3.ウォーレンサー家の暴走
模擬戦から一夜明けた翌日。
昼休み、僕は兄さんに一緒に食事をするべく、食堂に向かって歩いていた。
そこに現れたのが、
「やあ、グレン。フランルークも。久しぶりだね」
王太子だ。
声を掛けられて、兄さんは頭を下げたけど、僕はそのままだ。
何でこの人に頭を下げなきゃいけない。
「二人とも、昨日の模擬戦はすごかったね。グレンにも驚いたけど、フランルークはそれ以上だ。初めて君の本気を見た」
「……は。恐縮です」
「本当に真面目だねぇ、フランルークは」
アハハと笑う王太子を、僕は睨み付けた。
「ご用は何ですか? これから食事しにいくので、さっさと済ませて欲しいんですけど」
ぶっきらぼうに言ってやれば、またも王太子に笑われた。
「悪いけど、グレン、ボクに付き合ってくれ。ランディが来てる。――フランルーク、悪いけど、グレン借りるよ」
そう言われれば、拒否もできない。
兄さんにごめんと謝って、王太子に続いた。
連れて行かれたのは、学校長室だ。
「グレン、寂しかった」
そう言って義父さんが抱き付いてきた。まだたった三日だけど。
「昨日の模擬戦、頑張ったな」
そう言われて、首をすくめた。
「……ごめん、勝てなくて」
義父さんの希望は、忌み子と呼ばれる者の本当の力を世間に知らしめる事。
忌み子なんかいないと言うことを証明する事だ。
負けてしまっては、効果が半減だ。
「何、気にするな。私も見ていたけど、アレは相手が悪すぎる。正直驚いたよ。あそこまで力を付けているとはね」
「義父さんなら、勝てる?」
「どうだろうな。全力を出せば間違いなく勝てるだろうが……その時には結界もみんな吹き飛ばしてしまって、彼のことも殺してしまう。
殺さないように勝とうと思うと、ちょっと大変かもしれないな」
それに、と続ける。
「彼が精霊王と契約したら、間違いなく最強だね。そうなったらもう勝てないよ。
私も、メルの力の制御にはかなり苦労している。今でもね。でも、彼なら簡単に制御しそうだ」
その言葉には、笑うしかなかった。
確かに、その通りだ。
「それと、無属性魔法の強さに気付いた者も多い。忌み子と呼ばれる者の見直しを始めている者もいる。
やっと一歩踏み出したばかりだけど……、それでも踏み出せた。キミのおかげだよ、グレン。ありがとう」
僕は首を横に振る。
「義父さんがいなかったら、僕はあそこで死んでた。こうして生きていられるのは、また兄さんに会えたのは、義父さんのおかげだよ」
ちょっと恥ずかしかったけど、まっすぐ義父さんに、そう告げた。
「……ランディ、感動の対話中に悪いけど、本題に入ってもらっていいかな?」
どこか冷たい声が割り込んできた。王太子だ。
「親子の対話中に無粋ですよ、殿下」
「ボクだって暇じゃないんだ。さっさと、本題に入るよ」
「義父さん、本題って?」
王太子にはちょっと腹立ったけど、あのままだと恥ずかしいから、ちょうど良かった。
義父さんは、少し言いにくそうだった。
「……実はな、ウォーレンサー家から抗議があった。――グレンは我が家の人間である。コリンティアスの養子となっているとは、どんな卑劣な手を使ったのか、とね」
「……………………………………はい?」
僕が話を飲み込むまでに、少し時間が必要だった。
僕の養子契約には、何の問題もないはずだ。
除名処分にしたのはウォーレンサー家だ。そこから規定の三年、からさらに一年プラスして四年あけての養子契約。
除名されて、ウォーレンサー家とはまったく関係がなくなっているわけだから、僕が養子になるのに、ウォーレンサー家にいちいち伺いを立てる必要もない。
卑劣だと言われる筋合いはまったくないはずだけど。
「バリー・ウォーレンサーは、よっぽど面白くなかったんだろうね。自分が追放して死んだと思っていた人間が、ランディの所にいたのも、そいつが強くなっていたのも。
――昔は確かに、ランディと競ってたみたいだけど。今じゃもう、差は歴然なのに、それを認めようとしない」
王太子の言葉は、実に冷ややかだ。
「まともに取り合うのも馬鹿馬鹿しいんだけどね……。それでも、正式に抗議された以上は、行政側も動かざるを得ないらしい。グレン、キミにも確認が入ると思うから、覚えておいてくれ」
義父さんは、完全に呆れている。
僕も頷いたけど、面倒だな、という感想しか出てこない。
