41 北限の鷲②
葡萄月の園遊会の準備は着々と進んでいたが、『赤い雄鶏』の拠点捜索は失敗続きだった。
内務卿セザール・ガロワは古くからの友人である陸軍元帥セブラン・ヴォトゥールに愚痴をこぼしていた。
「どれだけ巧妙に潜伏しているのだ、奴らは」
「治安維持局の内偵部隊が掴めないとはな。こちらも憲兵隊が苦戦中で人のことは言えんが」
「ダイグル公も大公殿下もあの有様で、黒幕と呼べる者は捜査線に上がらないのだが」
「なら、よほど優秀な参謀役がいるということか」
「下っ端の無軌道ぶりを見ると考えにくいが…。そっちは後任の第一陸軍卿は決まったのか?」
「暫定的に第二陸軍卿の持ち上がりだ」
「トゥカン卿か」
「皇太子殿下とも穏便な話が出来る御仁だ」
「フィンク半島の件は凍結か?」
「いや、他の列強に先を越される前に出兵すべしという意見がまだ強い」
「軍隊は動かすだけで金がかかるというのに」
「まるで財務卿のような言い草だな」
「捜査員不足は予算が削られたのも原因だぞ」
二人揃って景気の悪い溜め息をついた後、内務卿が思い出したように語った。
「そう言えばフィンク半島の伯爵令嬢の非業の死に陰謀説が広がってるようだが」
「陰謀? 殿下の恋人が死んで利益を得るのは婚約者候補の家だろう」
「ダイグル公家はもはや没落を免れないが、そうとなると疑われるのはディロンデル公か」
「智のディロンデル独自の諜報網の噂も一役買っているか。公も気苦労なことだ」
元帥は顔をしかめ、内務卿は天井を仰いだ。
「息子のウジェーヌがアロイス君に迷惑を掛けてなければいいが」
「心配無用だ、軍だけでなく他の部署とも連携を取れと言い聞かせてきたからな。今は皇后宮の侍女とも協力していると聞く」
「例の、パレ・ヴォライユに乗り込で友人を救った勇敢なご令嬢か」
「身分は低いがあの皇后陛下が手元に置くくらいだ。息子は以前から親しくしてきたようで若い士官連中からやっかまれておる」
「以前ウジェーヌも褒めていたな。ただ、ロシニョール男爵の令嬢というのが…」
様々な疑惑が囁かれる中失踪している男爵のことは、内務卿にとって懸案事項の一つだった。
「令嬢を罵り殴ったあげくに監禁して逃亡か…、信じられんな」
婦女子に手を上げるなど考えも付かない元帥は本気で憤っていた。
「身柄確保できれば、自分のしてきたことは必ず償わせるぞ」
勤労意欲を復活させた内務卿を見て、元帥は内務省の執務室を後にした。
仕事が増えて国立図書館の研究会に行く回数が減ってしまったが、シャルロットはディロンデル公爵令嬢やウジェーヌ、アロイスらと宮殿で会う機会が増えていた。
主に、ディロンデル公爵令嬢が宮殿内に持っている控えの間に集合する形だ。
「せっかくの特権ですもの、有効に使わなくてはね」
宮殿内のサロン状態にもユージェニーは平然としていた。ベルフォンテーヌ宮殿に入れる者は限られているが、時にウジェーヌが探偵社のシモンを同行させることもあった。
「ここだけの話、うちのお嬢に皇太子殿下から極秘の依頼があったんですよ」
さすがに身なりを整えているため胡散臭さが少し減少した探偵が情報を与えてくれた。
「パンソン家に殿下が?」
「大陸各国にパンソン財閥の商館があるんでね。どこでも情報を掴むのは最優先で」
「もしかして、疫病流行時のフィンク半島の暴動の件でしょうか」
シャルロットの質問にシモンは答えなかったが、片目をつぶって見せた。
――殿下はファニア様の死の真相を追究されるおつもりなのだわ。
無気力に、あるいはそう装って過ごしていた皇太子が自ら初恋に決着を付けるのだろうか。
