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素足の庭で 1

 ジョバンニは、公爵の部屋に来ている。

 いつものように、イスに腰かけ、肘をついている公爵を見ていた。

 

 公爵は、ジョバンニの絶対的な主だ。

 そして、2年後に、アシュリーの夫となる人物でもある。

 仕えることに、なんの不服もない。

 公爵ならば、アシュリーを確実に守ることだってできるのだ。

 

 なのに、胸の奥が、じくじくと痛む。

 ジョバンニは、彼自身の手でアシュリーを守りたかった。

 確実性の面で言えば、公爵が上だとわかっていても、任せなければならなくなることに、かすかな抵抗感がある。

 

「アドラントがロズウェルドに併合されてから、70年近くになる。私の祖父の代からなのでね」

 

 唐突に、公爵が語り出した。

 視線はジョバンニに向いているが、本当に見ているかは定かではない。

 なにか、どこか違うところに意識が向いている気がする。

 

 ジョバンニが、アドラントに来てから4年。

 公爵に助けられて以来、日中は、ほとんどアドラント領内で暮らしていた。

 時々、公爵の供をして、王都にあるローエルハイドの屋敷に行くことはある。

 だが「別件」で外をうろつくのは、たいていは夜だ。

 今は、アシュリーが眠ってから動くようにしている。

 

「それだけ長くなってくると、煩わしいことも増える」

 

 アドラントは、元は1つの国だった。

 公爵の祖父がアドラントの皇女と婚姻する際、ロズウェルドに併合されている。

 そのため、基本的に、アドラント領民は、元アドラント国民に限られていた。

 でなければ、ローエルハイドの領民になりたがり領地移動する者が増えて、収拾がつかなくなる。

 

 ローエルハイドの足元は、この大陸の、どこよりも安全なのだ。

 もっとも公爵に言わせると「勘違い」らしいのだが、それはともかく。

 

「領地なんてものを持っていると、面倒でいけないねえ」

 

 基本的に、アドラント領民は元アドラント国民。

 とはいえ、それはやはり「基本的に」ということに過ぎない。

 どうしたって、例外は出て来る。

 

 たとえば、アドラント領民と、ほかの領地民との婚姻は許されていた。

 もちろん、アドラントと別の領地と、どちらを選ぶかは本人たちの意思による。

 ただ、いったんアドラント領民の権利を放棄すれば、2度と手に入らない。

 となれば、アドラントを選ぶ者が増えるのは必然だ。

 

「契約婚も増えているようですね」

 

 肘をついていないほうの手を、公爵が軽く上げてみせる。

 やれやれ、といった仕草だった。

 

 婚姻をすれば、アドラントの領民になれる。

 その「例外」で商売をしている者がいるのだ。

 最初は、本物であったはずの婚姻が、いつしか「契約」で結ばれたものに取って変わられつつあった。

 

「中には、娘に貴族位を捨てさせ、平民としてまで、アドラントの者と婚姻させる貴族もいます」

「そのようだ。まったく迷惑なことだよ」

 

 アドラントの「法」は、かつてのものが、そのまま適用されている。

 併合したのだから、ロズウェルドにすべて(なら)うのが、本来的には正しい。

 とはいえ、長年に渡る伝統や文化を、無理に引き剥がそうとすれば、反発が出るのは目に見えていた。

 

 そのための「法治外」なのだ。

 結果、アドラントで起きることについては、領主であるローエルハイドが管理をせざるを得なくなっている。

 問題があっても、ロズウェルド本国は手出しができない。

 なにしろ、ロズウェルドの法では裁けないのだから。

 

 弊害と言えば、弊害だ。

 ロズウェルドの王宮に丸投げできるほうが、公爵にとっては気楽には違いない。

 

「人の婚姻にまで嘴を突っ込まなくちゃあならないのだからなあ」

 

