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52 北限の鷲⑬

 転移装置暴走の衝撃に吹き飛ばされ、床に叩きつけられたシャルロットは傷の痛みで覚醒した。だがすぐに違和感に気付いた。腹部には異常がなく、代わりに左手首がずきずきと痛む。

 何故と思いながら目を開くと、室内は悲惨な有様だった。ピエールは崩れかけた機械に挟まれ、身動きもとれない様子だ。そして、もう一人倒れている者がいた。薄紫の夜会服に赤みを帯びたブロンドが散らばっている。その脇腹は血で染まっていた。


「……え?」

 自分自身を見た〈デルフィーヌ〉は驚愕した。メイドの制服に長い黒髪。右手に握ったナイフからは血が滴っている。ついさっきシャルロットを刺したデルフィーヌ・ダイグルとして彼女は目覚めたのだ。

「あの機械のせいなの?」

 世界を渡る装置が暴走した結果なのだろうか。立ち上がったまま呆然とする中、こわばった手からナイフが滑り落ちた。その音に誘われたようにシャルロット・ロシニョールがうめいた。上体を起こし、頭を振り、そして自身の腹部の傷に目を瞠りこちらを見た。

 二人は凍り付いたように無言で互いを凝視し続けた。そこに、ピエールの笑い声が響いた。

「何てことだ、その傷によって特異点として結ばれた君たちが、同じ傷を負うことで歪みから解放された訳か。おめでとう、自分自身に戻った感想はどうだい?」


 自分自身という言葉にデルフィーヌは両手を握りしめた。今は頭痛も時折襲ってきた失調感もない。彼女はデルフィーヌ・ダイグルだ。

 だが、同時にこの世界でのダイグル公爵令嬢がしでかした数々のことが思い浮かんだ。何より、父や兄と通じていたことに自然と表情が険しくなる。

 ピエールのくすくすと笑う声に彼女は振り向いた。重傷を負った革命家は気の毒そうに告げた。

「ああ、そんなに嫌そうにしなくていいよ。彼女の行状は前の世界に比べたら清廉潔白と言って良い。この世界で男を操るのは薬で事足りたからね」

 にわかには信じられない事だが、シャルロット・ロシニョールはそっぽを向いている。ピエールはしゃべり続けた。その声は次第に辛辣な響きを強めていった。

「これからの君たちは大変だろうね。シャルロットは公爵令嬢よりも公爵令嬢らしい男爵令嬢を求められ、デルフィーヌ、君は罪人だ」

 

 間もなく部屋の外から覚えのある声がした。

「こっちか?」

「扉が開いてる!」

 ピエールの血だらけの顔が皮肉っぽく歪んだ。

「ああ、白馬の騎士の登場だ。君が誰なのかを信じてくれるといいね」

 その言葉にデルフィーヌが蒼白になる中、駆け込んできたのはアロイス、ウジェーヌ、そしてマルセルだった。彼は真っ先に倒れているシャルロット・ロシニョールに駆け寄った。

「エフィ!」


 ウジェーヌとアロイスも続き、彼女の腹部の傷に布を押し当てた。シャルロットはその様子に驚いていたが、デルフィーヌに視線を流すと邪悪な微笑を浮かべた。そして、救出に来た男たちに弱々しく縋り付いた。

「……助けて、ウジェーヌ様、アロイス様…」

 彼女を支え、マルセルが励ました。

「もう大丈夫だからな」

 公爵令嬢を指さし、シャルロットは涙ぐみながら訴えた。

「…あの人が……」


 マルセルは初めてデルフィーヌに顔を向け、メイド姿の彼女と足元に転がるナイフを見た。

 ――マルセル兄さん!

