素足の庭で 3
ジョバンニは、公爵の部屋から退室し、自室に戻っていた。
深夜だ。
にもかかわらず、彼の配しておいた魔力に反応がある。
どうせまた、サマンサだろうと思った。
自らの意思か、公爵からの指示かはともかく、日中、サマンサは、外に出ない。
代わりに、深夜、中庭を歩くのが、日課のようになっている。
初めのうちは警戒し、姿を消して、後をつけたりした。
だが、単なる散歩に過ぎないとわかったため、最近は放置している。
ジョバンニにとって、サマンサは「公爵の客人」という以上の意味を持たない。
アシュリーに害をおよぼさない限り、あえて関わる必要を感じなかったのだ。
それにしても、今夜は反応が多いと、少し訝しい気分になった。
瞬間、ハッとして、即座にアシュリーの部屋の前に転移。
アシュリーは魔力を持たないため、魔力感知には引っ掛からない。
だが、ジョバンニは、人の気配を察知する能力にも長けている。
扉1枚程度では、中に人がいるかどうかくらいはわかるのだ。
(姫様がおられない……っ……)
おそらく中庭に違いない。
魔力に反応が多かったのは、2人分だったからだろう。
中庭の中でも、多くの反応を示している場所に転移する。
サマンサが暮らす、離れに近かった。
「……貸し……わ」
「よ……すか?」
声のほうに駆ける。
ジョバンニは、サマンサを「脅威」と見做していた。
サマンサと2人きりなど、危険に過ぎる。
2人の姿が目に入った。
サマンサが、アシュリーの手を引こうとしている。
離れに連れて行こうとしているようだ。
そのことに、ジョバンニは、冷静さを欠く。
「姫様に、なにをされておられるのですか?」
サマンサの手を振りはらい、2人の間に割って入った。
アシュリーの体を庇って立つ。
サマンサは驚いた表情を浮かべたあと、顔をしかめた。
わざとらしく、両手を開き、肩をすくめている。
「女性同士の会話に割り込むなんて、どれだけ野暮な男なのかしら。きっと主人に似たのね。彼にも、そういうところがあるでしょう?」
強気なあてこすりが鼻についた。
こういう調子で、アシュリーにも嫌味を言っていたのではないか。
腹立たしさから、サマンサの鼻っ柱を叩き折ろうと、口を開いた時だ。
服の裾が引かれるのを感じる。
「ジョバンニ……違うの。私が眠れなくて外に出て……偶然、サマンサ様にお会いしたのよ。私は……ほら、素足でしょう? だから、サマンサ様が、履物を貸してくださるって……」
振り向いた先で、アシュリーが小さくなっていた。
懸命に説明をしてくる姿に、胸が、きゅっとなる。
剥き出しの足にも、心が痛んだ。
「庇ってくださらなくても、よろしいのですよ。そもそも、アシュリー様が眠れておられないことに気づきもせず、目を離した、そちらの執事が悪いのです」
「あ、でも、私がジョバンニに声をかけなかったから……」
「いいえ、アシュリー様は悪くありませんわ。深夜に素足で庭に出てしまうなど、よほどのことかと思います」
ジョバンニは、きつい口調に、視線をサマンサに戻した。
サマンサが、厳しい瞳でにらみつけてくる。
ジョバンニは、その視線を真正面から受け止めた。
アシュリーの言葉が真実でも、警戒は緩めていない。
彼女は、この世が善人ばかりではない、と知らないのだ。
優しくし、信頼させておいてから、後で悪意をぶつけてくる者もいる。
世界は綺麗なものだけで構成されてはいない。
そういう人の裏の汚さを、アシュリーには見せたくなかった。
できるなら、遠ざけておきたいと思っている。
「あなたは、とても中途半端だわ」
ぴしゃりと言われ、サマンサに対し、初めてジョバンニの心が揺らぐ。
自らの本質を突かれたような気がしたからだ。
中途半端。
その自覚はあった。
どっちつかずの心の狭間に、彼は、はまり込んでいる。
今のジョバンニには、アシュリーを守るための力があった。
とはいえ、それは公爵に授けられたものだ。
アシュリーが生きて、ここにいるのも、また。
それを忘れてはならない。
わかっているのに、踏み越えてしまいそうになる。
ジョバンニは、彼自身の手で、アシュリーを守りたかった。
再会して以来、いつも心の裡にもどかしさがある。
「いったい誰から彼女を守っているつもり? 私? 彼? ほかの誰か? でも、私に言わせれば、あなたは、あなた自身を警戒するべきね」
ジョバンニへと冷ややかに言い捨て、サマンサがアシュリーに会釈をした。
表情をやわらげ、彼女にだけ微笑んでいる。
「アシュリー様、お茶は今度にいたしましょう。神経質でピリピリしている執事に控えられていては、落ち着きませんからね」
「こ、今度は、ちゃんとした格好でお訪ねいたします、サマンサ様」
驚いたことに、サマンサが、小さく笑った。
アシュリーに敵意があるのかないのか、判断がつきかねてくる。
油断できない、とは思うのだけれど、いくつも図星を突かれてしまったあとでは己の正しさを肯定しきれずにいた。
もとより、アシュリーのことでは、主観的になり過ぎるきらいもある。
「アシュリー様を、いつまで素足で立たせておくのかしら? あなたって、本当に野暮な男ね」
言うなり、サマンサが体を返した。
ジョバンニは、後ろ姿を見送りもせず、アシュリーに向き直る。
そのジョバンニを、アシュリーが見上げ、ひどく真面目な顔で言った。
「ジョバンニ、あのね」
「はい、姫様」
「サマンサ様は、お優しいかただと思うわ」
口調も表情も、とても可愛らしくて、思わず、アシュリーの体を抱き上げる。
きょとんとしているアシュリーに、ジョバンニは、くすっと笑った。
(あなたの本質は、以前と、なにも変わっておられないのですね)
両親に望まれていなかったと知っていて、嫌なことや怖いこともあっただろうに、彼女には歪んだところがない。
アシュリーの瞳には、綺麗なものしか映らないないのではなかろうか。
その瞳の深い青は、特別な色のように思える。
彼女の心に、不正直さはない。
アシュリーのぬくもりで、ジョバンニの揺らいでいた心が凪いでいた。
アシュリーは、信頼しきった様子で、ジョバンニに「抱っこ」されている。
記憶はないはずなのに、かつてのように、あたり前といった雰囲気があった。
唐突に、彼の胸が苦しくなる。
「さあ、お部屋に帰りますよ」
腕の中にあるぬくもりを、手放したくない。
アシュリーを抱き上げるのは自分でありたい。
そんな、欲とも言える感情が、わきあがってきたのだ。
あってはならない感情だった。
無理に振りはらい、抑えつける。
ジョバンニは、屋敷に戻るため、歩き出した。
夏場でも、ここは、あの時とは違い、じっとりとした暑さはない。
なのに、あの日の暑さを思い出す。
「夢見が悪くて起きてしまったの。今度は、ジョバンニを呼んでもいい?」
「もちろんです。遠慮なさらず、お呼びくださいませ」
にっこりと嬉しそうな笑顔を見せたアシュリーに、彼は気づいた。
アシュリーは、もう十歳の子供ではないのだ、と。




