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二人の出奔からしばらく、エリシア王女が書棚を戻して息を吐いたのとほぼ同時に、トーリアスがロクサーナ姫を伴い、戻って来た。
「……お呼びと承りまして……」
もう寝支度をしていたらしき彼女は、夜着にガウンを重ねた姿でいる。
一応なりとも貴婦人にあるまじき装いだが、身内の部屋への訪問。
それも至急の呼び出しだ。
礼儀より早さを優先させた結果なので、無礼には当たらない。
「……ごめんなさいね。こんな遅い時間に呼び出して」
「いえ……」
部屋の主ではなく、エリシア王女が迎え入れたこと。
残る扉番の不在。
何より、無人の乱れた寝台。
床に散らばる杯の破片。
瞬時に目を走らせて現状を把握したらしき彼女は、わずかに眉を寄せる。
「お願いがあって来てもらったの。……いえ。王としての命令と言った方が良いわね」
「……拝命、仕ります」
ロクサーナ姫は、エリシア王女が王を自称する不自然さを無視して、淑やかな恭順を示した。
わかっている訳ではないだろう。
それでも賢しき身は、事態の変化を受け入れたらしい。
「お飾りの妃役を任せたいの。今後とも、わたくしの伴侶として、協力してもらいたいわ。見返りは、レテオラの支配権よ」
「……! エリシアさまっ!」
さすがの彼女も、驚愕する。
けれど、すぐさま落ち着きを取り戻した。
レテオラの支配権……と聞いて、腑に落ちる。
どうやら、共犯だろうトーリアスとの合議はもはや取られているらしいと理解した。
ならば意見もない。
けれど、君主の妻には、大きな……大きすぎる役目があるではないか。
「……お考えは、理解いたしました。もちろん、微力を尽くすのに否はございません。……なれど……お世継ぎばかりは……」
類い稀な聡明さは、すぐさま先の展望に思考を進める。
確かに、最大の憂慮だ。
「心配は無用よ。ここに、二代目レガーリア大公は、宿っています」
ここに……と、エリシア王女は腹部に手を当てた。
男女の別など、まだわからない。
けれど、疑っていなかった。
「そ、れは……」
ロクサーナ姫は息を飲む。
彼女もまた、ハルバート同様、瞬時に様々を思ったようだ。
けれど、彼がそうだったように、言葉を尽くそうとしない。
それが、エリシア王女にはこの上なくありがたかった。
レガーリア王女たる彼女の産む子は、間違いなく直系だ。
家門の継承に、何ら不都合もない。
たとえ女児だったとしても、成文法で厳しい取り決めのある王家でなくなるのだから、一般の貴族の家同様、婿を取って、更に次の世代に男児をもうけてもらえば良い。
それまでの間、エリシア王女が、当主を務めるだけで問題なかった。
「……本当に、申し訳なく思うわ。エイレイティアちゃん」
真顔を作り、彼女は深く謝罪する。
(エイレイティア?)
初耳のそれに、トーリアスは息を詰まらせた。
知らないが、理解は容易い。
「エリシアさまっ……。その名はっ」
ロクサーナ姫は、トーリアスをはばかって肩を丸める。
エリシア王女は首を振った。