 〈デルフィーヌ〉が心の中で叫ぶ。だが彼のやつれた顔に浮かぶのは憤怒と憎悪だけだった。

 それは前世で数え切れないほど見た光景だった。誰もがシャルロット・ロシニョールを信じ、守り、デルフィーヌ・ダイグルの言葉に耳も貸さず嫌悪する。


 マルセルから顔を背け、彼女は部屋から飛び出した。下には自警団が行き来しているのを見て階段を駆け上がる。息を切らしながら辿り着いたのは最上階の見張り台、前世での終焉の場所に彼女は立っていた。

 ――どうすれば……。

 強い風に晒されながらデルフィーヌは途方に暮れた。こんな話など誰も信じてくれない。どんなに訴えても、あのシャルロット・ロシニョールが否定すれはそれでおしまいだ。


 自分に向けられたマルセルの冷たい目を思い出すたびに、傷ついた左手首よりも胸が痛む。もう二度と『エフィ』と呼んでもらえない。それどころか、この姿では母イルマに会うことすら出来ない。じわじわと絶望感が気力を蝕んでいった。

 ――そのために頑張ってきたのに……。

 階下で銃声が聞こえ、デルフィーヌは肩を震わせた。自分を捕らえる自警団だろうか。ダイグル公爵令嬢は皇太子の暗殺未遂という大逆罪も犯している。逮捕されれば極刑以外あり得ない。


 ふらふらと、風に流されるようにデルフィーヌは見張り台の鋸壁へと歩いた。いつしか曇天から雪が降り始めていた。どうしてもあの日に重なることばかりだ。

 大きな音と共に誰かが見張り台の入り口を開け放った。マルセルだった。彼の持つ銃を目にして、デルフィーヌは壁の狭間に上がった。兄の顔をまともに見られない。もう一度さっきのような目をされたら耐えられるか分からなかった。

 ――これもあの女の差し金?

 シャルロット・ロシニョールであれば、マルセルにデルフィーヌを殺させて後から喜々として種明かしをしかねない。相手の弱みを見つければどこまでもいたぶり尽くす女だ。


 荒々しい足音が近づいてくる。ひときわ強い風がデルフィーヌの長い黒髪を吹き上げた。後ずさっていた身体が揺れ、背後へとゆっくりと傾く。

 ――結局、こうやって終わるしかないの? あの人に『妹』を殺させるよりは…

 絶望の中で目を閉じると覚えのある浮遊感が襲う。だが、落下はがくりと止まった。見上げた先に、デルフィーヌの左手を掴むマルセルがいた。彼は顔をしかめて怒鳴った。

「くそっ、血で滑る。そっちの手も伸ばすんだ!」


「……どうして…」

 手袋を咥えて投げ捨てるように外し、マルセルは身を乗り出した。もう一方の腕を伸ばし、声を限りに叫ぶ。

「諦めるな! 戻ってこい、エフィ!!」

 涙が彼の顔をにじませる。デルフィーヌは懸命に右手を伸ばし、マルセルの大きな手がしっかりと掴んだ。


 鋸壁に引き上げられ、見張り台に降りた瞬間に、前世の最期の記憶が押し寄せた。雪の冷たさと、一人で死んでいく虚しさ、寂しさ。口元を押さえて嗚咽を堪えても涙は止まらない。マルセルがそっと彼女を抱き寄せた。暖かな腕の中で、デルフィーヌは子供のように声を上げて泣いた。




 マルセルに抱えられるようにして階段を降りながら、デルフィーヌは気になっていたことを訊いた。

「どうして入れ替わりに気付いたの?」

「最初はエフィが刺されたのに動転したけど、何か変だと思った。俺に目もくれずにガロワ様やヴォトゥール様にべったりで。ガロワ様も気付いたみたいで、いきなりピエール・ロベスを処分すると言い出した。そしたら、あの女はガロワ様の銃を奪い取って俺たちに発砲した。『ピエールに触るな、クズが!』って叫んで。…あの顔はエフィじゃなかった」


