離れの人は 1
食事の「当番」が効いているのか、アシュリーは、この屋敷に慣れ始めている。
彼女が、ここで暮らすようになって7日ほどが経っていた。
まだ以前ほどではないものの、声を上げて笑うことも増えてきている。
公爵は、いたりいなかったりするが、これはいつものことだ。
(できれば、姫様が、こちらに馴染むまで……ひと月でも、お傍にいてくださればいいのだが)
思いはしても、口には出さずにいる。
公爵の行動を制限することなど、ジョバンニにはできない。
公爵は自由で、気まぐれなところがあった。
最も近しくあるはずのジョバンニですら、行き先を知らないことも多いのだ。
「お茶を楽しんでいるようだね、アシュリー」
ここ3日ほど姿を見せていなかった公爵が、不意に現れる。
アシュリーとジョバンニ、リビーの3人は、テラスでお茶をしていた。
公爵が中庭のほうから歩いて来る。
ひどく嫌な予感がした。
「座ってもいいかい?」
「もちろんです、ジェレミー様」
アシュリーの隣に、公爵が腰をおろす。
用意するまでもなく、手にはティーカップが握られていた。
リビーの近くにあるティーセットから、ひょいと拝借したのだ。
ジョバンニもできることではあるが、別の場所に用意されていても魔術で簡単に引き寄せられる。
軽くカップに口をつけたあと、公爵は、それをテーブルに戻した。
足を軽く交差させ、膝の上で手を組んでいる。
顔を、アシュリーのほうに向けて言った。
「実はね、今日から、私の特別な客人を離れに住まわせることにしたのだよ」
言葉に、ぎょっとなった。
思わず、アシュリーに視線を向ける。
隣で、リビーも息を飲んでいた。
特別な客人。
それが、なにを意味するか。
貴族教育を受けた者であれば、知らない者はいない。
アシュリーも、おそらく知っているだろう。
ジョバンニは、無意識に両手を握り締めている。
「きみは、気にするかい?」
「あ……いいえ……あの……」
助けを求めるように、アシュリーが、ジョバンニのほうに視線を投げてきた。
やはり、彼女は知っているのだ。
特別な客人とは「愛妾」の婉曲な言い回しに過ぎない。
「口を差し挟むことを、お許しください、旦那様」
「かまわないよ、なにかね?」
「私も聞いておりませんでしたが、どなたを連れていらしたのですか?」
「先だって、きみに案内をしてもらった、ティンザーのご令嬢さ」
すぐさま、サマンサ・ティンザーの姿が思い出される。
外見をとやかく言う気はない。
ジョバンニ自身もこだわりはなかったし、むしろ、貴族の、見た目で人の価値を決めるようなところには反発を覚える。
とはいえ、公爵が好む女性とも思えなかった。
外見ではなく、彼女の「貴族的」な態度からの見解だ。
「そうそう、きみにも頼むつもりだったのだよ。あちらに専属のメイドや料理人を置くようにってね」
「本邸の配置を換えてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん、きみの裁量で好きなように配置してくれ。ああ、必要があれば、王都から連れて来てもかまわない」
公爵の言葉に、ジョバンニは眉をひそめそうになるのを堪えた。
察するに、サマンサの逗留は長期になる。
短期間であれば、人の配置換えまでする必要はない。
おまけに王都から呼び寄せるとなれば、大きな配置転換になるのだ。
つまり、サマンサに、それだけ重要性を置いている、ということ。
訊きたいことは様々あったが、すべて飲み込む。
公爵が「そうする」と言っているだから、それ以外の結果はない。
この決定は、けして覆らないのだ。
それに、アシュリーの前では訊けない内容もある。
隣で、リビーが、そわそわしていた。
落ち着かなげに、メイド服を掴んだり離したりしている。
彼女も、公爵に訊きたくてたまらないのだろう。
なぜ婚約者を迎え入れた直後に「愛妾」なのか、と。
アシュリーは、あの夜、たった1人で、ここに来た。
承諾を得ているとの理由から、両親に挨拶もせずに来たと聞いている。
もとより、アシュリーの両親は、彼女に関心をいだいていない。
だから、挨拶をしなくても平気だったのかもしれないけれど。
(姫様には……我が君のほかに寄る辺がないというのに……)
アシュリーは、子爵家の出だ。
上位貴族のラペル公爵家には力がなく、なんの後ろ盾にもならない。
ティンザー公爵家も格としては、下位に属していた。
だとしても、子爵家の令嬢と公爵家の令嬢とでは、そもそもの爵位が違う。
公爵家の中で格が下でも、全体で見れば、高位貴族とされるのだ。
仮に、サマンサが大きな態度を取ったとしても、アシュリーは立ち向かうすべを持たない。
さらに言えば、サマンサの立場が「愛妾」であるのが問題だった。
正式な婚約者はアシュリーだが、寵愛を受けているのはサマンサ、という構図ができあがってしまう。
「ジェレミー様、お相手のかたは、公爵家のご令嬢なのですね」
「そうだよ、アシュリー」
「それなら、私のほうから、ご挨拶に伺ったほうが良いのではないでしょうか」
「姫様が、そのようなことをなさる必要はございません」
本来、口を挟むべきでないことは、ジョバンニにもわかっていた。
だが、気づいた時には、言葉が出ていたのだ。
公爵は、のんびり構えているが、アシュリーは、びっくりした顔をしている。
目をしばたたかせ、ジョバンニを見ていた。
「姫様は、ご婚約者であられます。公爵家と同じ身分だとお考えくださいませ」
「でも、ジェレミー様のお客様ですし……」
気後れしているのが、ありありとわかる。
彼女が無邪気さから言い出したなら、ジョバンニも止めなかったかもしれない。
公爵の言った「特別な客人」の意味も知らず、来客に対して好奇心を持っただけだったなら、相手の出方にさえ注意をはらっておけばいいと判断できた。
(姫様は理解しておられる。その上で、爵位が下という理由で、自分が出向くべきだと、お考えになられたのだろう)
貴族社会では、爵位がものを言う。
高位の貴族が約束もなしに下位の貴族を訪ねるのは許されるが、逆は許されないという具合だ。
要は、高位の「来客」を下位の者は拒めない。
出迎えたり、自ら挨拶をしたりするのが当然とされる。
「挨拶は不要だよ、アシュリー」
「よろしいのですか?」
「どの道、会うことにはなるからね。挨拶は、その時でかまわないさ」
確かに、永遠に会わずにすませられるはずもない。
どこかの時点で、顔を合わせることになるはずだ。
その時が来るまでに、サマンサを調べておく必要があった。
無用にアシュリーが傷つけられるのを、ジョバンニは気にしている。
ジョバンニに対し、サマンサは、いかにも貴族といった話しかたをしていた。
アシュリーにも高圧的に出ないとも限らない。
自らが「婚約者」との立場を手にするため、アシュリーを傷つけ、蹴落とそうとする可能性だってある。
サマンサは、アシュリーの4つ年上で18歳。
実際、どんな手を使ったかは不明だが、ここに入り込むことには成功したのだ。
この先、どういう動きをするかは、わからない。
身の程をわきまえない言動をすることも、十分に考えられた。
公爵がサマンサを「寵愛」するとは微塵も思っていないが、それはともかく。
「私は、今後あちらに出向くことも増えるからね。アシュリーのことは任せたよ、ジョバンニ」
「かしこまりました」
内心の苛立ちを抑えつつ、頭を下げる。
挨拶をせずにすんだからか、アシュリーが、ホッとした様子を見せていた。
そのことで、ジョバンニは、わずかながら心の平静を取り戻す。




