51 北限の鷲⑫
リーリオニア最高の発行部数を誇る新聞社「ル・コック」の社主カーニュは、大園遊会翌日の記事を眺めて難しい顔をした。
「気になることでもありますか?」
秘書が尋ねると、彼は低い声で答えた。
「皇太子殿下が急病で入院中のようだが、正式な発表がまだ出ない」
「病因とか回復の見込みが立ってからじゃないですか」
「それに、どうやら宮殿内で何か事故があったようなんだが、妙に箝口令が厳しい」
「出入りの者から聞いてみますか。花火師とか何か見てるかも」
提案に同意し、カーニュは社屋の窓からシーニュの中心部を眺めた。
新聞社から二区画しか離れていないパンソン銀行本店最上階では、夜を徹しての捜索活動が続いていた。
情報部に入ったサラ・パンソンは、昨夜と同じ椅子に座って皇国内の地図を見ているマルセルに驚いた。
「彼、まさかあのまま帰らなかったの?」
先に来ていたウジェーヌ・ガロワに問うと、内務卿の息子は困ったように眉尻を下げた。
「ここでの捜索活動に宮殿警備隊の許可が下りたと聞いてから、動こうとしないんだよ」
「目の前で掠われたショックは分かるけど…」
「頑固というか若いというか…」
サラと一緒に来た探偵社のシモンが首を振った。マルセルが広げた地図にはシーニュを中心にした全ての道路、鉄道網が記載され、情報のあった地点、人違いが確認された地点に印が付いていた。夥しい数のそれらを睨み、宮殿衛兵はシャルロットを拉致したピエールの逃走先を探ろうとした。
パンソン財閥の情報網は内務省も驚く精密さで逃走車両をあぶり出し、宮殿の裏手から急病人名目で自動車を借りた者がいたことを掴んでいた。それがシーニュ中央駅に乗り捨ててあったことも。
「ここから汽車に乗ったのか、そうと見せかけて別の馬車か自動車を調達したのか…」
ウジェーヌが頭を抱えた時に思わぬ来客が知らされた。
「ディロンデル公爵令嬢が?」
さすがに驚いたサラが銀行の貴賓室に行くと、華やかな公爵令嬢はこともなげに質問した。
「ご機嫌よう、パンソン嬢。シャルロット様の行方は掴めまして?」
目を瞠る財閥令嬢に、ユージェニーは笑った。
「私の家にも情報網はありましてよ。昨夜から皇后宮が慌ただしくてパンソン家の情報部が総力戦と聞けば、何かあったことくらい分かりますわ」
「さすが、『智のディロンデル』」
サラは肩をすくめ、彼女を最上階の情報部に案内した。膨大な電信装置に感心した表情をしたユージェニーは、誰も近寄せないマルセルを見て眉をひそめた。
「酷い有様だこと」
長身と精悍な顔立ちで宮廷女官たちを引きつけていた衛兵は無精髭を生やし、ばさばさになった髪から覗く目は充血していた。
そこに陸軍省からアロイス・ヴォトゥールがやってきた。
「シーニュ中央駅の昨夜の乗客のうち、男女各一名以上の者について駅員から聴取してきた。家族連れを除き、病人らしき女性を連れた男と付き添いの女の取り合わせを記憶していた駅員がいた。昨夜の最終便。ベカシーヌ行きだ」
「なら、そろそろベカシーヌに着く頃ね」
皇国の北東部にある町を指さし、サラが通信員たちに告げた。
「ベカシーヌ駅、男一人女二人の三人連れ。国境の町で宿泊施設も少ないから、そこから馬車か自動車に乗り換えた可能性あり」
通信員は一斉にベカシーヌの情報収集に取りかかった。ウジェーヌたちが息を呑む中、ふらりとマルセルが立ち上がった。そのまま出て行こうとする彼にサラが声をかけた。
「どこに行くの?」
「ベカシーヌだ」
「ちょっと待って、まだシャルロットだとは…」
慌てるサラの側で、ユージェニーが地図を指し示した。
「あり得ることですわ」
全員が彼女を振り向く中、公爵令嬢はにこやかに説明した。