「……そうだったの…」

「もっと早く気がついてれば…」

「分かってもらえただけで充分よ」

 デルフィーヌは首を振り、マルセルは記憶にあるより高い位置にある頭を撫でた。シーニュでピエールに告げられた事が浮かぶ。エフィの存在を疑うような言葉の数々を彼は否定した。その前世が誰であっても、姿すら変わっても、ニドの街と家族への思いを持ち続ける者が『エフィ』だ。

 

 転移装置の部屋に戻ると、ウジェーヌとアロイスがほっとした顔で迎えてくれた。

「良かった、連れ戻せたんだな」

 アロイスは脚を負傷しウジェーヌの肩を借りていた。デルフィーヌはさっと顔を曇らせた。

「大丈夫ですか、ヴォトゥール様」

 媚びのない気遣いに彼らは笑った。

「確かに僕たちの知っているロシニョール嬢だ」


 デルフィーヌはシャルロット・ロシニョールを探した。武器を奪われた彼女は腹部の傷を庇いながら、機械から首が生えているような状態のピエールに縋り付いていた。

「ねえ、死なないでよ。言ったじゃない、あたしが世界で一番のお姫様になれる世界を作ってくれるって」

 ピエールは薄く目を開け、共犯者の耳元で何事かを囁いた。シャルロット・ロシニョールは小さく頷き、監視が緩んでいるのを確かめると起動スイッチ付近のレバーを最大まで引き上げ、スイッチを押した。その瞬間、彼女の小柄な身体が衝撃で跳ね上がった。獣の断末魔のような声を耳にしたデルフィーヌたちは顔色を変えた。


 転移装置は発光し、部屋中に強風が渦巻いた。天井の円環は超高速で回転したが、限界を超えた負荷に次々と火花を上げ、落下し始めた。塔全体が振動し、壁や天上からぱらぱらと砂粒が落ちてくる。その中でピエールの哄笑が響いた。

