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「勝手ながら、状況の変化を理由に、お父さまの御遺命を、ここに破棄します。レガーリア王家に、跡取りが生まれ次第、あなたには本来の名を取り戻し、市民としての暮らしを用意すると約束していましたが、かなわなくなったのです」
「……エリシアさま……」
ロクサーナ姫は、躊躇せずに深々と一礼する。
「王族として生まれた者の役目だと、わきまえております。……妃役、謹んでお受けいたします」
いずれ市井に下って過ごす、一青年として平凡な……けれど、偽りない、あるがままのエイレイティアとしての生活。
それを夢見て、これまでの人生はあった。
けれど、反論の意味もないほど納得の成り行きで反古された以上、もはや全ては幻だ。
その日が来たら、トーリアスの手を取る道もあっただろうが、当然かなうまい。
エリシア王女の帰国以後、熱烈な求愛を重ねてくれる彼に心を動かされ、背負う責務を終えた後になってもなお、同じ愛情を捧げられるなら……と、描いていた展望が虚しい。
けれど、ロクサーナ姫は、王族だ。
先の王太子の嫡子として、本来、国の幕引きを担うのは、自分の役目だったのである。
それを、肩代わりしてくれた双生児に全てを押し付けて、一人、安穏としていられるはずもない。
そして、大公家としての出発もまた、半分は請け負う責任があって当然なのだから。
「女王を立ててはならない……」
エリシア王女は、彼方を仰いで、力なくつぶやいた。
ローディアナ大陸のほぼ全土で標榜される常識である。
「どうして、そんな考えが広められたか……以前、エネルプ神官長さまに伺ったわね」
唐突に思える昔話しに、ロクサーナ姫はやや戸惑いながら、首を傾げた。
トーリアスは、またたく。
彼にしてみれば、疑問にすら思っていなかった前提だ。
既に常識であり、当然と受け止めるばかりだったが、何の由来があっての定着なのか、今更不思議に思う。
「……確か、最古の王国、ソルトレイドの故事に由来するのでしたね?」
「……ええ……」
エリシア王女は、うなずく。
トーリアスは、沈黙でやりとりを眺めた。
彼女たちほど深く歴史を学んでいない身だが、ソルトレイド王国の名前ぐらいは承知している。
遠い遠い昔話しとして、だ。
伝説扱いとなって久しい、時の彼方に消えた、太古の統一国家だったと言う。
その領域は、大陸全土。
国境のない世界が、かつてあったのだ。
「かの国は、女王が建国した……。そして、存亡の危機にあった動乱期に活躍して中興の祖となったのも女王なら……最後、滅亡の終焉を請け負ったのもまた、女王だった……」
それは、遥か古代の物語り。
ソルトレイド王国にまつわる、現代にまで残された風聞は、ごくわずかしかなかった。
遺された史料はあまりにも乏しい。
「……理不尽よね」
エリシア王女は、苦笑する。
「そんなの、ただの偶然じゃない。……女王だからと言って、国を危機に陥れるなんて、あるはずがないわ! なのにっ……」
たまらなく悔しい。
生まれる比率は、わずかながら女児が少ないものの、その分なのか、男児の死亡率がやや高く、結果としてほぼ同数となるため、数の違いは、選択の条件になるまい。
であっても、女が王位に就くのを、どうして忌まれるのか、理解……したくなかった。
けれど、納得できてしまう。