――兄さんは、知ってるのかな。
そして、放課後。事件が起きた。
僕が兄さんと帰っていると、校門にいた誰かが、僕の名前を呼んだ。
「見つけたぞ! グレン!」
呼ぶと言うより怒鳴ったその男が誰か、すぐに分かった。
かつて、僕の父だった男、バリー・ウォーレンサーだ。
手を捕まれそうになり、慌てて逃げる。
「――父上、なぜここに?」
兄さんが、間に入った。
「邪魔をするな、フランルーク! グレンは我が家の人間だ! 家に連れ帰る!」
「父上。グレンはコリンティアス家の養子です。我が家の人間ではありません」
興奮している男に対して、兄さんはあくまで冷静だった。
「そんなもの、コリンティアスが何か卑怯な手を使ったに決まっているだろう! 正式に抗議をしたから、奴の卑怯な手もここまでだ! 分かったら、連れ帰るぞ!」
「ま……待って下さい、父上。――正式に抗議したんですか?」
唖然とした兄さんの声が響く。
「……とりあえず、父上。ここではなく、一度家に戻ってから話をしましょう」
周りに人はたくさんいる。大声で怒鳴り散らしているから、完全に注目の的になっている。
だから、兄さんも場所を変えようとしたんだろうけれど、男には通じなかった。
「邪魔をするなと言っただろう! フランルーク!!」
男の手が、兄さんを張り倒した。
完全に予想外だったからだろう、兄さんはまともに受けてしまった。
「――兄さん!」
倒れた兄さんに駆け寄ろうとしたけど、その兄さんの手に制される。
「父上。調べろと言われて調べた結果を、昨日お伝えしたはずです。グレンの養子契約に卑怯な手は何一つありません。法に則って、正式になされた契約です。
父上のなされたのは、抗議ではなく、ただのイチャモンです」
「コリンティアスが、卑怯な手を使ってないはずないだろう!」
なおも喚く男に、兄さんが息を一つついた。
「グレン、すまなかった。正式な謝罪は、またいずれさせてもらう。……父上、戻りましょう」
叩かれた部分を庇うことなく、兄さんは男を引き連れていく。
ふと、視線を感じて見てみると、そこにいたのはパーリアとシルスだ。
二人とも、僕を睨んで、兄さん達の後を追っていく。
それを見送るしかできない僕に、声が掛けられた。
「当主は完全にイカレたね。あれじゃ、フランルークも大変だ」
王太子がそこにいた。
「妹と弟も、父親側の人間ぽいし。フランルークがまともなのが、せめてもの救いかな? だからこそ、あいつに全部責任がのしかかりそうだけど」
内容はともかく、口調と表情が完全に面白がってる。
僕からしたら、笑えるような事じゃなかった。
――次の日も、その次の日も、兄さんは学校を休んだ。
ウォーレンサー家からの抗議は、撤回されたらしい。
さらに、兄さんから義父さん宛てに、正式に謝罪に伺いたい旨、手紙が届いたらしい。
昼休みに学校に来た義父さんは、面白くなさそうだった。
「彼に謝罪してもらう必要は、まるでないんだよね。来るなら当主が来い、と言いたいところだよ」
まあ無理なんだろうけど、と手紙をピラピラさせながら、ぼやいている。
「ウォーレンサー家の嫡男なんだから、別におかしいわけじゃない。当主がおかしくなっちゃった以上、嫡男が動かざるを得ないのは、しょうがないよ」
王太子は、やはり面白そうだ。
義父さんは、そんな王太子を一瞥しただけで何も言わず、僕に声を掛けてきた。
「グレン。フランルークに返事を出しておく。内容は、『次の休みの前日、学校が終わったら、グレンと一緒に我が家に来い』だ。そう書けば、その日は何としても学校に出てくるだろう。
多分、疲れ切っているだろうから、少し気遣ってあげなさい」
「……あれ、ランディ、優しいじゃないか」
王太子はいささか意外そうな声を上げる。
「彼には何も責任はありませんからね。父親に振り回されて、それでも見捨てようとしない彼に敬意を表したまでですよ。
――それに、彼はグレンの味方でいた子ですからね」
「……ふうん。でも、気遣ってあげるなら、そんな学校に出てくる気遣いは逆だよ? 忙しいのに出なきゃ行けないって、余計に大変だと思うけど」
「それも落ち着く頃でしょう。実際、外に向けての対応はそんなに多くないと思いますよ? 大変なのは、内側、つまりこの場合、父親への対処でしょう。
相談できる相手もいなそうですし、少し表に出させて、気分を変えさせた方がいい」
