『風の行方』 第三話 生まれてきた意味
大切な人達を守るために生きた一人の少女の生き様を、青年は美しいと感じ、少女は尊いと感じ、幼き少女は悲しいと感じた。
そして、彼女を助けることが出来なかった自分を彼らは責めていた。
「…依音、約束を破ってすまない。それでも俺は、お前を救いたかった―――」
依音がいる部屋まで案内してきた和臣は、依音の姿を見るなりひとすじの涙を流しながら依音に謝った。
自分の行為を依音が決して望んではいないとわかっているが故の謝罪だった。
「…どうして、和臣は依音を恐れない?」
和臣の頼みが依音に会って欲しいことだとわかった蓮と皐月、華音そして樹の四人は依音に会うことを拒否したが、どうしても会って欲しいと願う和臣に負けて病院から立ち去ることはなかった。
けれども、そうしてそこまで自分達を依音と会わせたがるのかわからず、依音の元に訪れるなり蓮は和臣に尋ねていた。
「彼女は、巴を…玲亜を救ってくれた。事故で視力すらも失い生きることを諦めていた巴と母親の温もりを知らなかった玲亜を助けてくれた」
貴方達が忌み嫌うその能力で、一歩間違えれば多くのものを失ってしまうかもしれない状況の中で、彼女は二人に笑顔を取り戻してくれたと和臣は伝えた。
「ねえ、お父さん。どうして依音お姉ちゃんはこんな所で寝てるの?」
「駄目だよ、玲亜ちゃん。依音は…」
和臣の説明に驚いている四人の存在を無視して、どうして依音がここにいるのかと尋ねる玲亜に気づいた暁は、依音の側に駆け寄ろうとした玲亜の身体を抱きしめながら押さえつけた。
玲亜が苦しまないように、悲しまないように、そして自分の心を繋ぎ止めるために。
「暁お姉ちゃん、どうしたの?」
依音の側に行こうとした自分を抱きしめる暁に、玲亜は何があったのかと不思議そうに暁を見上げた。
その行為に対して泣きながら語る暁の言葉に、暁に尋ねた玲亜はおろか和臣以外の誰もが絶句した。
「依音はもう泣くことはないの、悲しむことはないの。もう二度と、目を覚ますことはないの…依音は昨日、息を引き取ったの…」
「嘘だ!俺は昨日、こいつに会ったんだぞ!」
泣きながら依音は昨日息を引き取ったと告げる暁に、そんなはずはないと最後に依音と出会った樹は叫んでいた。
ふざけた冗談は止めて欲しいと樹は暁の腕を掴んでいた。
「依音はさ、私達を想って最後の最後まで九条おじさん以外に病気のこと秘密にしてたんだって」
暁もまた和臣に説明されて今日知った真実。
半年前からもう助かる見込みがないほどに進行していた依音の病気と余命半年と宣言されていた病状を、自分の腕を掴んでいる樹の手を振り払うことすら忘れて暁は説明した。
「どうして和臣君は、私達にそのことを教えてくれなかったんですか?」
「…依音が願ったからです。最初で最後の我がままを叶えて欲しいと願ったから」
第一、依音の病気を伝えて貴方方は依音を救うことが出来ましたかと、声を震わせながら尋ねてきた皐月に対して和臣は逆に問いかけた。
教えたところで依音のことを心配するどころか逆に喜んだのではないかと、いつか依音が言っていたことを和臣は彼らに尋ねていた。
「依音は見せかけだけの同情は要らないと言っていました。死ぬことよりも拒絶されることの方が怖いと…」
自分はもう泣くことすら出来ないと悲しく微笑む依音を見てしまったら、伝えることなど出来はしないと和臣は今まで黙っていた理由を彼らに教えた。
それほどまでに依音は、貴方方に拒絶されたことを苦しんでいたのだということを知っていましたかということを含めて伝えた。
「依音ちゃんは、私達を恐れてたの?」
「ねえ、知ってた?依音は自分から人に触ったりしたことなんかないってこと。貴方達のためだけに道化を演じてたってこと」
和臣の説明に信じられないと呟いた華音の声を聞いた暁は、依音を見ようともしなかった貴方達が、依音の何を知っていたと冷たい笑顔で笑いかけた。
「貴方達はさ、依音を人の心を見通す化け物だと言っていたけれど、依音は何よりも人に触れることを恐れていたよ」
「嘘だ!あいつにそんな感情があるわけない!」
自分達のことは冷たい目で見るくせに、依音のことを話す時は悲しい顔をしながらも穏やかに話す暁に、今まで信じていたものを否定するのが怖くて樹は叫んでいた。
「何も見ようとすらしなかったくせに!」
「貴方達がそんな風に依音を認識していたから、依音は貴方達が望むがままに演じていたにすぎない…」
馬鹿馬鹿しいと依音を否定する樹に対して泣き叫ぶ暁の声に重ねて、和臣は怒りを必死に抑えながら淡々とした声で伝えた。
依音のあるべき姿を見ようともせず、化け物であることを強制した彼らに、依音の悲しいまでの優しさの一欠けらでも理解しようと思ったことがあるのかと、和臣は無意識に固く拳を握り締めていた。
「依音お姉ちゃんは優しかったよ。あたしがお姉ちゃんをお母さんの身代わりにしているってわかってたのに、いつだってあたしに笑いかけてくれたよ」
自分を置き去りにして言い争っている人達の中で、依音の死を信じられなくてただ一人依音の側に近寄っていた玲亜は、人形の様に冷たい依音の手を握り締めて泣いていた。
病室に入る前までの玲亜と違って、ただ小さく呟くように語りながら依音の心を繋ぎ止めるかのように泣きながら依音の手を抱きしめていた。
「ねえ、お父さん。依音お姉ちゃんは苦しむために生まれてきたの?悲しむために生まれてきたの?人は幸せになるために生まれてくるんじゃないの?」
医者の娘として、小さい頃から人の死が間近にあった玲亜は、死というものが何なのか幼い頃から聞かされていた。そして、それと同時に生きるということの尊さも。
だからこそ、自分達にでさえ苦しみを悲しみを隠し通してきた依音の姿に、玲亜は泣き続けながら和臣にどうしてと叫んでいた。
「…玲亜。依音は例え嘘偽りでも自分を受け入れてくれたことに感謝していると言っていた。自分なんかを受け入れてくれて幸せだったと」
「あたし達に出会えて、私は幸せだったと…一昨日、依音に最後に会った時に言われたよ。玲亜ちゃんにも伝えて欲しいってね」
玲亜の叫びに依音から頼まれていた伝言…いや、遺言を和臣と暁は玲亜に穏やかに微笑みながら伝えた。
「自分の代わりに幸せになってくれたら、それだけで救われると」
泣いて欲しくなんかないから伝えなかったのだと、終わりを告げるその時まで笑って欲しいから告げなかったのだと言う和臣の言葉に、玲亜と共に依音の死を今日知らされたばかりの暁も驚きながら聞いていた。
「お姉ちゃん…」
「…依音は、優しすぎるよ。悲しいほどに―――」
和臣の言葉に、玲亜はさらに力を込めてもう二度と握り返してはくれない依音の手を握り締め、暁は依音の行為に泣きながら依音の顔をずっと見ていた。
そして、華音と樹、蓮、皐月の四人はそんな二人の姿に、信じられないとただ茫然としながら立っていた。
和臣が投げかけた運命の選択。
記された真実の中で彼らは何を選び取るのかと、無意識に固く握り締めていたせいで血が流れていた手を見ながら和臣は思っていた。
出来るならば、依音に安らかなる幸せを…と願いながら―――