出来れば建設的な方向に解決してくれればいいのだがと〈デルフィーヌ〉は願った。
その日は皇后のドレス決定のため、メゾン・ド・パーヴォのクチュリエたちが皇后宮を訪れることになっていた。
「陛下、ご指示どおり昼の部のものを三着用意して参りました」
モード商であるマダム・パヴァーヌがお針子たちに試作のドレスを広げさせた。
「ひとまずは形と全体の雰囲気をお確かめください。本番ではこちらの生地を使用いたします」
用意された絹織物はいずれ劣らぬ見事な光沢を持つ一級品だった。侍女たちは溜め息をついた。主席侍女フラモン侯夫人は細かい点をマダム・パヴァーヌに質問した。
「園遊会で陛下が回られるのは水竜噴水から夏庭園にかけてです。それは考慮しているでしょうね」
「はい。噴水の大理石、葡萄月に咲く花の種類を考えて生地を選択いたしました」
派手すぎず存在感のあるドレスという難題を幾度もこなしてきたモード商は落ち着いたものだった。
フラモン侯爵夫人は頷き、そして窓の外を気にするシャルロットに気付いた。
「ロシニョール嬢、どうしました?」
「あの、庭園でお召しになるドレスですから、外の光でどのように映えるのか気になりまして…」
主席侍女は皇后に顔を向けた。ヴィクトワール皇后は面白そうに首肯した。
「外に出しなさい」
バルコニーに机が出され、汚れ防止の布を敷いた上に三色の生地が並べられた。侍女たちは驚きの声を上げた。
「まあ、随分と感じが変わるのね」
「こちらの赤がとても深い光沢が出ますわ」
メゾンのお針子にシャルロットが尋ねた。
「当日が曇りの時はどう変わるのでしょうか」
すぐに薄い試作用の布が用意され、生地の上に掲げ日光を和らげた。
「不思議だわ、光が強すぎない時は緑色の布の織り模様が綺麗に浮かぶなんて」
侍女たちは次々に印象が変わる布地に感心しきりだった。皇后は頷き、二着を用意し晴天時と曇天時に使い分けることを決定した。
メゾンの人々が意気揚々と引き上げるのを見送り、シャルロットはニドの街で母イルマが仕立てを請け負った生地を日の光にかざしていたことを思い出していた。
フラモン候夫人が若い侍女たちに言った。
「あなたたちも葡萄月園遊会に向けて衣装は準備しているわね?」
侍女たちは頷き、皇后の私室を退出した後もあれこれと話題が絶えなかった。
「どこのメゾンにするの?」
「色は?」
情報交換をする侍女たちは最年少のシャルロットにも質問を向けた。
「あなたも新調するのでしょう?」
「はい、そのつもりです」
「どこで? メゾン・ド・パーヴォ?」
男爵令嬢は苦笑した。
「あそこは高級すぎます。グリヴ嬢のメゾンにいつも頼んでいるので今回もそこにします」
パンソン財閥系のメゾンはまだ規模こそ小さいが順調に顧客を増やしているらしい。季節ごとの案内状が段々と豪華になっていくことからも繁盛ぶりがうかがえた。
他の貴族令嬢たちは新しいメゾンに興味津々の様子だった。
「そのお店をぜひ紹介して欲しいわ」
来訪時に引き合わせると約束して、シャルロットは自室に戻った。
部屋の中で、今日の決定を元に彼女は皇后の宝飾品について考え直した。
「晴れたら臙脂色のドレス、曇りや雨なら緑色。宝飾品を合わせるならどちらにも使えるものがいいわね」
色石ではドレスごとに変えなければならない。園遊会と言うことを考慮して、双方に似合う真珠と黄金を使ったパリュールはないだろうかと皇后の侍女は考えた。
盛夏の熱月も終わりに近づき、残暑の実月が過ぎれば葡萄月。最大の園遊会が控えている。
それまで世の中は平穏だろうかと、シャルロットは漠然とした不安を抱えながら庭園を眺めた。