「……やっぱり優しい」
王太子はつまんなそうだ。
「兄さんのこと、嫌いなんですか?」
今までの王太子の様子を思い出しつつ、そう聞いてみれば、王太子は「ぶっ!」と吹き出した。
義父さんは、笑ってる。
「――妹殿下がフランルークを気に入っているのが面白くないのは、陛下だけじゃないんだよ」
「ランディ!!」
王太子が思いきり義父さんを睨んだ。
何だ、そういうことか。やっぱり、公私混同じゃないか。
そして、約束の日。
兄さんは、学校に出てきた。
目の下に隈ができていて、明らかに疲れた顔をしているけど、それよりも問題が、この間、あの男に叩かれた所だ。ひどく腫れている。
声を掛けようとしたら、兄さんから先に声を掛けられた。
「久しぶりだ、グレン。この間は悪かった。――今日は、頼む」
「それはいいけど……、顔、ちゃんと治療してもらった?」
色々と魔法はあるけど、全部戦闘に使うような魔法ばかり。傷を治すような魔法は、存在していない。
医者にきちんと診てもらう必要があるんだけど……、何もしてないように見える。
「……顔? ああ、問題ない。大丈夫だ。見苦しいとは思うが、そこは許してくれ」
兄さんは、本気で一瞬何のことか分からないって顔をした。
痛くないはずないのに、まるで気にしてないみたいだ。
周りも誰も、医者に見てもらえって言わなかったのか?
僕は、問答無用で兄さんの手を取った。
「――おい、グレン?」
不思議そうな兄さんの声がムカついた。
向かう先は、医務室だ。
医者は、兄さんの顔を見て、一瞬絶句してたけど、すぐに治療を始めてくれた。
魔法の練習で、怪我なんかしょっちゅうのこの学校の医者だから、腕はいい。
兄さんは、大人しく治療を受けてくれた。
治療が終わった後、医者に怒られてた。
兄さんの言い訳が、「忙しかったし、そんなに痛くなかったから、いいかと思って」だった。
痛くないわけないじゃないか。見てるこっちが辛い。
その日、兄さんは医務室で寝ていた。
医者の命令だ。
強引にベッドに押し込められて不満そうだったけど、すぐに寝息を立て始めた。
やっぱり、すごく疲れてたみたいだ。
放課後。
家に向かう兄さんの表情は、固い。
ほとんどしゃべらない。
そんなに緊張しなくても大丈夫だって言っても、ムダだった。
そして、家に帰ったら、いきなり僕は義父さんに抱きしめられた。
「……苦しいんだけど」
「だって、寂しかったんだ」
「……しょっちゅう学校に来てたくせに」
兄さんが、切なそうな顔で見ていることに気付いて、僕は義父さんを引き離す。
「それよりも、お客さん! ちゃんと連れてきたよ!」
「そうだったね。――いらっしゃい、どうぞ」
義父さんは笑顔で言って、兄さんを中に招き入れた。
兄さんをリビングのソファに座らせて、僕が隣を陣取る。
そしたら、誰が口を開くよりも先に、水の精霊王が現れた。
「キミがフランルーク?」
「……え……あ……精霊王?」
「そ。水の精霊王だよ。――ね、お願いがあるんだけど。今ここで、お前と契約する、って一言言って?」
その場の全員が吹き出した。
「……待ちなさい、メル」
さすがに義父さんが口を出してきた。うん、いくら何でもメチャクチャだ。
しかし、水の精霊王は、不満そうにほっぺたを膨らませる。――言動がすごく子供っぽいんだよなぁ。
「だぁって、炎のが落ち込んで面倒なんだもん。落ち込むくらいなら、さっさと契約しちゃえばいいのにさ。だまそうが強引だろうが、契約しちゃえばこっちのもんなのに」
「……その考え方は、できれば改めてくれると、嬉しいんだがなぁ」
義父さんは困り顔だ。
義父さんだって、精霊王からの契約は断れないと思い込んでたんだ。模擬戦の後の、ミーシェの話は、義父さんもだいぶショックだったらしい。
そしたら、水の精霊王が、ビシッと義父さんを指さした。
「あのね! ランディも言ったし、グレンもフランルークも言ってたけど。どうしてかアタシたちが気に入るニンゲンってね、みんなそろって『自分はそんな器じゃない』って言うの。
もう聞き飽きた! 器じゃないニンゲンに、声かけるわけないでしょ! だから、もう面倒くさいから、強引にいっちゃった方が楽! 分かった!?」
まくし立てられて、何となく黙った。
まあ、精霊って長生きだもんな。寿命があるのかも分からない。
