おもかる石(三十と一夜の短篇第74回)
「先月同窓会で会ったばかりなのに、また東京からこっちに来るなんて、どうしたんだい?」
「特に理由なんかないさ。同窓会だけじゃ物足りなくなって、また故郷に戻ってこうしてお前と二人で会って話したくなったんだよ」
「そう言われると悪い気がしない。
年を取った所為なんだろうなあ。洟垂れの頃からの付き合いで二人でワルを気取って回って、そのうち進路が分かれて、俺は地元に残り、お前は東京に進学して、就職。それなりに一生懸命働いて、生きてきたじゃないか。
はは、昔を懐かしむなんてジジイのすることだと思っていたが、もうそれが似合いのおっさんになっちまったかねえ」
「お前の所の子どもはもう独立したんだろう?」
「ああ、娘も息子も就職して、結婚して、こっちには寄り付きもしない。便りがないのが元気な証拠っていうがね、女房に先立たれて寂しいものさ。お独り様のリタイヤ後を計画しつつ、あくせくまだお勤めだ。
お前は結婚しないまま、東京で優雅に独身貴族。あちらじゃ世帯を持たないでも便利にできているんだろう?」
「ああ。だが、なんでも代価が必要だし、優雅なんて程遠い。東京で就職した翌年に両親とも交通事故で死んでしまったし、きょうだいもいないから、根無し草さ」
「俺は根無し草が羨ましかったよ。親父の建築会社を継げだのなんだの、息苦しかった」
「就職に苦労しなかったのは正直羨ましかったぞ」
「はん、それにしたって、取引会社で丁稚奉公、親父に恥をかかせられない、実績を積めとコネ入社は居心地悪かった」
「今じゃ社長で地元の名士だ。充分恵まれているじゃないか」
「さあ? 子どもたちみたいに後継ぎなんて時代錯誤と親父に反抗できればよかったと、思うこともある。違う人生を選ぶこともできたって」
「……。お前は多賀ちゃんと一緒になれたじゃないか」
「ああ、多賀子」
「多賀ちゃんがお前と結婚すると聞かされた時は驚いた」
「二人とも多賀子に惚れてて、高校時代は何もできなかったが、お前が就職で東京から戻ってきそうもない、おまけに多賀子に何も言ってないとなれば、俺だってじっとしてられなかった。それにあの頃の女には結婚適齢期と世間の目があった。仲人口を聞くお節介に連れて行かれたらかなわない」
「お前を責めているんじゃない。何もできなかった俺が悪い、それは判っている。お前と俺の仲じゃないか」
「ああ」
「多賀ちゃんがお前を選んだんだろう?」
「ああ。だが多賀子には苦労をかけた。多賀子……」
「建設会社の跡取り息子と結婚したんだ。多少の苦労は判ってただろう?」
「ああ……。もう言ってくれるな」
「済まん。
それはそうと、お前、覚えているか? ここの神社のおもかる石。高校時代、ここにお参りに来て、持ち上げてみただろう?」
「そんなこともあったか?」
「あったんだ。お互い、賽銭を上げて、願い事を祈って、神社の石を持ち上げた。持ち上げた石が重ければ願いは叶わず、軽ければ叶う。
俺は重くて落としそうになったが、お前は軽い軽いと持ち上げた」
「そうだったか? 覚えていない。
おもかるの石ってここだけじゃなく、全国あちこちにあるらしいじゃないか」
「そうらしい。京都の伏見稲荷が有名だって話だ」
「ふふん、縁起を担ぐというか、判断をほかに委ねたくなるのは、人間、ありがちだからな。
石は一つ、重さは変わらない。変わるのは願い事をする人間の方。気力体力が充ちていれば軽い、気持ちが上向きなら重さをモノともしない、だから叶う。そうでなければ、重い。
人の心を上手く使った迷信だ」
「迷信でも何でもいいさ。俺の願いは石が重かった通り、叶わなかった」
「難関大学を出て、東京の霞が関で働いているお前が何を言う?」
「あの時俺は多賀ちゃんと結婚したいと願って石を持ったんだ」
「お前、それで多賀子を諦めたのか?」
「いや、好きなんて感情は簡単に諦められるはずがない。ただ告白する勇気がなくなったなあ。せめていい所に就職して、恰好付けられるようになってからにしようと思った。
そんなことしているうちに、お前が多賀ちゃんと一緒になった」
「参ったな……」
「いや、お前だって多賀ちゃんが好きだったんだから、いいんだ。多賀ちゃんがそれで仕合せだったんなら、それで良かったんだ」
「多賀子はお前の好意に気付いていた」
「そうか」
「だが何も言ってくれないし、東京に行ったきり音沙汰がないから自惚れだったかと、俺に言ったよ」
「多賀ちゃんが仕合せだったなら……、だが同窓会で多賀ちゃんが苦労の末に心を病んで、早くに亡くなった、その詳しい話を教えられた。
お前は多賀ちゃんを妻にして、それで満足してしまったんだ。まるで欲しがっていた玩具を手にした途端飽きて投げ出した子どもみたいに、家庭を顧みなかった。舅姑の介護が必要になっても、外部の手を借りるのを嫌がり、多賀ちゃん一人に押し付けた」
「あれは……、親父もお袋も施設に入るのも他所の人間に世話されるのも嫌だと言い張ったからで、それは多賀子も納得していた!」
「お前が父親に逆らえなかったからだろう! 自分の親のことなのに、任せきり、多賀ちゃんがやつれ果てても見て見ぬ振りをし続けた! 反抗期の子どもに手を焼くのにも、耳を貸さなかった!」
「俺には仕事があるし、子どもたちは多賀子に懐いていたから、任せていたんだ!」
「舅姑の介護をしながらだぞ! それに男の子のやんちゃなら父親が男の手本を示してやるべきじゃないか! それをすべて多賀ちゃんにやらせて、お前が子どもたちにきちんと対してこないから、懐かず、父親の仕事への尊敬も抱かないのは当然じゃないか。
多賀ちゃんは、家業を継ぐとか考えなくていい、家に閉じ込められる私みたいになるなと子どもたちに言っていたそうだ」
「なんだって!」
「多賀ちゃんはお前と結婚して仕合せじゃなかったんだ。社長夫人なんて名ばかりで、お前の家に縛り付けられていたんだ!」
「なんてことを……」
「俺はお前を許せない」
「おい、いきなり突き飛ばすな!」
「多賀ちゃん、なんでお前なんかに」
「止めろ!」
「そうだな、神社のおもかる石を使ったら罰が当たるな。おあつらえ向きの石ならここにいくらでもある。
夜になれば人気のないこの場所で会おうと言った意味だって、判るだろう?
大きな石だが、軽々持ち上げられる。ちっとも重くない」
「助けてくれ!」
「お前は多賀ちゃんの言うことを聞いてやったか!」
大きな音が響いた後、残るのは闇と静けさ。