「逃げろ! 崩れるぞ!」

 マルセルはデルフィーヌを抱えて塔を駆け下り窓から飛び降りた。負傷したアロイスに手を貸し、必死で塔から離れる。塔の出口で待機していたシモンが仰天した。

「何があったんですか、そのお嬢さんは?」

「説明は後だ、全員待避!」

 転移装置があった低層階がへこむように崩れ、北限の塔は崩壊した。


 空を隠すほどの土埃に顔を覆っていた人々は、恐る恐る起き上がった。かつての辺境の砦は瓦礫と化し、所々にのぞく機械の残骸は尚も火花を散らしている。

「……終わったの?」

 呆然としたデルフィーヌの言葉に、マルセルが頷いた。




 塔の瓦礫の捜索が始まって間もなく、シャルロット・ロシニョールが無残な姿で発見された。

 自警団を遠ざけ、遺体を乗せた担架を前にウジェーヌ・ガロワが深刻な問題を切り出した。

「さて、これはシャルロット・ロシニョール嬢の遺体なんだが、どう報告したものか…」

 彼らの視線を受けて、デルフィーヌは事の重大さを感じた。本来の自分に戻ると同時に、家も名も捨てなければならないようだ。それでも、彼女の返答に迷いはなかった。


「私がこれからロシニョール男爵令嬢として生きるのは無理です。でも、この世界の私はダイグル公爵家とは何の関係もありません」

 その言葉を半ば予期していたような表情でウジェーヌは頷いた。

「なら、これはダイグル公爵令嬢だ」

 四人はこのことを一生秘匿することになるのだと理解した。

「顔は判別できないし四肢の損傷も酷いから体格差は誤魔化せるか……」

 冷静にアロイスが検討する横で、デルフィーヌはマルセルに言った。

「ナイフを貸してもらえる?」


 大ぶりな軍用ナイフを手にした彼女は長い黒髪をひとまとめにして首の所で切り落とした。それをアロイスに差し出す。

「これで誤魔化せますか?」

「…あ、ああ、そうだな……」

 驚くマルセルにナイフを返し、デルフィーヌは半日前まで自分だった死体に屈み込んだ。コルセットの隠しから小さな袋を取り出す。

 マルセルを振り向き彼女は言った。

「私の宝物よ」

 中に入っていたのは古びたレースのリボンと変色した紙片だった。


 それを渡され紙を広げたマルセルは目を瞠った後で顔をしかめた。紙にはいかにも子供らしい拙い字で「エフィ、かならずたすけにいく」と書かれていた。

「…もっと字を練習としくんだった」

 照れる彼にデルフィーヌは微笑んだ。

「これを支えに生きてきたの」

 家族から引き離された男爵邸で死んだシャルロットの身代わり役をこなしてきた。どれほど時間が経とうとも、ニドの街に戻ることを諦めはしなかった。愛してくれた家族を信じていたからだ。それはエフィとして戻る事が出来なくなった今でも変わらない。


 シャルロット・ロシニョールの遺体は黒髪の女性であるかのように偽装され、損傷を隠す名目で布に巻かれて自警団に引き渡された。近衛士官と内務省の者が証言することで鑑定を省くことが出来る。

 袋詰めにされた遺体が荷車に乗せられるのをデルフィーヌは見送った。

 あの時、移転装置を壊した暴走で入れ替わった瞬間にシャルロット・ロシニョールの記憶に触れた。


 前世でニドの街での貧しい生活を嫌い、本当の自分はお姫様なのだと自身に言い聞かせていた。それを隠しもしないため家族の中で浮いた存在になり、男爵家にあっさりと引き渡された。貴族になれたのだと喜んだのも束の間、男爵邸にあるものは全て死んだシャルロットのものなのだと言い聞かされ、失望と怒りをため込む。やがて成長するにつれ、彼女は自分の武器を意識する。役に立つ男を見つけ、味方に引き込めば何でも思いのままだと。庇護を求めて縋り、誘ってやればいいだけだと。関係性が禁断であればあるほど相手は溺れ弱みを握れる。シャルロット・ロシニョールは手段を薬物に変えながらも、その生き方を現世でも貫いた。いつか誰かが自分を世界一のお姫様にしてくれると信じて。

 より力のある男を求めて渡り歩いてきた彼女が利害も忘れて執着したのはピエール自身だろうか、彼が見せてくれた夢だろうか。


 遺体を乗せた荷車が遠ざかっていく。

 ――さようなら、シャルロット・ロシニョール。さようなら、私。


 前世からの因縁は予期せぬ形で終結した。立ちすくむデルフィーヌにウジェーヌが問いかけた。

「これからどうするんですか」

 まだ戸惑いが隠せない様子の彼にデルフィーヌは淡々と答えた。

「生活基盤を作るための方法を考えます。ロシニョール男爵令嬢として築いたものは消えても、家も名前も捨てても、私が得たものは生きている限り私の中にありますから」


 汚れた使用人の服に不揃いに切り取られた短い髪という姿形でも、昂然と頭を上げる彼女には凜とした清冽な気品があった。

 その左手首に巻かれた布に血が滲むのを見て、ウジェーヌはマルセルに言った。

「彼女の手当を頼むよ」

 長身の衛兵は頷き、顔色の悪いデルフィーヌを軽々と横抱きにして歩き始めた。


「『出来すぎの男爵令嬢』、か。確かに、彼女は生まれながらの公爵令嬢だ」

 どこか哀しげに呟くウジェーヌの肩を、アロイスが軽く叩いた。

「こっちの手当も頼むよ」

「仕方ないなあ」

 大げさに嘆いて見せながら、ウジェーヌは負傷した友人に肩を貸した。




 デルフィーヌを抱えて歩きながら、マルセルが思い出したように言った。

「これからは何て呼べばいいんだ?」

 しばらく考えてから元公爵令嬢は答えた。

「『デラ』よ。初めまして、マルセル」

「…初めまして」

 他人行儀な挨拶をした後、ようやく二人は笑えるようになった。

 低く垂れ込めた雲から雪は降り続き、リーリオニア皇国北東部に冬の訪れを告げた。

次回で最終話です。

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