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感情に名を 1

 アシュリーは、中庭にあるガゼボと呼ばれる建屋の中にいた。

 建屋といっても壁はなく、8本の白い柱と円錐形の屋根があるだけだ。

 地面から、3段ほどの階段があり、中にはテーブルセットが置かれている。

 丸テーブルに、ほど良い間隔をあけてイスが4脚。

 そのひとつに、アシュリーは腰かけていた。

 

 まだ朝も早い時間で、陽の光も白く感じられる。

 夏の終わりに近づいているせいもあるのだろう。

 アシュリーが、アドラントに来てから、ふた月ほどが経っていた。

 今年の夏は、アシュリーのまだ短い人生で、最も変化の大きな年となっている。

 

 これから先、これ以上に、印象的な夏は来るだろうか。

 

 今後の人生のほうが長いことはわかっているのに、そう思ってしまう。

 それほどに、心に刻まれていた。

 怖いこともつらいこともあったが、嬉しいことや幸せなことのほうが、多かった気がする。

 

(ジョバンニのことを、思い出せたもの……それだけで、十分ね……)

 

 夏場に、夢を見ることはなくなるはずだ。

 もう追いかける必要はない。

 答えを、アシュリーは、手に入れている。

 どうせ思い出せないのだからと諦めることもできず、追いかけ続けてきた理由もわかっていた。

 

 アシュリーは、ジョバンニに恋をしている。

 

 感情が浮き沈みするのも、どきどきするのも、(そば)にいたくなるのも。

 子供扱いが寂しかったり、ほかの女性と一緒にいてほしくなかったりするのも。

 すべては、ジョバンニを男性として意識していたからだ。

 

(でも、ジョバンニは……そういうのじゃないから……)

 

 ジョバンニの中で、アシュリーは子供のまま、時を止めている。

 いつまでも「お嬢様」なのだ。

 大事にはしてもらえても、それ以上には成り得ない。

 ジョバンニのそれは、恋とは違う。

 

「隣をいいかな、愁いを帯びた、お美しいレディ?」

 

 いつの間にか、公爵が、アシュリーの横に立っていた。

 公爵の、パッと消えたり現れたりするのにも、すっかり慣れている

 少しは驚くけれど、飛び上がるほどではなくなった。

 

「どうぞ、ジェレミー様。私も、お話がしたいと思っていたのです」

「それは奇遇だね。私も、きみと話がしたかったのだよ」

 

 公爵は、きっと、あのことを知っている。

 ジョバンニから報告を受けているはずだ。

 

「大変な時に、傍にいられなくて、すまなかったね」

「いいえ、ジェレミー様のせいではありません」

 

 むしろ、問題は「こちら側」にあった。

 巻き込まれたのは、ローエルハイドのほうだと思える。

 本当なら、子爵家にいた頃より平和で楽しい毎日をおくれたはずなのだ。

 公爵は、そういう「日常」を、アシュリーに与えてくれていた。

 

「ジェレミー様は、私を大事にしてくださっています」

「そう思うかい?」

「だって……だから……ジョバンニの傍にいさせてくれたのでしょう?」

 

 いつからなのかは、わからない。

 もしかすると、最初からだったのかもしれない。

 公爵は、アシュリーの視線が常にジョバンニに向けられていると知っていた。

 ただ、アシュリーが気づかずにいたことにも気づいていたのだ。

 

 ジョバンニのそれは、恋とは違う。

 

 アシュリーが出したばかりの答えだった。

 その答えに気づいていたから、ほど良い距離を保てるように、間に入ってくれていたのに違いない。

 

 『私がきみを、とても大事にしていると、覚えておいておくれ』

 

 公爵に言われていた言葉を、アシュリーは、ちゃんと覚えている。

 時に、公爵が、ジョバンニに厳しかったのも、そこに理由があるのだ。

 アシュリーが踏み込み過ぎないように。

 踏み込み過ぎて、傷つかないように。

 