当然、自分たち以外にも契約したことくらいあるだろうけど……。
うん、まあ納得できるかはともかく、理解はできた。
「――と言うことで、分かってもらえたら、ほら、フランルーク。さっさと言って」
水の精霊王はまったく引き下がる気がないらしい。
話が元に戻った。
「メル、やめときなさい。さすがに、それは駄目よ」
「ええ? 何でですか、王?」
ミーシェまで出てきた。
「炎の精霊王と、お兄さんの問題だからよ。外野が口出ししないの。分かった?」
「……はぁい」
不満タラタラの返事だったが、その返事と共に、水の精霊王の姿が消えた。
ついでに、ミーシェも姿を消している。
一同、大きなため息をついた。
「…………………………………申し訳なかったね、フランルーク君」
「…………あ、いえ……」
何とも言えない空気が漂うが、そこで兄さんが姿勢を正した。
「こちらこそ、養子契約の件で、私の父がご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ありませんでした。この通り、謝罪させて頂きます」
立ち上がって、義父さんに深く礼をした。
そんな兄さんに、義父さんは声をかける。
「顔を上げなさい。謝罪は受け取るよ。――けれどね、正直に言えば、キミに謝ってもらう必要はないと思っている。キミはこれから、父親をどうするつもりだ?」
「考えている事はあります。ですが、それは我が家の問題です。そちらに、ご迷惑をかけないようには致します」
「そうか。何らかの助力が必要であれば、申し出ようと思っていたんだけどね」
義父さんのその言葉に、兄さんは驚いたようだった。
「……いえ、大丈夫です。お心遣い、感謝致します」
「兄さん、ホントに大丈夫なの?」
思わず、口を出してしまった。今日の兄さん、大丈夫じゃないのに、大丈夫だと言い続けている気がする。
「ああ、大丈夫だよ」
そうやって笑う兄さんは、どこか僕を近寄らせまいとしているみたいで、いやだった。
「フランルーク君。何かあったら言いなさい。力になるから」
義父さんがそう言ったら、兄さんはなんとも複雑そうな顔をした。
「――なぜ、そこまで仰って下さるのでしょうか。父とあなたは、仲が悪かったと伺っています」
「まあそうだけどね。キミと父親は別だろう? ――グレンから、あの家で唯一キミだけが味方だったと、話を聞いている。だからだろうね。
私は従弟が忌み子と言われたとき、何もできなかった。味方になってあげられなかった。だから、味方になってあげたキミを、応援したいんだよ」
兄さんは、うつむいた。
「……俺は、何もできてない。何もできなかった。父上の言うことに逆らえなかった。結局、俺は家に守られる立場に甘んじた。
本当に、グレンを思うんなら、グレンを連れて、あの家から出るくらい、しなきゃ駄目だったのに……!」
僕は、さすがに驚いた。
「そんなこと、できるわけないでしょ。兄さんだって、あの時まだたった10歳だよ。できるわけない!」
「グレンの言うとおりだよ。仮にそんな事をしたところで、生きていけるはずがない。やれたのにやらなかったことを悔やむならともかく、出来もしないことを悔やんでは駄目だ。
――実際、キミが渡したクッキーがなかったら、グレンたちが一ヶ月も生き延びられたかどうか、怪しいよ。そして、それがあったから、その後の回復も早かった。キミはできるだけのことをした。それは、きちんと認めなさい」
兄さんはうつむいたままだ。
そんな兄さんに、義父さんは薄く笑って、僕に視線を向けてきたので、頷く。
「兄さん、今日は泊まってくでしょ?」
「……いや、それは……」
兄さんが、顔を上げてくれたことにホッとする。
「泊まってってよ。ここまで、結構遠いでしょ? 帰るの大変だよ。――久しぶりに、一緒に寝ようよ」
兄さんが少し笑った。
「一緒に寝てたわけじゃなくて、お前がいつも俺のベッドに潜り込んできたんだろ。勝手に記憶をねつ造するな」
「一緒に寝てた事には変わりないよ」
兄さんは、僕だけじゃなくて、パーリアに対しても、シルスに対しても、当たり前に兄だった。
でも、僕は兄さんを独り占めしたくて、よくベッドに潜り込んでいた。その時は、僕だけの兄さんみたいで嬉しかった。
――その日の夜、兄さんは一緒に寝てくれた。
ただ、すごく疲れた顔だったのが、気になった。