例え彼らが依音の優しさを知らなくても、あたしがわかってるよ」
「…ありがとう」
本当にありがとう。何も知らないからこその言葉だとしても、例えその行為が私を陥れるための嘘偽りだとしても、私は一時の安らぎの場所を与えてくれる暁に感謝している。
例え暁が私の本当の姿を知って、暁が彼らのように私を拒絶したとしても…
「ねえ、暁」
「ん?どうかした、依音?」
だからいつか終わりが訪れる前に、私は貴女に伝えよう。
彼らには決して届かなかった私の心からの想いを、嘘偽りのない言葉に乗せて。
「大好きだよ、暁」
「い…いきなり何言ってんの!あたしのか弱い心臓を不意打ちで驚かさないでよ!」
素直で明るい暁は私の突然の言葉に、これ以上ないくらい赤い顔をして私を見返した。
久しぶりに触れた安らぎは、私にほんの少しだけだとしても笑顔を取り戻させてくれるものだった。
「ほら、もう少しで他の生徒たちも登校してくるよ」
「む~、一体誰のせいで驚いたと思ってるんだー!」
私の言葉と態度に呆然としながら固まっていた暁に対して、私は叫ぶ暁を横目に私とは離れた場所にある暁の席を指差しながら席についた方がいいと暁を促した。
いつも遅刻してくる暁が、私を慰めてくれるために誰もいない教室で待っていてくれたという事実に感謝の気持ちを込めながら。
きっかけが何だったのかなど、もはや憶えてなどいない。
最もきっかけなど何もなく、ただ積み重なった真実にいつの日か耐え切れなくなっただけなのかもしれないけれど。
「もう嫌!どうしてこんな化け物を育てなくちゃいけないの!」
「…お…母さん?」
今までは微かに震える手で、それでも僅かな優しさを込めて私に触れてくれたお母さんが、突然叫び声を上げると汚らわしいというがごとく私が差し出した手を叩き落とした。
何がなんだかわからなかったけれど、そのときの私に唯一わかったのは、もう二度と彼女は私に手を差し伸べてくれないのだという真実だけだった。
「貴女みたいな化け物に、お母さんなんて呼ばれたくないわ!私の子供は華音ただ一人だけよ!」
振り解かれた手を信じたくなくて、聞こえてくる全てを否定したくて、優しかったお母さんを失いたくなくて私はもう一度だけお母さんを見上げたが、お母さんから返ってきた言葉は私が望むものではなかった。
「お…母…さん…」
「占いなど信じていなかった!だから今まで全てを偽り、貴女なんかを愛している振りをしたけれど、もう嫌!」
最後の希望を賭けてお母さんに声をかけたけれど、もはやお母さんに私の声は届かなくて貴女なんか生むんじゃなかったと叫び続ける姿を、私は留まることを知らない涙を流しながら眺めていた。
私たち双子が生まれる前に父と母が有名な占い師に予言された言葉。
『汝らはいつの日か悪魔の子を産むだろう。何よりも気高く、何よりも誇り高い、恐ろしいほどに美しい悪魔を…』
最初は誰も信じていなかった、老婆の予言。
けれど―――
『お母さん、悪魔の子って何?』
まだ幼くて何も知らなかった小さい頃の私は、触れた人の心の音を読むことが出来るということにさしたる疑問を持っていなかったために、いつだって両親に触れるたびに聞こえてくる『悪魔の子』という言葉が気になって、無邪気に母に尋ねていた。
『なっ…依音、どこでその言葉を聞いたの?』
『?お父さんとお母さんに触れると、自然に聞こえてくるよ?悪魔の子という予言が外れてくれればいいのにって』
その頃までの私は、普段から当たり前のように聞こえてくる音が普通で不思議にすら思っていなかったから、その事実を母に告げることがどれほど危険なことか何もわかっていなかった。
『…そう、依音だったの。依音、悪魔の子というのは貴女のこと。恐ろしく醜い、化け物のことよ』