「この駅から国境までの一帯はダイグル公爵領です。今は使われていない砦もありますし」
「…北限の塔……」
マルセルが低く呟いた。シャルロットが前世で悲惨な最期を遂げた場所へと、ピエール・ロベスは移動している。彼はそう確信した。
上着を手にするマルセルにウジェーヌが取りすがった。
「待てよ、そのなりじゃ君が不審者と見なされて尋問されるよ」
サラは溜め息をつき、面白そうに眺める探偵に言った。
「シモン、彼に変装用の衣装を貸してあげて」
「仕方ない、俺も同行しますよ、お嬢さん」
「助かるわ」
「ま、こうなったら結末を見届けたいって野次馬根性もあるし。さあ、兄さん、時間は取らせねえからこっちきなって」
探偵と近衛士官と内務省付き捜査員が彼を取り巻くようにして連れ出した。残ったサラとユージェニーは、続々と入る電信の振り分けに取りかかった。
誰かに呼ばれたような気がした。それがどの名前かも分からないまま答えようとして、シャルロットは目を開けた。
「……ここは……」
大園遊会の夜会服のまま、彼女は毛布を掛けられて簡素な寝台に寝かせられていた。周囲は壁も床も石造りで酷く寒い。身体を起こすと軽い目眩がした。落ち着くのを待って、毛布を羽織りシャルロットは狭い部屋を出た。
部屋の外には狭い廊下があり、壁に沿って螺旋階段が作られている。殺風景な建物は記憶にあるものだった。
「…まさか」
外壁にある窓は封鎖されていた。それでも外の風の音が聞こえてくる。
「ベカシーヌ城砦、北限の塔…」
忘れもしない、前世のデルフィーヌが狂乱の果てに身を投げた塔だ。どうして自分がここにいるのかと混乱する中、足音が近づいた。振り向く先にはピエール・ロベスとダイグル公爵令嬢がいた。
「目が覚めたんだね、丸二日近く眠ってたんだよ。気分は?」
優しげに問いかける彼から距離を取り、シャルロットは問いただした。
「どうしてこんな所に連れてきたの?」
「ああ、ここも失敗してしまってね。やり直すんだよ」
「…何を?」
「もちろん、この世界を」
ピエールは当然と言いたげだった。困惑するばかりのシャルロットを憎々しげに見て、ダイグル公爵令嬢が彼の腕に手を絡めた。
「こんな女、本当に必要なの?」
「君たち二人がこの世界の特異点なんだ。前回は遺体に残るパルスを使ったが、今度は違う。より理想的な革命を達成できるはずだ」
「遺体…?」
「この塔に埋葬したと偽って廃墟同然の礼拝堂に保存していたんだ。負のエネルギーが生み出すドミノシステムに最適だったからね」
「今度はもっと頭のいい人間を仲間にしましょうよ」
楽しげにダイグル公爵令嬢が彼の首に腕を回した。ピエールも同意見だった。
「そうだな、前回は過激すぎて大陸全土を戦場にしたあげくに文明を衰退させ、今回はテロ活動もロクに出来ないときた。方法を変えてみるよ」
軽い口調で語られる内容に、シャルロットは彼が遊び半分に世界をいじっているのだと悟った。同時に憤りが湧き上がった。
「この世界で起きることが分かっていたのなら、どうしてエスパ風邪の流行を防がなかったの?」
「革命に必要だからだよ。資金を楽に稼げる上に、無策無能な政府に人民が怒りと恨みを抱いてくれる。王や皇帝を倒す同志を生み出す最善策だ」
「そんなことのために…」
苦しみながら死んでいった小さなジョスや多くの人々、全滅した村の話をシャルロットは思いだし、手を差し伸べるピエールを拒絶した。
「触らないで!」
すっと表情を消した男は男爵令嬢の腕を掴み、引きずるように移動した。
連れ込まれた部屋にシャルロットは唖然とした。そこは見たこともない機械で埋め尽くされていた。天井まで届く機械は小さな稼働音をたて、あちこちで緑や赤の光点が明滅している。
