ぷつりと切れた糸
チャイ王女がこの学園にやってきてから早二ヶ月。私は、毎日をそれはもういらいらしながら過ごしていた。
監視と利用の為に、私は自ら王女の案内役を買ってでた。学園の施設を案内したり、どんなカリキュラムに取り組んでいるかなどを説明する役割。
とりあえず、チャイ王女に手は出さず様子を伺う。どうせ取り繕っていたって腹の中は真っ黒だろうから。
弱みの一つくらい握っておけば、これから先の保険にもなる。
そう思っていた私の目論見は、まんまと外れた。
「アリスティーノさん、いつも本当にありがとうございます。これはほんの気持ちです、どうか受け取ってください」
チャイ王女がにこにこしながら、私に布袋を手渡す。中身を見ると、それはおしろいだった。
「これは、スロフォンでしか取れない貴重な花の胚乳部分を使ったものです。国内でも、王族や一部の貴族しか使用できないような特別なおしろいなんですよ」
「…まぁ、それは嬉しいわ」
「だけど、アリスティーノさんはそのままで十分美しい方ですものね」
それは嫌味なのかしら。そんな無垢な顔をして、内心では私のことを見下しているくせに。
この女の偽善者ぶった振る舞いも癪に障るが、私が何より気に入らないのは…
「アリスティーノ、チャイ王女」
向こうから片手を上げながらやって来たのは、私の婚約者であるユリアン様。彼は私のものなのに、どうしてか視線はチャイ様の方にある。
私が一人でいる時は一度だって、こんな風にユリアン様の方から声をかけられたことなんてなかったのに。
悔しさにぎりりと奥歯を噛み締めたその拍子に、手に握られた布袋が形を歪めた。
「ユリアン殿下。ごきげんよう」
にこりと笑うチャイ様は、まるで花の妖精のように可憐だわ。あぁ、吐き気がする。
「この学園での生活には慣れましたか?」
「はい、アリスティーノさんのおかげです。本当に親切な方だわ」
二人の間に流れる穏やかな空気が気に入らず、私はずいっとチャイ王女の前に出た。
「ユリアン様。今週末のことはお忘れになっていらっしゃいませんわよね?クアトラ家一同、ユリアン様のご来訪を心よりお待ち申し上げておりますわ」
「…あぁ」
ユリアン様は、こんなにも分かりやすい方だったかしら。余計なことを言うなと、そのグレーの瞳の奥が物語っている。
「チャイ王女には“良い殿方”はいらっしゃいませんの?私にとってのユリアン様のような」
「アリスティーノ、よさないか」
チャイ王女は余裕の笑みで、にこりと私に微笑んでみせる。
「残念ながら、私にはまだそのような話はないのです。仲睦まじいお二人が羨ましいですわ」
「まぁ。何だか恥ずかしいわ」
私はポッと頬を赤く染めて見せるが、対照的にユリアン様の表情はグッと堅くなる。
「私にもいつか、ユリアン殿下のように素敵な方が現れるといいのですけれど」
「チャイ王女のような女性なら、何の心配も要りません」
「ふふっ、社交辞令でも嬉しいです」
…何なの、どうしてなの。私というものがありながら、どうしてユリアン様はそんな顔をなさるの。
ユリアン様に微笑みかけてほしいと私がずっと夢見てきたことを、新参者のこの女はいとも簡単にやってのける。
こんなこと、絶対にあってはならないわ。チャイ王女の毒牙にかけられようとしている婚約者様を、助けて差し上げなければ。
目の前の光景をぼんやりと見つめながら、私の中の何かが今パチンと音を立てて切れた気がした。