8 白鳥の園①
女学園の章です。
皇都シーニュは記憶と変わっていなかった。シャルロットは中央駅から乗合馬車で聖ミュリエル修道院に直行した。
学園の通用門で応対してくれた尼僧は親切に寮に案内してくれた。
女学園は全寮制で、建前は神の御前に等しく学ぶというものだった。もちろん、現実は格差に満ちていた。
高位貴族のご令嬢は厳格な修道院で花嫁修業をすることで価値を上げ、下位貴族令嬢や裕福な平民の娘の中には侍女や家庭教師の資格を得て紹介状をもらう目的の者が多い。寮も高位貴族用と下位貴族・平民用に分かれている。
前世のデルフィーヌは専用のメイドを公爵家から三人連れてきた。伯爵家以上の家であればそれが常識だった。
今のシャルロットは下位貴族と平民用の部屋に入ることになった。広くはないが作り付けの箪笥と書き物机があり、勉強ができる環境だった。
先に送っていた荷物をほどき箪笥に収めた。制服があるため、私服は数点の部屋着や外出着があれば事足りる。公爵令嬢時代は衣装管理はメイド任せだったが、今は自身でやらねばならない。
あらかた片付いた頃に、控えめなノックの音がした。ドアを開けると、見習い修道女がいた。
「この棟の入寮者のお世話をするメリナです」
メイドを持たない寮生の身の回りのことを見習いがするようだ。おそらく、ひと棟につき何人かが割り当てられているのだろう。シャルロットは頷いた。
「よろしく、メリナ。洗濯物はどこに出せばいいのかしら」
「お部屋の箪笥にある袋に入れて、浴室の入り口の籠に入れてください」
「分かったわ。慣れないから色々と教えてちょうだい」
年下の少女にシャルロットは微笑んだ。そして、鞄から小さな袋を取り出した。
「焼き菓子が入ってるの。日持ちするから一度に食べなくても大丈夫よ」
「そんな…」
「これからお世話になるご挨拶よ」
男爵邸のコックたちが餞別代わりにくれた焼き菓子を渡すと、メリナは幾度も頭を下げて出て行った。シャルロットは息を吐き出した。
――下働きの者は色々と情報が集まるから、繋ぎを付けておく必要があるわ。
何の後ろ盾もない者が潰されずに生きて行くには、独自の人脈を築かねばならない。
――貴族名鑑には確かにデルフィーヌ・ダイグルの名前があった。普通の公爵令嬢なら関わらなければすむこと。ただし……。
壁に掛けられたカレンダー兼予定表に目をやると、そこにはファロス歴1008年とあった。
デルフィーヌが死んだ年の三年前。皇王ルイ・レオポルド、皇后ヴィクトワール、皇太子ルイ・アレクサンドルが存在することも調べている。
――とにかく、ここでの生活に慣れることね。
〈デルフィーヌ〉はそう考えた。上位の成績を収めれば聖ミュリエル修道院長の紹介状がもらえる。特に地方の貴族にとっては効果絶大なはずだ。
なるべく皇都から遠い領地の屋敷に雇われれば男爵夫人の病気を理由に転々とすることが出来る。ロシニョール男爵に利用価値がないと思わせ所在を掴ませなければ、ニドの街に行けるだろう。
そのためにはここで何事もなく学んでいかなければならない。今のシャルロットの強みは〈デルフィーヌ〉に残る貴族知識と教養だ。貴族名鑑には記憶にある者が全員載っていた。この世界は前世と変わらない、というよりほとんど時間を巻き戻しただけのように彼女には思えた。
――二年前のエスパ風邪の大流行も、確かに聞いたことがあるわ。皇都でも貧民街でたくさん死者が出たと。
敵に回してはならない者、味方に付けなければならない者。それらを慎重に見極め、立ち回ることは男爵邸で身につけた。この世界での〈デルフィーヌ〉は公爵令嬢ではなく、男爵の庶子で平民育ちだ。二つの世界で得たものを最大活用する。今日はその第一歩だ。
部屋着に着替えて赤みを帯びたブロンドを三つ編みにまとめる。前世のシャルロット・ロシニョールはこの目立つ色の美しい巻き毛を見せつけるように華やかに広げていたが、あえて不要に目立つことを避けた。彼女は鞄から焼き菓子の袋をもう一つ取り出した。
廊下に出たシャルロットは、最も賑やかな笑い声がする部屋を選びノックした。
「失礼します。今日入寮したシャルロット・ロシニョールです」
室内にいた少女たちは驚いていたが、可憐な容姿のシャルロットににこやかに挨拶されてすぐに笑顔になった。
「どうぞ、入ってください。今、みんなと地元のお菓子を持ち寄っていたの」
「まあ、私も屋敷の者が持たせてくれた焼き菓子を持参しましたのよ」
歓声が上がり、すぐにシャルロットは寮生たちの輪に入った。