そして、天井には夥しい数の円環が絡み合うようにして浮かんでいた。
「次元転移装置は、長い間眠らせていると起動と調整に時間がかかるのが難点だな」
そう言いながらピエールはあちこちのパネルに触れたりレバーを動かしたりを繰り返した。彼にまといつきながらダイグル公爵令嬢が甘い声でねだる。
「もうこの国は飽きたわ。今度はアグロセンかザハリアスはどう?」
装置が何なのかは全く理解できないが、このままでは母にも兄にも二度と会えなくなるとシャルロットは直感した。彼らの隙を見て扉に駆け寄ったが、びくともしない。
「無理だよ、もうシークエンスは開始した」
ピエールが冷然と告げる。ダイグル公爵令嬢は馬鹿にしたようにシャルロットを見た。
「さっさとこっちに来なさいよ。こんなとこ捨てて次の世界に行くんだから」
腕を引っ張られてよろけ、シャルロットは小さなテーブルに手をついた。そして、その下に工具箱のようなものが置かれているのに気付いた。彼女は咄嗟に細長い金属棒を掴んだ。
「何やってんの、ほら」
引き立てられるようにして部屋の中心に来た。ピエールは計器をチェックし、満足げに覆いを外してボタンを押そうとした。
その時、身を翻したシャルロットが彼に体当たりをした。
「私はニドの街のエフィよ、あなたの道具なんかじゃない!」
吐き捨てるように宣言すると、彼女は金属棒を計器類に突き刺した。室内の照明が一瞬消え、赤に変わった。
「何てことを!」
耳障りな警告音にピエールの絶叫が重なった。
「ここがベカシーヌ城砦」
パンソン財閥の情報を頼りに、マルセルとウジェーヌ、アロイス、そしてシモンは北限の塔に到着した。強行軍にもかかわらず、彼らは休息もせず自動車から降り立った。城砦周囲はアロイスが協力要請した地元の自警団が固めている。
マルセルは北限の塔を見上げた。シャルロットから話に聞いていたが、これほど陰気で気の滅入るような建物とは思わなかった。
「雪になりそうだな」
ウジェーヌが空を見上げ、シモンも頷いた。
「あそこに自動車が乗り捨ててある。ここにいるのは間違いなさそうだ」
パンソン情報部の掴んだ特徴に一致することをアロイスが確認した。塔を睨んでいたマルセルが思わず声を出した。
「今、変な光が出た」
彼は塔へ走り出した。
「このバカ女!」
ダイグル公爵令嬢に殴られ、シャルロットは床に倒れた。公爵令嬢はピエールに向けて言った。
「だから言ったでしょ、私だけで充分だって」
「黙ってろ!」
必死で修復するピエールはそれどころではなかった。彼の冷たい反応に公爵令嬢は怒り狂った。
「全部あんたのせいよ!」
彼女が取り出したナイフを向けるのに、シャルロットは後ずさりながら対抗できるものを探した。床に散らばったガラスの破片を手に取り、彼女は闇雲に振り回した。ほとんど偶然に、鋭い切っ先がダイグル公爵令嬢の左手首を抉った。
「このクソアマ!!」
逆上した公爵令嬢はシャルロットの肩を掴み、脇腹にナイフを突き立てた。熱ささえ感じる激痛に男爵令嬢はうめいた。
「これだと一人が限界か…」
どうにか再起動させた転移装置を前にピエールは呟いた。女性二人の諍いに侮蔑を露わにする。
「これだから、実験惑星の原住民は度しがたい。また一から始めるのは面倒だが仕方ないか」
そう言いながら中央に立つ彼を光が取り巻いた。天井の円環が高速回転を始め、彼の周囲の空間が歪曲し気圧差が突風を呼び起こす。
動けないシャルロットにとどめを刺そうとしたダイグル公爵令嬢は、異変に気付き振り向いた。そして一人で転移しようとするピエールに駆け寄った。
「待って、置いてかないで!」
「よせ、力場内に入るな!」
彼が叫ぶのと光が破裂するように飛び散るのと同時だった。室内全体に衝撃が走り、扉が傾いた。




