堕とされていく、恐怖の序章
チャイ王女が私に牙を剥いてから約十日が過ぎ、事態はすっかり彼女に有利に傾いていた。
「やっぱり思った通りだわ。あの方ならやりそうだもの」
「公爵令嬢を鼻にかけて私的な下僕を作って、やりたい放題だったもんな」
「妖精のようなスロフォン王女に、彼女が叶うはずないのよ。ストラティス殿下もすっかり骨抜きだという話よ」
アリスティーノ・クアトラが悪で、チャイ・スロフォンが正義。
彼女の手回しにより、その構図が確立している。元々遠巻きに怖がられていた私だったけれど、今はそれが敵対心と侮蔑に変わった。
幾ら公爵令嬢といえど、一国の王女には敵わない。チャイ王女の後ろ盾のもと、あからさまに私を馬鹿にするような視線が増えた。
「アリスティーノ様はそんな方ではないわ!あの方はただ不器用で恥ずかしがり屋なだけよ!」
「裏でこそこそと人を虐めるようなことはしないわよ!」
「そうよ!アリスティーノ様はいつも堂々とされている素敵な方だわ!」
サナを筆頭に、いつも私の側にいる令嬢達が声を張り上げて抗議する。そうするとチャイ王女の息のかかった生徒達が、彼女達に危害を加え始めた。
それでも私を擁護することをやめようとしない姿を見て、私は人知れず涙を零した。
誰かに信用されるということが、こんなにも嬉しいなんて。
それだけで私はもう、最強の武器を手に入れたかのような心地だった。
「金輪際、私の擁護をおやめなさい。貴女達自身だけでなく、家にまで迷惑をかけることは許されないわ」
「アリスティーノ様…」
「私のことを想うのなら、お願いだから言うことを聞いて」
涙に濡れたサナの頬を、私はハンカチでそっと拭った。
「こんなのは間違ってる。被害者はアリスなのに、どうして君が加害者扱いされなきゃならないんだ」
ユリアン様は、これまで見たことがないほどに憤慨し殺気立っていた。私はそんな彼を、あくまで落ち着いた表情で見つめる。
「貴方が今一番注意を払わなければならない事柄は、私ではなく貴方自身です。今のチャイ王女は、何をしでかすか分からない。ユリアン様は自身の身を守ることを優先させてください。なるべく彼女に逆らわないで」
ユリアン様は私の手を強く握り、何度も何度も首を横に振る。
「そんなことはもう遅い。僕は彼女に刃を向けてしまった。その代償を払うのはきっと君だ。僕の軽率な行いの所為で、君を危険に晒してしまうハメになってしまった」
この間のチャイ王女の発言から察するに、彼は脅されていたのだろう。逆らえば、私に危害を加えると。
私の知らないところでユリアン様はずっと、私のことを護ってくれていた。それなのに私は、自分のことばかり。つくづく私は、自分本位な女だ。
「好きだ、アリスティーノ。僕は君を愛している。君を失うなんて耐えられない」
「私もです、ユリアン様。今の私は、貴方の幸せを何よりも願っております」
逆行の真実を知って尚、愛していると言ってくれた。
それだけで私はもう、いつ死んでも構わない。
けれど、ユリアン様だけは。
愛しいこの方だけは、絶対に奪わせないわ。
痛いほどの力で私の手を握り小刻みに体を震わせる彼の頬に、私はそっとキスを落とした。