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46 北限の鷲⑦

 ファロス歴1010年、葡萄月(ヴァンデミエール)・三の十曜日。


 広大なベルフォンテーヌ宮殿の正門が開かれ、列をなした馬車や自動車が次々と入っていく。葡萄月大園遊会に招待された国内の貴族、有力者、外国の貴族や実業家などが昼の礼装で庭園を歩いた。

 夏が終わり秋が深まる季節、春や夏とは違う落ち着いた色合いの花々が来賓を迎えるため咲きそろっていた。


 この園遊会の特徴は昼の部と夜の部に分かれていることと、昼の部は普段は宮殿に入れない平民の市民たちにも下庭園が開放されることだった。

 人々はそれぞれの一張羅を着込み、この日だけ開けられる宮殿西門を目指した。

 首都シーニュの下町でも、人々が宮殿へと歩く姿が見かけられた。誰もが美しい宮殿や皇王一家を見られることに興奮気味だった。




 古いアパルトマンの窓から、『赤い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』の上部構成員ジャン=リュック・カナールは苦々しげにその光景を見下ろしていた。

「自分たちを搾取する者を有り難がるのだから、無知無教養は哀しいな」

「それも、我々の目指す世界では等しく与えられる」

 補佐役のマチュー・エロンが士気を上げるように言った。同じ部屋にいた数人が頷いた。

「ジャン=リュック、例の奴はどうする?」

「手下がうろうろして目障りだったが、最近見かけないな」

 バティスト・グレーズが不審そうに言うと、カナールの顔に緊張が走った。

「まさか、官憲に捕まってはいないだろうな」

 顔を見合わせた男たちは、無言で別の部屋に移動した。


 アパルトマン六階の部屋で、ロシニョール男爵は苛々とうろついた。窓から楽しげな声が聞こえてくるのが余計に神経を逆なでする。

「…くそっ、計画通りなら今頃は宮殿で皇王に拝謁していたのに……」

 ドートリュシュ大公は何を血迷ったか『赤い雄鶏』に協力したが、彼は革命家などに組みする気はさらさらなかった。血の気の多い夢想家たちを出し抜いてテロ計画を通報し、暗殺を防いだとして英雄的扱いを受けるはずだった。その功績を考えればエスパ風邪の薬など些細なことだ。爵位も上がり、名門貴族の姫君を正妻に迎えることだって出来るはずだ。

 薔薇色の夢は、殺風景な室内で霧散した。ドートリュシュ大公があんなに呆気なく死んでしまい、パレ・ヴォライユが炎上したのは計算外だった。だが証拠も一緒に焼失したと安心していたのに、内務省は大公の違法行為を暴き出し男爵には逮捕状が出てしまった。そして自分は避難と称してこんな薄汚い街に監禁される日々だ。


「エリクとプロスベールは何やってるんだ。あいつらも俺と一蓮托生なのは分かってるはずなのに」

 苛立ちが最高潮に達したのと同時に部屋の扉が開けられた。ジャン=リュック・カナールの姿を見るなり、男爵は怒鳴った。

「いつまでここに閉じ込めるつもりだ? 私をさっさとダンド州に戻せ!」

 カナールの後からやってきた男たちは何も答えず男爵を椅子に座らせた。

「何をする!」

 わめく彼に構わず、カナールはある物を取り出した。注射器だった。男爵はさすがに怯んだ。

「お、おい、冗談はよせ…」

「お前の部下がきた」

「エリクたちか? なら」


 腰を浮かせ掛けた男爵は背後から肩を押さえられ再度座らされた。うろたえる彼にカナールが冷たく言い渡した。

「官憲を引き連れてだ。我々を政府に売り渡したのか?」

「違う! 俺は何も知らない! 本当だ!! おい、やめろ!!」

 男たちは男爵の上着の袖をまくり上げ、肘内側を剥き出しにした。カナールが腕を掴み、静脈に注射器の針を差し込む。

「やめてくれ!! 誰…か……」

 純度の高い麻薬が一気に注入され、いくらも経たずに男爵はろれつが回らなくなった。

「…た、のむ……、か、ね、なら……」

 泡を吹きがくりとうなだれるのを見届け、男たちは急いで部屋を出た。


 残されたロシニョール男爵は、脳内が炸裂するような幻覚に耐えながら震える足で右の靴を脱ごうとした。わずかな思考にあるのは、『赤い雄鶏』を道連れにすることだけだった。

