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「俺一人の手柄とは言えないだろうが、事実上の結納として、認めてもらえるだろうか?」
愛しい者が、最も大切にしている宝を献上する。
これ以上の、求婚の小道具はなかった。
「結納?」
いきなりの話しの飛躍に、ロクサーナ姫が更に瞠目するのも無理はない。
トーリアスは、にやりと笑った。
もはや逃れようのない既成事実として押し切れば、尚更彼女は抗えない。
「俺の望みは、レテオラの至宝。……お前さんを得ることだからな」
「なっ……」
ここに至ってなお、彼女は事態を把握できずにいる。
「わからねえか? 柄でもないのは承知しているが、一世一代の覚悟で、結婚を申し込んでるんだがな?」
「……っ!」
絶句のロクサーナ姫が気付いた時、手の甲をとられて口付けを受けていた。
「色よい返事を待ってるぜ。……姫さん?」
立ち上がった彼は、硬直する求婚の相手へ愛情のこもったからかいのささやきを残し、身をひるがえす。
反論を口にする機会を封じる策だ。
タイミングを失すれば、後日改めての取り沙汰が難しくなる問題なので、ここの引き際は間違えてはならない。
おそらく、今、彼女は混乱の極みにあるはずである。
それを優しく慰撫するのも一つの方策だろうが、トーリアスの欲しい結果への早道では断じてない。
最も効率的に謀を成し遂げるために、彼は悠々と去っていく。
「……あ、……え?」
訳も分からず取り残されたロクサーナ姫は、無意識のまま、「感触」の残る我が手を胸元に寄せた。
嫌ではなかった。
けれど、何が起こったのか把握に至らない。
直後、その全身に凄まじい熱が走った。
「わ、わたくし……はっ……」
歩き去る背中に、細い声が届く。
けれど、トーリアスは振り返らない。
おそらく、自分は女性でない……とか、都を支配下に置くような立場でない……とか、あれやこれや、脳裏で無用な言葉を連ねているのだろう。
しかし、そのようなもの、聞く必要はない。
そもそも、彼女の真実の性なら、着任以前に伝えられていたのだ。
ハルバートとトーリアスに、秘密を明かす旨、ロクサーナ姫自身とて承知していたはずなのだから。
となれば、さえずる無意味な言い分を、わざわざ論破するのさえ、煩わしい。
取り合うだけ、時間の無駄である。
いや、やりとりの合間から拾い上げるだろう反論に、筋道や力を与えてしまう可能性さえあった。
その一切が封じられれば、この後、ロクサーナ姫は、自問自答の時を過ごすはずだ。
賢しい彼女である。
さして時を経ず、既に自らが包囲網に捕らわれていると理解するに違いない。
果たして、ロクサーナ姫は、安定を失い、その場にうずくまる。
どのような顔をしているのか、トーリアスには、手に取るように理解できた。
高揚に頬を染めるさまを見られないのが、残念でならないが、ここが我慢のしどころである。