室内は相部屋で、平民階級の少女たちのようだ。平民と言っても、中には下級貴族などより裕福な者もいるだろう。彼女たちの私服から、〈デルフィーヌ〉は大体の見当を付けた。
「シャルロットさんは男爵家なのですね」
一人が驚いた声を出した。それに恥ずかしそうにシャルロットは首を振った。
「男爵と言っても、領地も持たない成り上がりと高位の方々には馬鹿にされる程度の家です」
哀しげに俯くと、少女たちは察してくれたようだった。身分は一応貴族でも実情は平民に近いのだと思ってくれれば成功だ。もう一押しとばかりにシャルロットは続けた。
「…それに、実は母が心の病で」
ざわめく少女たちは、今や同情の目を向けていた。
「それは大変でしょうね」
「今度、実家の方に療養に行くことになって……。せめてここで頑張って家の者を安心させたいと」
「私たち、みんな仲間ですわ」
「助け合っていきましょうね」
「…ありがとうございます」
はにかみながら笑顔を見せると、彼女たちは寮の仲間は姉妹同然だと盛り上がった。
――これで、この寮で苦労することはなさそうね。
不安要素を一つ取り除けたことに〈デルフィーヌ〉は満足した。
入寮は交通事情を考えて地方に住む者から早めになる傾向がある。皇都に私邸を持てる高位貴族は先に使用人を向かわせて準備をさせ、本人は直前にやってくるのだ。
自身の経験を思い出し、面倒な者がいないうちに学園内を覚えておこうとシャルロットは同じ寮の少女たちを誘った。
濃い灰色の質素な制服に身を包み、彼女たちは案内図を頼りに校舎を歩いた。
「本当にだれもいないのね」
「在校生は夏期休暇から戻っていないのよ」
「教室は似たような部屋ばかりだから間違えないようにしないと」
他愛ないおしゃべりに加わりながら、〈デルフィーヌ〉は学園内が前世の記憶と合っているか確認していた。
――変わっていないわ。飾られた絵や置物までそのまま。
最後に談話室をドアの外から眺め、少女たちは短い冒険を終えた。
「あそこの使い方に決まりはあるのかしら」
心配そうに商家のフェリシーが言うと、農場育ちのロールが提案した。
「先輩たちが休暇から帰ってきたら、挨拶がてら訊いてみましょうよ」
それに全員が賛同し、〈デルフィーヌ〉も賢明だと思った。上位貴族同様に、下位貴族や平民であっても集団内にはヒエラルキーが発生する。今の自分たちは最下層なのだから教えを請う態度で先輩方に接するのが良策だろう。
新学期まで三日を切ると、寮は加速度的に賑やかになった。シャルロットのいる寮の上級生たちは、緊張気味に挨拶に来た新入生たちを気さくに受け入れた。
「慣れるまで大変だと思うけど、何かあれば私たちに訊いてね」
寮監を務める最上級生エミリー・ゴージュが新入生に向けて笑顔を見せた。彼女の隣にいる副監サラ・パンソンが回想するように言った。
「ここは貴族のお嬢様がたのために作られた学校だから、邪魔者扱いされることも覚悟して」
「脅かさないのよ、サラ」
エミリーが友人を肘でつつき、不安そうな新入生に付け加えた。
「といっても、授業そのものが別なことがほとんどだから、合同授業で気をつければいいのよ。あちらは花嫁修業気分で、厳格な修道院で淑女教育を受けたって箔付けが目的なんだから」
違いない、と〈デルフィーヌ〉は苦笑する思いだった。子爵令嬢のエミリーと国外にも大きな影響力を持つ財閥一族のサラが、階級を超えて親友のような関係を築いているのが少し羨ましかった。
授業開始二日前はさすがに高位貴族の令嬢たちもほとんどが入寮した。自分の寮の窓から彼女らを眺め、〈デルフィーヌ〉は前世の記憶と照合した。
ピヴェール伯爵令嬢シルヴェーヌ、コルポウ伯爵令嬢マドロン、コルモラン侯爵令嬢ペネロープ、モワイヨン侯爵令嬢ベアトリス、ディロンデル公爵令嬢ユージェニー。
ダイグル公爵家の対抗勢力であるディロンデル公爵令嬢に〈デルフィーヌ〉は注目した。武のダイグル、智のディロンデルと讃えられ皇国の両輪と呼ばれた両公は犬猿の仲でも知られていた。
――前世では、あの堂々とした姿に気後れして避けていたわね。
敵にすると恐ろしい者は味方になれば頼もしい。必要があれば彼女の懐に入る手段を探さねばならないかも知れない。
シャルロットの周囲がざわめいた。修道院の正門からひときわ豪華な馬車が入ってきたためだった。その紋章には見覚えがあった。剣を掴む大鷲。
ダイグル公爵家の令嬢が聖ミュリエル修道院付属女学園に登場したのだ。