不可解な胸の痛み
それからチャイ王女についてユリアン様に聞いてみたけれど、彼は彼女について特段詳しくなかった。ルヴァランチアとスロフォンは友好国である為、王族同士全く会話をしないと言うことはきっと無理だろう。
実際、留学中は何度か食事を共にしたとユリアン様は口にする。
それでも、彼は私とお喋りをしている最中にたまたま思い出したかのような反応だった。少なくとも、私にはそう見えた。
「チャイ王女様は、さぞかしお可愛らしい方だったのでしょうね。まるで妖精のような」
「そうだね。確かに可愛らしい方だったよ。僕達の二つ下だと言っていたかな」
可愛らしいと言っているのに、表情はいたって普通だ。あくまで一般論を述べているような感じで、ユリアン様の思考が反映されていない雰囲気を感じる。
おかしいわ。以前のユリアン様は、明らかにチャイ王女に心を奪われている風だったのに。それともまだ幼いから、そういった感情が芽生えないのかしら。
思わず胸に手を当て、ほうっと深い溜息を吐く。その直後、私はなぜこんなにも安堵しているのだろうと自問自答した。
今ユリアン様がチャイ王女を好きになったとしたら、私はきっとそれを受け入れられる。私の風評は多少傷つくだろうけれど、円満に婚約解消することができるかもしれない。
なのに私はどうして、安心なんてしてしまったんだろう。
想像よりずっと早く、二人は出会ってしまったというのに。
「アリス?様子が変だけど大丈夫?」
私ははっとして、視線を上に上げる。心配そうに瞳を揺らすユリアン様と目が合って、胸の奥がどきりと音を立てた。
「な、何でもありませんわ」
「アリス。まさか君…」
その後に続く言葉は一体何なのだろうかと、私は体を硬直させた。
「やきもち妬いたの?」
「え…?」
さっきまで心配そうにしていたのに、途端にぱぁっと顔を輝かせた。
「そっか。ヤキモチを妬かれるのってこんなに嬉しいことなんだね」
「あ、あのユリアン様」
盛大な勘違いをしているとはとても言えない雰囲気。あははと笑って誤魔化したのに、それでもユリアン様は嬉しそうに笑う。
すると今度は、身体の奥がまるで針にでも刺されたかのようにちくちくと痛み始める。
今のアリスティーノになってから私はもう何度も、彼の笑顔をこの瞳に映してきた。
他人を平気で蹴落とし、その命すら軽んじ、そうまでしても手に入れることができなかったもの。
手を伸ばせば簡単に触れられる距離にいるのに、どうしてこんなに苦しいの?
「僕はね?アリス。あの時君と婚約解消なんて話にならなくて、本当に良かったと思ってる」
「ユリアン、様」
「改まるとちょっと照れるね」
そう口にしながらはにかむ彼を見て、私は思わず視線を逸らさずにはいられなかった。
すでに出会ってしまった、ユリアン様とチャイ王女。それが私の今後の人生にどう影響を及ぼすのか、今の私には分からなかった。