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その夜、宮城内に知られざる激震が走り抜ける。
王の寝室を後にしたエリシア王女は、扉番を務めるハルバートを中に招き、もう一人の騎士であるトーリアスに、急ぎロクサーナ姫を召喚するよう命じた。
訳の分からないハルバートだったが、委細承知のトーリアスに肩を叩かれて、どうにか気を取り直すと、エリシア王女と共に寝室へ入室する。
一方のトーリアスは、ロクサーナ姫の元へ向かった。
これが親友たちの別れになると、ハルバートはまだ知らない。
トーリアスとしても、たまらない申し訳なさがあったものの、今は暇もない。
多分、これもまた、時宜なのだろう。
エリシア王女が動いたこの機を逃しては、奔流に押し流されると、彼は理解していた。
王の私室から遠ざかるトーリアスは、心の中で、親友の先行きを祝福する。
事態を把握すれば、彼のことだ。愛する者を、必ずや守り抜くに違いない。
いつかの未来。再び相まみえる日がきたら、この夜の別れも、きっと笑って振り返られるはずである。
「陛下!」
寝室に踏み入ったハルバートは、愛しい主君が昏倒しているのに、身を仰天した。
足元には杯のかけらが散らばっている。
まさかとは思うが、妹王女が手ずから持ち込んだ酒に、何か薬でも混入されていたのか? と、咄嗟に推察した。
しかし、一緒に飲んだはずの彼女に支障は見当たらない。
……となれば、エリシア王女の謀の可能性が高まるが、にわかに信じられなかった。
「新たな王として、あなたに最初で最後の命を下します。今すぐお兄さまをかどわかし、どこへなりとでも、連れ去りなさい」
「なっ? 殿下?」
凛としたエリシア王女に、動揺はかけらも見られない。
「聞こえなかったのですか? これまでのあなたの忠勤への褒美です。国も、身分も、何もかも失った、ただのイルファールスを、あなたに授けると言っているのです」
「っ!」
つまり、政変。
クーデターである。
だが、言葉通りであるはずがない。
激動の現状、イルファールス王を廃したところで、更なる混乱に見舞われるだけだ。
平和併合の立役者として持てはやされているエリシア王女に、何の益もない。
彼女なら、このままの状態で、兄を傀儡に、実質的なレガーリア統治者として采配を振るうのが容易なのだから。
この期に及んで余計な手出しをすれば、せっかくの名声が失われてしまう。
それぐらいを、この英明な王女が理解していないはずがなかった。
「このままお兄さまが、王から大公になっても、伴侶を迎え、後継者を宿させることを求められましょう。……それに、耐えられるとは思えません」
「うっ……」
ハルバートは、呻いた。
元凶として、突き付けられた言葉が痛い。
エリシア王女は、そっ……と、腹部に手を当てる。
「ここに、次の時代の王……いえ、大公は、います」