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9 白鳥の園②

 ダイグル公爵家の馬車が修道院の庭に止まると、真っ先に寮で世話をする使用人が駆けつけた。その人数にシャルロットは眉をひそめた。

 ――メイドが四人に侍女も?

 五人も侍らせる女生徒など他にいない。驚きと羨望の声が上がる中、ディロンデル公爵令嬢ユージェニーだけが冷ややかな視線を向けていた


 〈デルフィーヌ〉を驚かせたのはそれだけではなかった。公爵家の馬車から最初に出てきたのは暗褐色の髪の青年、そして堂々とした壮年の男性だった。

 ――お兄様にお父様まで……。

 これも前世ではなかったことだ。かつてのデルフィーヌは家族から無視され、女学園に入る時も見送ってくれたのは執事だけだった。それが兄エルネストだけでなく、アンセルム・ダイグル公爵まで同伴してきたとは。


 同じ寮の少女たちは、高位貴族令嬢の華やかな装いを見て興奮気味にはしゃいでいた。

「やっぱり素敵ねえ」

「今の流行はあんな細いラインなのね」

「いいなあ、都の仕立て師に注文できるなんて」


 その言葉を素通りさせ、シャルロットはダイグル公爵家の人々を凝視した。公爵と公子が馬車から降りてくる者に手を貸した。鮮やかな菫色のドレスを着た黒髪と青い瞳のデルフィーヌ・ダイグル公爵令嬢だった。

 彼らは令嬢と親密そうに話し込み、やがて名残惜しそうに抱擁を交わすと馬車に乗り込んでいった。傍観する〈デルフィーヌ〉は、夢でも見ているような気分だった。


 ――前世では言葉を交わすことからほとんど無かったあの二人が?

 同じ事を別の存在として巻き戻す世界だと思っていたのだが、変わった事もあるのだろうか。

 ――いいえ、あり得ることだわ。そもそも私が、シャルロット・ロシニョールが以前とは違うのだから。


 想像もしなかったが、この世界のダイグル公爵令嬢は家族と親しい関係を築いているようだ。

 ――家族全員ではないわね。お母様は来ていなかった。

 気まぐれで、公爵邸にも滅多に帰らず愛人の元に入り浸っていた公爵夫人のことを〈デルフィーヌ〉は思い出した。彼女は前世のまま娘と距離を置いているのだろうか。


 考えても答えの見つからない疑問を切り上げ、シャルロットは友人たちと共に窓から離れて寮の自室に引き上げようとした。一瞬、鋭い視線を感じ、彼女は振り返った。窓から見える庭でさっと顔を逸らしたのはただ一人、ダイグル公爵令嬢だった。形容しがたい不安が〈デルフィーヌ〉の中に広がった。




 自室のベッドに横たわり、シャルロットは自身の左手首――幼い頃に友達のジョスを救った傷跡を見つめた。

 ――前世のシャルロット・ロシニョールには、こんな傷はなかった。

 ここが同じように見えて少しずつ違う世界なら、余計に慎重に振る舞わなければならない。

 ――とにかく、無事に新学期を迎えて下級貴族の授業に慣れて……。

 それから確かめなければならないことがある。デルフィーヌは最初にこの学園に入った時の記憶を呼び起こし計画を立てた。



     *          *



 女学園で最も大きな部屋――舞踏場ではダンスの授業が行われていた。

 王立学院の男子生徒との唯一の合同授業では、女子生徒はいつもの陰気な制服ではなくダンス用のドレス姿だった。


 向かい合う壁の両側に並び、そわそわと誰を誘うのか誰が誘ってくれるのかを囁き合う中、授業が始まる。ダンス講師である舞踏家夫妻が何かを話し合っていた。皇太子ルイ・アレクサンドルのパートナーを務めるはずのダイグル公爵令嬢が足を捻挫して見学のみになったのだ。


 予想外のことに、困惑のざわめきが広がった。他の者は全て二人組になっており、よりによって皇太子があぶれるという珍事が発生したのだ。そこに、ためらいがちな声がかけられた。

「……あの、私も相手がいないのですが」

 赤みがかったブロンドの少女が申し出た。皇太子は少し戸惑ったが相手に恥を掻かせまいと彼女の手を取った。ピアニストが音楽を奏で、授業が始まった。全生徒の注目を浴びながら、皇太子と女生徒――シャルロット・ロシニョールは巧みに踊った。無邪気な笑顔を向けるシャルロットに、儀礼的だった皇太子の笑顔も次第に自然なものになっていった。