「……ク、ソ、…ッタ……レ……」

 彼の最後の言葉を聞く者はいなかった。




 同時刻、『赤い雄鶏』のアジトに数人の男たちが接近していた。いずれも徒歩で、平民風の服装だったが、中の数人は帽子で隠す必要があるほど目つきが鋭かった。

 先頭に立たされているのはロシニョール男爵の部下、エリクとプロスベールだった。二人の背後で男が囁いた。

「さあ、どの建物か教えた方に減刑を嘆願してやる」

 男爵の部下たちは唾を飲み込み、競うように一カ所を指さした。

「あそこだ!」

「あの六階の、三つ目の部屋だ!」


 男たちは視線で突入を決意した。二人を先に行かせながら階段を登り始める。三階への踊り場を回った時、多数の銃声が起きた。

「退避!」

 男たちは素早く壁の影に隠れ、拳銃を抜くと階段上めがけて撃った。

「負傷者は?」

 年長の男が確認し、軽傷一名のみという回答に安堵した。しかし、階段にはエリクとプロスベールが血まみれで転がっていた。頸動脈に指を当ててみたが即死状態だ。男たちは拳銃を構え、素早く階段を上がった。


 端から三つ目の扉が開いたままだ。彼らは不意打ちを警戒しながら突入した。そこには、椅子に座り目を血走らせ、泡混じりのよだれを垂らすロシニョール男爵の姿があるだけだった。

「……遅かったか…」

 突入部隊の隊長が無念そうに呟いた。部下の一人が彼に言った。

「右の靴だけ脱ぎかけになってます」

「苦し紛れか? だが…」

 男爵の靴を手に取り、異常はないか調べていた隊長は、踵部分が外れるのに気付いた。

「中は空洞…、いや、紙が入ってる」

 細かく折りたたまれた紙片を開き、小さな文字を追ううち、彼の顔色が変わった。

「すぐに内務省に行くぞ!」

 続々と応援が駆けつける中、突入部隊は階段を駆け下りた。




 高位貴族から平民の有力者までがベルフォンテーヌ宮殿の庭園に居並ぶ。夏の庭園から竜の泉まで、彼らの前を皇王皇后夫妻がゆっくりと歩いた。招待された者と短い会話を交わしながらのゆっくりとした行列に、シャルロットも従った。

 ヴィクトワール皇后の臙脂色のドレスが陽を浴びて深い輝きをまとっている。首元には長い真珠のネックレスが幾重にも巻かれ、虹色の光沢を加えていた。皇后付きの侍女たちも真珠を身に着け主の装いに倣った。シャルロットは菫色の昼正装に小粒の短いネックレス、赤みを帯びたブロンドにはドレスと同色の帽子を乗せた。

 皇王一家には皇女がおらず、代わりに侍女たちが華やかさを添えている。皇后は目を楽しませてくれる貴族令嬢や夫人を選んだため、彼女は花束を率いているようだった。


 この行列は遠く下庭園からも眺めることができた。衛兵たちの列越しに、宮殿に集まった市民たちは皇王一家と美しい侍女たちに歓喜の声を上げた。

 宮殿正面の泉には、その昔、即位を祝うために現れたという伝説の竜の彫刻が中央に据えられている。その泉の前に来た皇王は下庭園の民衆に手を振った。同時に噴水が水を噴き上げ、飛沫が小さな虹を架ける。人々の興奮は最高潮に達し、皇王を讃える歓声は引きも切らなかった。


