表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/60

壊れた天秤 4

 ハインリヒの言うことを聞かなければ、両親が死ぬ。

 

 そのことが、アシュリーの頭の中を、ぐるぐるしていた。

 ハインリヒは、本気だ。

 ただ怯えさせるためだけに言ったのではない。

 もとより、怒ると手のつけられない性格をしている。

 

(だけど……ヘンリーと婚姻なんて……)

 

 どうしても考えられなかった。

 世話になっていると感じていた時でさえ、ハインリヒのことは苦手だったのだ。

 少し前から、本当に1人でいるより「マシ」だったのかも疑わしくなっていた。

 その上、脅されては嫌悪感が募るばかりだ。

 

 アシュリーは、両親との思い出らしきものがない。

 望まれていなかったことも知っている。

 だからと言って、彼らがいなくなればいいと考えたことはない。

 ましてや、殺されてもかまわない、とは思えなかった。

 

 親に対する愛情からなのかは、不明なところだ。

 アシュリーと、彼らの繋がりは希薄だった。

 何度か、誕生日のパーティを開いてもらったことがある。

 とはいえ、抱き上げてもらったり頭を撫でてもらったり、といった記憶はない。

 

 ただ、彼らがいなければ、アシュリー自身も存在しないのだ。

 そして、彼らが両親でなければ公爵との繋がりはなく、ジョバンニという存在を知ることもなかっただろう。

 思うと、生まれてきたことに価値があるような気がする。

 

(ヘンリーと婚姻するのも……お父さまたちが殺されるのも嫌……)

 

 どちらも選ばないなんて、ハインリヒが許すはずがない。

 けれど、アシュリーの心は、どちらの選択にも「否」と応えていた。

 どうすればいいのかわからず、アシュリーは、ベッドの上で膝をかかえる。

 その彼女の心に、ふっと、ひとつの思いがよぎった。

 体が、小さく震える。

 

(…………ジョバンニ……助けて……私……)

 

 かかえた膝に、額をくっつけた。

 目に涙が浮かぶ。

 子爵家ではなく、アドラントに帰りたかった。

 リビーがどうなったのかも、わからないままになっている。

 

(どうすればいいのかわからないけど……でも、私はジョバンニに会いたい……)

 

 あの穏やかな瞳を見ると、安心できるのだ。

 理由はともかく、ジョバンニは、ほかの人とは違う。

 ずっと(そば)にいたかったし、いてほしかった。

 

 ここで、じっとしていれば迎えに来てくれる。

 抱き上げて、アドラントに連れて帰ってくれる。

 両親のことも助けてくれるに違いない。

 

 自分にも、なにかできることがあれば良かった。

 だが、なにもない。

 外から音がしていたので、おそらく扉には鍵がかけられている。

 窓の外には、空しか見えず、逃げ出せる高さではないと示していた。

 

 下手に動けば、足手まといになる。

 あの時のように。

 

(……あの時……? それは、いつ……?)

 

 呼べば、ジョバンニは来てくれる。

 いつだって。

 

(いつだって、そうだった……? それは、いつから……?)

 

 頭の端が、ちくちくした。

 夢見の時と同じ、もどかしさが広がっている。

 ひどく混乱していた。

 

「また、遅くなってしまいましたね」

 

 ハッとして、顔を上げる。

 ベッドの脇に、ジョバンニが立っていた。

 アシュリーは、なにかに弾かれたように立ち上がる。

 ベッドの上から、ジョバンニに抱き着いた。

 

「恐い思いをさせてしまい、申し訳ございません」

 

 首を横に、何度も振る。

 迎えに来てくれたのだから、それだけでいい。

 

「お、お父さまと……」

 

 心が震えていて、うまく話せなかった。

 混乱がおさまっていないアシュリーを、ジョバンニが抱きしめてくれる。

 アシュリーも、彼の首に、強くしがみついた。

 離れたくなかったからだ。

 

「ご安心くださいませ。彼らには、避難していただきました」

「リ、リビーは? 見つけられた?」

「はい。彼女は、屋敷に帰り、ほかの者たちと一緒にいますよ」

「全部……全部……大丈夫……?」

「ええ。なにもかも」

 

 ゆるやかに頭を撫でられて、少しずつ混乱がおさまってくる。

 ジョバンニが言うのなら「なにもかも大丈夫」なのだ。

 安心して、涙が、ぽろぽろとこぼれる。

 

「アドラントに帰りましょうね」

 

 こくこくと、うなずいた。

 ハインリヒの顔を見る前に、帰ってしまいたい。

 本当に、もう2度と会いたくなかった。

 どうやっても嫌悪感が拭いきれずにいる。

 

「帰ってきましたよ」

 

 声に、おずおずとジョバンニから少しだけ体を離した。

 あの「柱のやつ」を使ったに違いない。

 あっという間に、アドラントの屋敷の玄関ホールに帰ってきている。

 大きく息をついた。

 

 ここは安全。

 

 部屋で(さら)われたが、あの時は1人だった。

 ジョバンニがいれば、危険はないと感じられる。

 アシュリーにとっては、彼の傍が、どこよりも安全なのだ。

 

「これから、私は、少し用をすませてまいります。その間は、リビーたちと一緒にいらしてください」

 

 アシュリーの体が、ホールにおろされる。

 嫌だと言って、しがみつきたくなるのを、ぐっと(こら)えた。

 なぜ、こんなにも離れたくないのか、わからない。

 けれど、ジョバンニの背を見送るのが怖かった。

 

「リビー、来てくれ!」

 

 ジョバンニが、中へと声をかける。

 その言葉に、アシュリーも後ろを振り返った。

 すぐに、リビーが奥から、玄関ホールへと駆けてくる。

 無事な姿に、ホッとした。

 

 が、ハッとなって、振り向く。

 すでに門が開いていた。

 ジョバンニの背中が消えようとしている。

 

「ジョバンニ……ッ……」

 

 ジョバンニは、振り向かなかった。

 振り向かず、門の向こうに消える。

 その光景に、視界が揺らいだ。

 幾重にも重なった声が聞こえる。

 

 『あの花は冬にも強いので、種を蒔いておけば年明けまでには見られます。その時は、一緒に見ましょうね』

 『お嬢様、ここにいてくださいね』

 

 お嬢様。

 

 かつて、彼は、自分をそう呼んでいた。

 アシュリーの中に、幼い自分と彼の姿が、次々と蘇ってくる。

 

 彼は「ここにいてください」と言って、彼女に背を向けた。

 そして、振り向くことなく、帰ってくることもなく。

 スナップドラゴンの赤い花を、一緒に見ることはできなかった。

 

「姫様……っ……?!」

 

 へたん…と、アシュリーは、その場にへたりこんだ。

 リビーの声が、遠くから聞こえてくる。

 また涙が、ぽろぽろとこぼれた。

 

(ジョバンニが……ジョバンニだった……死んで、なかった……生きてた……)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