 舞踏室の隅でデルフィーヌはそれを見ていた。見ていることしか出来なかった。



     *          *



 早朝の鳥の鳴き声でシャルロットは目を覚ました。心臓の鼓動が早鐘のようでしばらく息も出来なかった。

「……夢……」

 前世の夢だった。自分がデルフィーヌ・ダイグルだった世界の、シャルロット・ロシニョールに皇太子を奪われるきっかけになった出来事の。

「同じ場所の同じ頃の夢なんて厄介ね…」

 窓を開けて大きく息を吸い込み、シャルロットは頭の中をすっきりさせた。今日は女学園での第一日目だ。用意していた濃灰色の制服に着替えると、シャルロットは寮の友人たちと一緒に最初の授業がある教室に向かった。




 侍女や家庭教師になるための教育課程は多岐にわたっていた。新鮮な感覚でシャルロットは語学や数学、歴史などを学んだ。マナーに関しては苦労はなかった。公爵令嬢だった前世では公爵夫人の侍女マダム・ビオロに厳しくしつけられ、現世でもマダム・モワノが男爵夫人の世話の合間に仕込んでくれたからだ。


「シャルロットの動作はとても綺麗ね」

 友人のロールが羨ましそうに言うと、彼女の隣でフェリシーも頷いた。

「やっぱり貴族の家は家庭教師が付くんでしょ」

「うちはそういう人はいなかったけど、母の侍女が行儀作法にやかましかったから」

 二言目には『奥様の名誉』を持ち出して指導してくれた彼女が、今は少し懐かしかった。




 数日後、高位貴族との合同授業がある日に、再度前世での出来事の夢を見た。

 皇太子と踊った後にダイグル公爵令嬢の取り巻きがシャルロットの私物に目を付けて恥をかかせようとした事件の夢だった。

 目を覚まし、少し考えた後でシャルロットは箪笥の引き出し奥に入れていた小箱からある物を取り出した。




 合同授業は広い教室で行われ、少女たちは階級ごとに分かれて座っていた。修道院附属の学園らしく制服は質素で装飾もなく、白いカラーとカフスが付いているくらいだ。

 高位貴族の者はそれを華やかなレースに替えてせめてものおしゃれを楽しむのが通例で、規定どおりの下位貴族や平民出身の者とは一線を画している。今の〈デルフィーヌ〉には馬鹿馬鹿しく思えた。

 ――あれで裕福さを誇示したつもりかしら。でも、サラ・パンソン嬢の家より資産のある貴族がどれだけいるんだか。

 前世と同じであれば没落しつつある家の娘たちをシャルロットは皮肉な目で眺めた。


 授業は礼儀作法の実技で、宮廷などの公式の場でのマナーを講師が説明した。

「こういった場では身分が上の者から話しかけられるまでは下位の者が発言することは許されていません。礼をとり、視線を合わせず待つこと。いいですね」

 そう説明し、講師は数グループに分けて実戦させた。シャルロットは下位の集団で上位の令嬢たちが近づくのに淑女の礼をした。上位の令嬢の先頭にいるのは、モワイヨン侯爵令嬢ベアトリスだった。


 ――久しぶりね、ベアトリス。お父様の博打好きは今も直らないのかしら。

 前世ではダイグル公爵令嬢といつも行動を共にし必死で公爵家との繋がりを持とうとした少女に、デルフィーヌは心の中で話しかけた。


 ベアトリスはわざとゆっくりと進んだ。優雅に見えて筋力を使う淑女の礼を長引かせて脱落者を楽しむためだ。彼女の期待どおりにぐらつく少女が出てきた。すかさず講師が厳しく指摘する。

「そこ、ふらついていますよ。苦しくてもしっかりと膝を曲げて上半身を倒す角度を維持して」


 見学組の間から、無理、とか、ちょっと長くない、という言葉が囁かれた。少女たちの間を歩いていた講師はシャルロットの前で足を止めた。

「とてもいいですよ、ロシニョールさん。姿勢が安定していて美しい礼です」

 目を細める講師にベアトリスは面白くなさそうな顔をし、合図をされて仕方なしにシャルロットたちに声を掛けた。

「ご機嫌よう」

「ご機嫌よう、モワイヨン様」

 顔を上げて彼女に答えたシャルロットは、相手だけに見える角度で笑って見せた。あからさまな嘲笑を込めたそれに、侯爵令嬢の顔色が変わる。




 授業が終わり、シャルロットは友人たちと寮に戻ろうとした。彼女たちは口々に男爵令嬢を褒めた。

「すごいわ、シャルロット。先生が褒めたのはあなただけよ」

「私たちも何だか嬉しくなっちゃった」

「たまたまよ」

 賑やかな一団は、冷ややかな声に動きを止めた。

「そこのあなた」

 つかつかとやってきたのはモワイヨン侯爵令嬢だった。彼女はいきなりシャルロットの左手首を掴んだ。 

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