感情に名を 4
言うだけ言って、公爵は、ふいっと消えてしまった。
ガゼボのところに、2人は置き去りにされている。
あとで、徹底的に問い詰める。
そう決めていた。
公爵は「物申す執事」を望んでいるのだから、許容されてしかるべきだ。
物事を、はっきりさせておくことも、その範疇にある。
元々、ジョバンニの主は、言葉だけを、ぽいっと放り投げ、どう思うかはお好きにどうぞ、といった話しかたをする人だった。
それにしても、周囲はともかく、当事者まで「誤解」させっ放しにしておくことはないだろうに、と思う。
どういう意図だったのか、ちゃんと聞いておく必要があった。
が、しかし。
それは、この局面を乗り切ってからのことだ。
アシュリーは、未だジョバンニに抱き着いている。
そのため、彼は、思い出さずにはいられない。
『じょ、ジョバンニは、私の愛する人なので!!』
アシュリーの中に、そうした気持ちがあるとは、想像もしていなかった。
まさしく、いつの間に、といった感じだ。
ジョバンニにとって、アシュリーは長く「お嬢様」で有り続けている。
今も、14歳の少女であるには違いないのだけれども。
「ジョバンニ」
「……はい」
呼ばれて、アシュリーに視線を向けた。
青い瞳が、まっすぐにジョバンニを見上げている。
とても綺麗で、真摯な瞳だ。
自分などより、もっと相応しい相手がいると、未だ思わなくもない。
「ジョバンニは、私のことが好き?」
「え……あ……はい。もちろんにございます……」
「愛しているの?」
「あ、あの……わ、私は、あの……」
じぃっと見つめられ、ジョバンニは動揺している。
実のところ、自分でも、よくわからないのだ。
昔はわかっていたのかもしれない。
けれど、没落して以降、愛や恋とは無縁に生きてきた。
「……お嬢様は、おわかりになっておられるのですか?」
「本当言うと、よくわからないわ。でも……ジョバンニでないと嫌だって思うの。傍にいてくれるのも、抱き上げてくれるのも。傷ついたり、怪我させられたりするのも嫌だし……1人にしたくないって、思うの」
胸の中が、暖かいもので満ちていく。
恐る恐るではあったが、アシュリーの髪を、ゆっくりと撫でた。
子供扱いしているわけではない。
彼女のほうが、よほど芯が通っている。
「では、私と同じですね」
「そうなの? ジョバンニも同じ?」
「私も、お嬢様の傍にいるのは、常に自分でありたいと思っております。お嬢様が傷ついたり、怪我をされたりするのは嫌ですし、1人ぼっちにはさせたくないと、思うのです」
アシュリーが、にっこりした。
それから、頬を赤く染める。
少し照れた表情で、ジョバンニに言う。
「それなら、ジョバンニも、私を愛しているのね」
思わず、くすくすと笑ってしまった。
アシュリーが、自分の中途半端な心を、言い切ってくれたからだ。
彼女がそう言うのなら、そうなのだと、自らの感情に名をつける。
「そうですね。私も、お嬢様を愛しています」
アシュリーは嬉しそうな顔をしたあと、少し困っているような表情になった。
ぴとっと、ジョバンニの胸に顔を押しつけてくる。
「あのね……私……ジョバンニが思っているほど……綺麗ではないのよ?」
「綺麗ではない、とは……?」
「ヘンリーのこと……婚姻しろって言われて、でないと、お父さまたちを殺すって言われて……私……それならヘンリーがいなくなればいいって……思ったわ……」
ジョバンニは、ハッとなった。
今まで、彼女には人の裏の醜い面は見せたくないと思い、隠してきている。
だが、アシュリーは、自分自身で気づいてしまったのだ。
自分の中にも「それ」がある、と。
「言おうと思ったけど、言えなかったの。ジョバンニに嫌われてしまうのじゃないかって……自分のことばっかり……」
アシュリーの、まだ小さな体を抱きしめ返す。
もっともっと小さな頃から、彼女はジョバンニを抱きしめてくれていたのだ。
抱っこをしていると思ってきたけれど、しがみついてくる、その小さな両手に、彼は抱きしめられていた。
本当に、抱きしめ返したのは、これが初めてかもしれない。
「愛していますよ、なにがあっても」
「本当に? 嫌いになっていない?」
「嫌いになったりはしません。お嬢様は、いかがですか? 私がしたことをご存知でしょう? それでも、私を選んでくださいますか?」
アシュリーが、顔を上げる。
そして、こくりとうなずいた。
「私には、わからないことも多いけど……でもね、ジョバンニと一緒にいるって決めたから。たぶん、そういうことなのでしょう?」
誰にでも守りたいものがある。
それが相反すれば、どちらかが「負け」なければならない。
だとしても。
ローエルハイドに「負け」はないのだ。
その主に、ジョバンニは仕えている。
おそらく、アシュリーのためであれば、2人で平和な暮らしもさせてもらえるに違いない。
公爵が、アシュリーを大事にしている、というのは嘘ではないのだ。
「ジョバンニは、ジェレミー様の味方でいたいのね?」
「そうなのです。お嬢様と2人で、ローエルハイドを離れるのが最善だとは思うのですが……あの日、私たちを助けてくださったのは、旦那様なのです」
公爵には恩がある。
このまま2人だけで、とするのは、さすがに虫が良過ぎるだろう。
とはいえ、アシュリーを巻き込むことには、躊躇いがあった。
人の命という、とても重い責任を負うからだ。
「あのね、ジョバンニ」
アシュリーが、少し首をかしげている。
考えながら話そうとしている時の仕草だと、知っていた。
「ジェレミー様は……だから、ジョバンニが必要なのかも?」
「私が、ですか?」
「だって、ただ傅く執事はいらないって仰っておられたもの」
物申す執事になれ、と公爵は言っている。
それが、どこまでの期待かは、わからない。
だが、ジョバンニの主は、意味のないことは、けして言わないのだ。
(お嬢様は、正解を出されておられるのかもしれないな)
アシュリーは、人の裏の醜い部分を、己の中に見つけた。
それでも、彼女は、綺麗だと思う。
まっすぐにものを見て、歪みがない。
誰にだって守りたいものがある。
だが、誰しも間違うこともある。
物申す、ということは、そういうことだ。
公爵を理解し、なお、それでも「間違い」を正す。
止められるかどうかはともかく、間違っているのではないか、と示唆する者を、公爵は必要としていた。
自らが「間違う」ことに備えるために。
「私、もっと大人になるから、大丈夫よ、ジョバンニ」
アシュリーは、以前の快活さを取り戻したように、力強い。
改めて、彼女は、もう十歳の子供ではないのだ、と思う。
「ジョバンニは私を守って、私はジョバンニを守って、それでね」
特別な秘密を打ち明けるような顔で、アシュリーが言った。
「ジョバンニと私で、ジェレミー様を守ってさしあげるのよ」
心の底から、アシュリーを愛しく感じる。
名をつけたとたん、ジョバンニの中でも明確になっていた。
微笑みながら、彼は、彼女の額に口づける。
「そういうあなたが、私は、とても愛しいのです」