 群衆の中に、妹たちを連れたサラ・パンソンもいた。双子のアデールとエリーズは皇后に従う侍女たちを指さした。

「シャルロットよ!」

「素敵! とっても綺麗!」

 興奮状態の二人を宥め、サラは周囲を見回した。付き添いの護衛をすり抜けるように、いつの間にか探偵社のシモンが隣に立っていた。

「今朝、下町で捕り物騒動がありましたよ、サラお嬢さん」

「それは『赤い雄鶏』の?」

「幹部連中は逃げた後でしたが、協力者が殺されたようです」

「…そうなの」

 サラは皇后に従う侍女の中でひときわ可憐な男爵令嬢を見つめたまま報告を聞いていた。




 昼間の行事を終え、皇后宮は急いで夜の部の準備に取りかかった。既に「皇家の青(ブリュ・アンペラール)」のドレスとレゼル・パリュールは用意され、ヴィクトワール皇后が休息を終えればすぐにでも身に着けられるようになっている。

 自分の部屋でシャルロットは夜会服に着替えた。手伝ってくれたメイドはきちんと片付けられた部屋と荷造りを終えた鞄を見て淋しそうに言った。

「本当に辞められるのですね」

「あなたにはお世話になったわね」

「お嬢様は家柄関係なく、私が知る限り最高のご令嬢です。」

 そう言うとメイドは名残惜しそうに下がっていった。いつでも退去できる状態の部屋をシャルロットは感慨深く眺めた。既に主席侍女のフラモン侯爵夫人には話を通しており、皇后は渋々ながら宮殿から去ることを許してくれた。


 先ほどのメイドの言葉が奇妙なほど胸に残った。最高のご令嬢という賞賛は嬉しいはずなのに、素直に喜べない自分がいる。

現世でのシャルロット・ロシニョールが称えられるのは、男爵令嬢でありながら高位貴族に引けを取らないからだ。だがそれは〈デルフィーヌ〉の、かつての公爵令嬢の記憶を引き継いだおかげだ。男爵令嬢という低い地位が評価を底上げするという、奇妙な逆転現象だった。

「でも、宮殿での生活もこれが最後ね」

 これからは貴族令嬢ですらなくなる。いつかシャルロットの名からも解放され、ニドの街のエフィに戻れたら……。

 未来に思いをはせると、目眩とも失調感ともつかない感覚が襲ってきた。自分がここにいる実感が薄れるような恐怖にシャルロットは強く目を閉じた。ゆっくりと開くと、見慣れた室内があった。漠然とした不安を彼女は抱えた。

 今の自分はエフィと呼べるのだろうか。その疑惑は常につきまとう。前世に引きずられ、因縁の相手と現世でも睨み合うことは彼女を歪めてはいないだろうか。そう思うと後ろめたさが襲ってきた。

「…でも、今さらどうにもできない」


 感傷に浸っていた彼女に、メイドが面会を求める者がいると伝えてくれた。皇后宮の入り口に出向くと、宮殿警備にあたっているアロイス・ヴォトゥールと義兄のマルセルがいた。

「ご用ですか、ヴォトゥール様」

 シャルロットに問われ、陸軍元帥の息子は少しためらった後で言った。

「今日、『赤い雄鶏』の拠点に突入した部隊が宮殿の襲撃計画文書を手に入れた。奴らは園遊会に乗じて皇王ご一家の暗殺を企てている」

 息を呑み、シャルロットはマルセルを見た。長身の宮殿衛兵は頷いた。アロイスが続ける。

「ロシニョール嬢には皇后陛下の周囲に注意して欲しい。もし不審者がいればすぐに衛兵か近衛に知らせてくれれば対処する。マルセルを側に付けるから危険な目には遭わせない」

「分かりました」


 アロイスはマルセルを残して警備本部に戻っていった。義兄はどこかぎこちなくシャルロットに言った。

「これが終わったら皇后宮を出るんだな」

「しばらくパンソン家で働くわ」

「なら、その前に一緒にニドの街に帰ろう」

 思わずシャルロットはマルセルを見上げた。下町の懐かしい風景が一気に甦る。迷路のような街並みと古い建物。優しかった母。

「…うん」

 やっと帰ることができる。その思いが苦しいほど胸に満ちて、短く答えるのが精一杯だった。

 彼女の表情にマルセルは安堵の溜め息をついた。

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