「ジェレミー様……私は、子爵家に帰ろうと思います」

「いいのかい? あそこでは、きみは1人になってしまうよ?」

「わかっています」

 

 両親は、今までと、なにも変わらない。

 今まで無関心だったのに、突然、関心を持つとは思えなかった。

 それに、態度を変えられても、逆に、アシュリーだって、どう対処すればいいかわからない。

 

「でも、もう危ないことや、嫌なことは起こらないと思うので」

 

 ハインリヒは、もういない。

 子爵家にも、ロズウェルドにも、どこにも。

 襲われる心配はないし、望まない婚姻もない。

 

「ジョバンニのことは、諦めるということかな?」

 

 アシュリーは、少し間を置いてから、首を横に振った。

 公爵から視線を外して、うつむく。

 膝にある、自分の両手を見つめた。

 

「私は、まだ子供で……彼には相応しくないのだと……もっと、大人になって……ジョバンニに相応しい大人の女性になれたら……その時は、こちらに帰ってきてもいいですか?」

「きみは、本当に頑張り屋さんだなあ」

 

 頭を優しく撫でられる。

 軽く、ぽんぽん、とされた。

 

「ジョバンニが恐ろしくはないのかね? 彼は、きみの従兄弟を殺したのだよ? これからも、彼は人を殺すことになる。まぁ、主に私の指示で、だがね」

 

 たぶん、そうなのだろう、と思う。

 公爵が言うのだから、先々で、同じことが起きるに違いない。

 アシュリーの知っている人かどうかは関係なく。

 

「わかりません……人が殺されるのは怖いことです。良くないことだと思います。でも……ジェレミー様にもジョバンニにも……理由があるのでしょう?」

「正しくない理由かもしれないよ?」

「それも……わかりません……なにを正しいとすればいいのか……」

 

 正直な気持ちだった。

 アシュリーは、両手を、ぎゅっと握り締める。

 ドレスがよれて、くしゃくしゃになっていた。

 そこに、ぽたっと涙がこぼれる。

 

「わ、私……わた、私……」

 

 ハインリヒに婚姻を迫られ、嫌だと思った。

 だが、そうしなければ両親を殺されると言われ、それも嫌だと思った。

 その狭間で、ふっと浮かんだことに、アシュリーは、怯えている。

 ひっきりなしに、喉がしゃくりあげていた。

 

「だ、誰、誰かが、い、いなく、なら、なくちゃいけないのなら……わた、私……へ、ヘンリーが……い、いなく、いなくなれば、いいのにって……」

 

 そう思っていたら、ジョバンニが迎えに来てくれたのだ。

 そのあと、彼がハインリヒを殺したことを知った。

 なのに、アシュリーは、ジョバンニに、そのことを話していない。

 

「か、彼は、わ、わた、私が……そういう、こと……お、思うような……に、人間ではないって……思っているから……だから……」

 

 ジョバンニは、いつもアシュリーを、宝物を見るような目で見てくれる。

 けれど、もし自分の中に「綺麗でない部分」があると知ったら、あんなふうには見つめてもらえなくなるかもしれない。

 それが、怖くて言えなかったのだ。

 

 ジョバンニは、彼の手は汚れている、と言った。

 だから、ふれられない、と言われた。

 それだって、本当には、汚させたのは自分だと、アシュリーは思っている。

 にもかかわらず、自分は綺麗なのだと見せかけようとした。

 ジョバンニに軽蔑されたくなくて。

 

「わた、私が、こ、こん、こんな、ふうだから……ジョバンニは……」

 

 いつもいつもアシュリーを守ろうとする。

 あの日は、命懸けで。

 今回は、その手を汚して。

 

 涙が、ぽろぽろとこぼれるのを止められない。

 とても悲しかった。

 

 アシュリーだってジョバンニを守りたいのに、その心のひとつも受け止められずにいる。

 今の自分は、大好きな人を傷つけるだけの存在でしかない。

 そのことが、とてもとても悲しかった。


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