 公爵は、やや物憂げに、そう言った。

 婚姻を商売にしている者は、それこそ「勘違い」をしている。

 ロズウェルドの「法治外」にあることで、安全だとでも思っているのだろう。

 

「王族までも蝕まれかけているのだから、愛想が尽きてしまいそうだ。私はねえ、祖父の温情を、このところ(とみ)に否定したくなるのだよ」

 

 アドラントの王族は、民をないがしろにして贅沢三昧。

 併合時には、その身分の剥奪を、民の半数が要望したほどだ。

 だが、公爵の祖父は過度な贅沢をやめさせ、民を下支えすることを条件に、その存続を許している。

 それが、公爵の言う「温情」だった。

 

「祖母の母国であり、王族は親族でもあったから、情けを残したのだろうがね」

 

 時が過ぎれば、断罪からの恐怖も薄れる。

 現在、アドラントで「王族」とされる者たちも、そうなのだろう。

 またぞろ、贅沢癖が顔を覗かせ始めていた。

 

「私は清廉潔白を望みはしないよ。誰しもに欲があるのは、当然の摂理だ。正しさだって、向く方向に対し、それぞれ良い顔をする。要は、見方次第なのさ」

 

 だから、これまで「契約婚」という商売も見過ごしにしてきたのだ。

 領内で、ある程度の秩序が保てていれば、それでいい。

 大きな問題として捉える必要はなかった。

 

「ああ、本当に邪魔だなあ」

 

 ぞわっと、背筋が総毛立つ。

 何気ない、ひと言だったが、あからさまに公爵の本質が(あらわ)れていた。

 

 彼らは、勘違いをしている。

 法治外ということは、ロズウェルドの法を無視できるが、同時に、守ってもらうこともできないのだ。

 ロズウェルドの法では、裁かれる際に証拠となり得るものが必要となる。

 良く言えば冤罪を防ぐ、悪く言えば言い逃れを許すものに成り得た。

 

「綺麗なものだけで世の中が構成されているわけではないとわかっていても、酷い腐臭に耐える必要があると思うかね?」

 

 アドラントでは、証拠など必要としない。

 公爵の心ひとつで、すべてが決まる。

 大掛かりな粛清がなされたとしても、無関係な者たちは知らぬ顔をするだろう。

 安全圏に(すが)りつきたい者は多いのだ。

 

 そして、やるとなれば、公爵に容赦はない。

 

 領地を追い出されて終わり、とはならなくなる可能性もあった。

 知らない間に隣人が「消えていた」といった具合に。

 

「ちょいと人も増え過ぎているし、ここいらで適正な人数に調整すべきだな」

 

 ジョバンニは、領内の不正な婚姻や滞在について、すべて把握している。

 公爵の指示があれば、いつでも動けた。

 あとは「どこまでやるのか」という判断だけだ。

 

「例外なんてものを作るから、弊害が生まれるのさ」

 

 声は冷淡で、いささかの情も感じられない。

 瞳には、真の闇が広がっている。

 公爵は、人でありながら、人ではない。

 

 人ならざる者。

 

 それが、ジェレミア・ローエルハイドなのだ。

 たった1人の愛する者のために存在する、と語っていたが、今の公爵には、そのたった1人がいない。

 つまり、誰も公爵を止められない、ということ。

 

 あと2年待てば、公爵は変わるのだろうか。

 アシュリーは、公爵の「たった1人」になるのだろうか。

 もし、そうならなかった場合、アシュリーを守れるだろうか。

 

 ジョバンニは、全身に汗がにじむのを感じた。

 公爵を、絶対的な主としているのは間違いない。

 だとしても、相反する感情がある。

 

 公爵ほどに冷徹には成り切れなかった。

 アシュリーの存在が、ジョバンニを引き()めている。

 

「頃合いを見て対処する。きみは、そのための準備をしていたまえ」

「かしこまりました、我が君」

 

 葛藤をかかえつつも、ジョバンニには、うなずくことしかできなかった。


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