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7 小夜鳴鳥の箱庭②

 日に日に、男爵夫人はシャルロットが側にいてもぼんやりとしていることが多くなった。

 いよいよお役御免だろうかと考えていると、意外な人に声をかけられた。

「私の部屋でお茶にしましょう」


 男爵夫人の侍女であるマダム・モワノに誘われ、シャルロットは戸惑いながらも彼女の部屋を訪れた。

 すっきりとした優雅な茶器はお茶の色と香りを引き立てていた。この家で趣味がいいと呼べる調度品や小物などは、男爵夫人とその侍女が伯爵家から持ってきたものだ。


 カップを置くと、眼鏡を光らせながらマダム・モワノが口を開いた。

「奥様のご実家に連絡を取ってみました。まだ伯爵家の大奥様がご健在で、奥様のことを非常に心配しておられました」

「では、あちらに?」

「男爵の説得が難しいでしょうが、あの男も世間体を切り出せば承諾するでしょう」


 これで解放される。期待に胸を躍らせる〈デルフィーヌ〉に、彼女は質問した。

「あなたはどうするつものなの?」

「私、ですか?」

 突然の言葉に驚いたものの、シャルロットは迷わず答えた。

「ニドの街に戻ります」


 家族の元にと心の中で付け加える少女に、男爵夫人の侍女は首を振った。

「それは難しいでしょうね」

「どうしてですか? 私はただの庶子で使用人も同然なのに」

「それでも、あなたは男爵家の養子として正式に手続きがなされ、貴族名鑑にも載っているのよ」


 〈デルフィーヌ〉は愕然とした。あの男爵がそんな面倒なことをしていたなど予想外だった。

「役に立たなくなれば、この家を出られると思ってた…」

「男爵は、引き取ったからには自分の道具とでも思っているでしょう」


 あり得る話だとシャルロットは頷いた。最悪、見知らぬ男と結婚させられるかもしれない。そうなれば二度と家族と再会することは叶わなくなる。マダム・モワノは顔をこわばらせる少女に提案した。

「下級貴族の娘が身を立てていく方法は少なくても存在します。高位貴族の侍女か家庭教師として働くか、宮廷の女官を目指すか」

「でも、それには紹介状が必要になるのでは」

「相応の教育もね」


 ここで子供の真似事をしていては得られないことだ。公爵令嬢時代の教育は礼儀作法や社交術がほとんどだった。マダム・モワノが唐突な質問をした。

「皇都の聖ミュリエル修道院を知っていますか?」

 動揺を隠してシャルロットは頷いた。それは前世で彼女が学んだ女学園が附属している修道院だ。男爵夫人の侍女は続けた。

「そこに併設された女学園で下級貴族や一部の平民も学ぶことができます。優秀な成績で卒業すれば修道院長様の紹介状をもらうことも」


 考えもしなかった未来だが、それならこの家を出ることができる。顔を上げた少女を見て、マダム・モワノは告げた。

「学園への推薦は奥様のご実家がしてくださいます。男爵には貴族に相応しい教養を身につけさせないと体面が悪いとでも言っておきましょう」

「…ありがとうございます」


 礼を言うシャルロットに、彼女はことさらに頭をそびやかした。

「いつまでも子供のままでは奥様の名誉に関わりますからね。学園ではちゃんと勉強するのですよ」

 口では厄介払いのように言うが、そのための尽力は少なくなかったはずだ。シャルロットは再度彼女に頭を下げて部屋を出た。




 ――まさか、またあそこに行くとはね。

 子供部屋で着替えた〈デルフィーヌ〉は苦笑めいた気分だった。


 元々あった物を捨てることは出来なくとも、この部屋は最初よりはましな景観になっている。

 大きな人形やぬいぐるみは隅に片付けられ、溢れるような子供服も箪笥に収めた。シャルロットは裁縫箱を取り出すと、大きな子供服のような衣装を少しずつましな物に直した。


 針を手にすると、つい日当たりのいい窓辺で仕立て仕事をするイルマを思い出してしまう。祖母が糸車を回す音、二人の話し声、それらを聞きながらうとうとするのが好きだった。

 エフィがシャルロット・ロシニョールだったという事実を知ってから、〈デルフィーヌ〉はどうしても理解できないことを抱えていた。

 ――あのシャルロットはニドの街で愛されて育ったのに、家族の元に戻ろうとは思わなかったのかしら?