自然に聞こえてきた言葉を口に出して伝えるたびに、だんだんと表情を失くしていくお母さんを不思議に思いながらも、しばらくして呟く母の言葉に私は犯してはならない過ちを犯したことに気づいた。
接触感応能力…触れたものの心や想い…記憶を読み取ってしまう能力。それが、生まれたときから私が当たり前のように持っていた能力。
家族から与えられるはずだった全ての愛情を、私から奪った悲しい才能―――
「貴女なんか、生まれなければよかったのにね」
その言葉が、母が私にくれた最後の偽りの愛情。
そして、まるで糸が解れるかのように脆く消えてしまった、私の幸せだった最後の日常を表した言葉だった。
いつだってふれる現実は残酷で、いつしか私は何も知らなかった頃の無邪気だった私に戻れなくなっていた。
だからこそ、感情を隠して生きていくことだけが、私がこの過酷な世界を生き貫くための唯一の手段だった。
「本当にごめん、葛葉さん。どうしても今日は用事があるの!」
《こんな時にしか使えないんだから、そのくらいはやってくれないと困るのよ》
放課後の教室で、今まさに帰ろうとした私を引き止めた声に私は人知れず溜め息をついた。
ごめんなさいと私に謝る態度とは裏腹に、聞こえてくる心の音は冷たいもので、私は押し付けられた週番としての仕事内容を確認しながらクラスメートの頼みを承諾した。
「ありがとう、葛葉さん!今度、何かお礼をするね」
《まあ、貴女がやるのが当然でしょう。何で私が貴女なんかに感謝しなくちゃならないのよ!》
感謝の気持ちを込めるためか、先ほどまで肩に触れていた手で私の手を握り締めながら笑顔でお礼を言うクラスメートに、私は表情を変えることなく彼女を見ていた。
日常となった、建前と本音の声にほんの少しだけ傷つきながら。
「別に気にしなくていい。それよりも用事があるんなら早く帰った方がいいよ」
「ごめんね、葛葉さん。それじゃあ私、急いで帰るね!」
《馬鹿な葛葉。自分が騙されてるとも知らないで。まあせいぜい、何も知らないことに傷つけばいいわ》
私の冷たいとも取れる態度に、自分が悪いのだからという表情をしながらも影では私を馬鹿にして彼女は私の前から去って行った。
誰もいない教室…誰にも侵略されることのない静かな空間の中、私は彼女の言葉を考えていた。
「…私は、これぐらいのことで傷ついたりなんかしないよ」
きっと、彼女達は知らない。
騙されているのが私ではなく、自分達であるということを。もうこれ以上ないくらいに私の心は壊れ果てていて、もはや傷つく隙間すらないという現状を…
「もう、ほんの僅かの希望を持つことすらも諦めているのだから…」
日に日に強くなっていくこの能力のおかげで、人の中の暗闇を知った。
知れば知るほどに、それに対応して感情を失っていった。
「私は何も望まない、願わない。信じることさえ無意味だと知ってしまったから」
だから私は、あえてみんなが望む道化を演じ続けよう。
自分が決して得ることなど出来ない幸せを彼らに託すためだけに、私はこの命尽き果てるまで彼らを騙し続けよう。
「例えこの心が砕け散ったとしても―――」
彼らに幸せを…いつしかそれだけが私の願いになった。化け物である私が、化け物ではないと否定したい思いからの醜い感情からなのだとしても、それだけが私の存在理由。
「偽りの世界の中で、偽りの願いを―――」
いつか壊れてしまうかもしれない、儚い砂の城。
けれど、例え姿形なくしても形として残らなくても、私は砂の城があったのだということを、決して忘れたりはしない。
忘れることなんか、出来ない―――
『化け物』と称される主人公の異能な力の説明の話です。
ちなみに、《 》になっている文章が、主人公にのみ聞こえている心の声です。




