青天の霹靂
「それでね、そこでは寝る前に皆が必ず集まって会話をするんだ。大人も子供も関係なく、意見を交換し合うんだよ」
「そうなんですの。素敵だわ」
今日は、風がさわさわとそよいでとても気持ちの良い午後だ。ユリアン様の屋敷のテラスで、私達は一冊の本を囲んでいた。
彼が留学していた間の話を聞くのは、とても面白かった。このルヴァランチア王国内でさえ、村や町ごとに様々な風習が存在している。それが他国ともなれば、肌に感じる空気感から違ってくるのだろう。
以前の私は、この国の中での世界が全てだったけれど。今はいつか自分の足で、まだ見たことのない景色を見てみたい。
「ほら見てこの衣装」
「まぁ綺麗。これは…結婚式でしょうか」
ユリアン様が持ち帰った文献に書かれている古ぼけた白黒絵に、私はそっと指を添わせる。
「見たことのない花だわ」
「我が国では咲かないからね。気候の暖かなこの国ならではのものだよ」
「素敵…いつか本物を見てみたい」
匂いを嗅ぐようにすん、と鼻を近づける。そんな私を見て、ユリアン様は優しく目を細めた。
「あちらの国では外国人にも凄く友好的だったから、きっとアリスも歓迎してもらえるよ」
「そうでしょうか」
「不安なら、僕と行けばいい」
長い睫毛に縁取られた瞼をぱちぱちと瞬かせる。ユリアン様の表情は、やっぱり優しげだった。
「僕と一緒なら、怖くないでしょう?」
「い、いえ私は」
「結婚後の旅行として行けばいい。流石に諸国を回ろう、とは言えないけど」
結婚。その言葉に、私の心臓は色んな意味でどきりと波打った。
今のユリアン様は、昔とは全く違う。そして私も。思い通りにならなかった時なんかは、たまに癇癪を起こしてしまうこともあるけれど。他人を苛めようだなんて、現状はちっとも思わない。
だけど恐怖は消えない。全ては学園に入り、チャイ王女が編入してくるところから始まるのだから。
「…そんな未来のお話も素敵ですわね」
「アリス」
本に落としていた視線をふいっと向こうへやる。彼が私の名前を呼んだけれど、それには反応しなかった。
「それにしても外国人を歓迎だなんて、よほど豊かで心に余裕がある国なのですね」
不自然に思われぬような話題を振って話を逸らす。ユリアン様はそれにちゃんと答えてくれた。
「全ては気候と豊かな土壌のおかげみたいだよ。この国みたいに威張って私腹を肥してる貴族が、少ないっていうのもあるのかも」
「まぁ」
口元に手を添えてくすくすと笑えば、ユリアン様も安堵したような表情をする。
「そういえば僕がいた二年間の間にも、ルヴァランチア以外の国の王族が友好の証として滞在していたんだ」
「それはどこの国の方ですか?」
「スロフォン王国のお姫様だったかな」
その名前を聞いた途端、私の胸がざわざわとざわめき始める。沸かしたばかりの湯でも飲んだかのように、カッと喉元が熱くなった。
なんだかとても、嫌な予感がする。
「そ、その方のお名前が知りたいですわ」
「名前?アリスはスロフォンに知り合いがいるの?」
「えぇ、まぁ」
知り合いと言っていいのか分からないが、それは間違いではない。私の事情を知るはずもないユリアン様は、特になんとも思っていない様子でさらりとその名を口にした。
「チャイ王女だよ。スロフォン王国の第四王女、チャイ・スロフォン」
嘘、でしょう?まさかこんなことって。
ユリアン様と彼女が、こんなにも早く出会ってしまうなんて。
全く予想していなかった事態に、私は小刻みに震える体をぎゅうっと抱き締めた。