 前世でのシャルロット・ロシニョールは確かに男爵の庶子で、そのことを引き合いに出して皇太子に近づくなと罵った記憶がある。攻撃されたことを逆手に取り常に自分を被害者側に置くことに恐ろしく長けていた、したたかな女だった。

 ――それに、ロシニョール男爵があの女を溺愛していたのは有名な話だったし。


 あの男爵の機嫌を取るには男爵好みの女を演じる必要がある。執着されないことを選んだ〈デルフィーヌ〉は、彼の趣味とは真逆の外見と態度を取ってきたのだが。

 前世でのシャルロット・ロシニョールの甘ったれた話し方と隙あらば男性に媚びを売ろうとする仕草を、どれだけ嫌ったことか。


 他にも彼女には気掛かりなことがあった。

 この世界に『デルフィーヌ・ダイグル』は存在するのだろうか。

「貴族名鑑を見る必要があるわね」

 小さく呟いた時、窓の外に大きな荷車が到着したのに気付いた。


「……マンショ商会」

 側面に書かれた会社名は高級家具を扱う店だった。

「また、高いだけで下品な家財道具が増えるのね」

 辛辣な言葉を吐いた後で、ふと気になった。ロシニョール男爵は爵位のみで領地を持たない。何か事業をしているようだが、こんな贅沢ができるほどの財を築いているのだろうか。

 ――特にこの二年ほどは浪費が酷いわ。


 更に、優しかったメイドのアンヌが屋敷から別の場所に移されたのは、休みの日などはエフィのためにニドの街の者と連絡を取っていたのも理由だった。男爵は屋敷の人の出入りに過剰なほど神経質な一面があった。

 ――どう考えてもろくでもない事よね。


 それ以上は深く考えず、シャルロットは服の手直しに集中した。女学園で必要な物は分かっていたが、一人で準備するのはかなり手間だ。それでも、この家から出られるという希望は何よりの原動力だった。




 初夏にさしかかった頃、シャルロットは男爵の部屋に呼ばれた。緊張しながら入室すると、そこにはマダム・モワノの姿もあった。

 彼女はいつもの冷静な声で男爵に進言した。

「いつまでも奥様の相手だけでは貴族令嬢に相応しい教養は身につきません。社交界に出さなければ男爵家の内情を疑われますし、礼儀も身につかずにデビューさせては、恥を掻くのは男爵様です」


 苦い顔をしたロシニョール男爵は、ふん、と鼻を鳴らした。

「分かった、その学校で勉強させればいいんだろ」

「卒業時に皇都で社交界デビューできれば、いい縁談に恵まれることもありますので」


 男爵は侍女の言葉をせせら笑った。

「こんな不器量な奴が? まあ、一人くらいは物好きがいるかもしれんな。おい、勉強する金は出してやるから、どこかの金持ちでも捕まえてこい」

 シャルロットはぺこりと頭を下げた。男爵はうんざりした様子で二人を部屋から追い出した。




 廊下に出ると、少女はマダム・モワノに礼を言った。

「ありがとうございます。本当に皇都に行けるなんて」

「これからはあなた次第ですよ。とにかく、奥様の名を汚さないように」

 そっぽを向く彼女の顔が少し赤らんでいるのを見て、少女は再度頭を下げた。




 皇都シーニュの女学園行きを男爵邸の使用人たちに告げると、喜んだり残念がる声で台所は騒然となった。

「そうか、皇都で勉強するのか」

「ロロットなら侍女でも家庭教師でもなれるよ」

「いや、宮廷の女官だろ、どうせなら玉の輿だよ」

 彼らにこれまでのお礼とお別れの言葉を言い、シャルロットは本格的に準備に入った。




 実月フリュクティドール、二の十曜日。とうとう出発の日が訪れた。

「駅まで馬車を使わないのか?」

「配達の荷車に乗せてくれるって。荷物は先に送ったし」

 男爵家の馬車には近寄りたくない記憶があるのだが、使用人たちには適当に答えた。彼らは別れを惜しんでくれた。

「身体に気をつけろよ」

「嫌な奴がいても我慢するんだぞ」


 仲間のように受け入れてくれたコックやメイドたちに手を振り、鞄一つだけを持ってシャルロットは男爵邸を出た。男爵の用心棒役のエリクや母を鞭打った御者プロスペールは顔も見たくなかった。幸い、彼らも使用人たちを見下し台所に出入りすることもなく、不愉快な思いは最低限に留められた。


 シャルロットは一度だけ屋敷を振り向いた。気の毒な男爵夫人の部屋を見て、マダム・モワノが窓辺で見送ってくれるのに気付いた。

 少女は荷馬車に乗り、門を出た。二度と戻ることのない屋敷を〈デルフィーヌ〉は出発した。

この章はここまで。次は皇都に舞台を移します。

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