40 北限の鷲①
ベルフォンテーヌ宮殿、皇后宮。
病院から戻ってきたシャルロットはヴィクトワール皇后に深々と頭を下げた。
「ご迷惑をおかけいたしました、陛下」
「まったく、大した蛮勇だこと」
皇后は呆れ声を出した。侍女たちは大捕物に巻き込まれた同僚に何と言っていいか分からない様子だ。
「その花の顔に傷など残らないのでしょうね」
「頭を打ってこぶが出来ただけです」
正直な返答に笑い声が漏れた。皇后も扇の影で失笑し、それ以上は不問にした。そして彼女は傍らの主席侍女に向けて質問した。
「クロチルド、園遊会の参加者名簿は出来ているの?」
「はい、陛下」
「では準備を続けなさい」
皇后の私室から侍女たちは退出した。
予定表をもらい、シャルロットは内容を頭に入れた。
「園遊会は葡萄月三の十曜日。今は熱月だから、ふた月の間にこれらが完璧に整うようにするのね」
国賓級を始めとした主な来賓への対応は主席侍女を中心とした古参の侍女が受け持ち、若輩者のシャルロットの役目はより細々としたことだった。
「陛下のお衣装の打ち合わせとそれに会わせた宝飾品を宝物庫から出し入れする手続き……」
園遊会名目ではあるが来賓の顔ぶれからして身につける物のレベルは決まってくる。
「夜の装いでは戴冠式級の第一宝冠でなくても国賓応対の第二宝冠に相当するティアラになるわね。昼は略宝冠にあたるもので…」
宝飾品の目録と照らし合わせ、数点を選択してフラモン侯爵夫人に上申する。クロチルド・フラモンはそれらを一読して頷いた。
「夜はレゼル・パリュール、昼は略式で色石使用の宝飾品ね」
「はい。夜はダイヤのみなので問題ありませんが、昼間はドレスの変更に対応できるよう数種類を考えています」
「賢明だわ。公式行事の宝飾品に詳しいのね」
「恐れ入ります」
前世の公爵令嬢時代の知識だと言えないシャルロットはひたすら恐縮した。
夜の公式行事における皇后の衣装は「皇家の青」と呼ばれる深い青色が基本だ。昼の行事では自由度があるため、皇后のドレスは早めに決定して貴族夫人に情報を流すのが常だった。
「それでも紺、深緑、臙脂くらいだし、御用達メゾンに発注するから余程のことがなければ被ることはないけど」
前世ではこうしたことに酷く神経質になっていたと〈デルフィーヌ〉は回想した。周囲が次々とシャルロット・ロシニョールに取り込まれていく中、皇后を味方に付けることが命綱と感じていたからだ。
――無駄な努力だったと思っていたけど、おかげで式典儀礼に詳しくなれたのは悪くないわね。
皇后付きの侍女として忙しく働く中、同じく園遊会の準備で警備統括部に入っているアロイス・ヴォトゥールと彼の補佐役に抜擢された義兄マルセルに会う機会が多くなったのは思わぬ副産物だった。
警備計画会議でベルフォンテーヌ宮殿を訪れた二人とシャルロットは庭園に面した回廊を歩いた。
「ロシニョール嬢の怪我はもういいのか?」
心配そうなアロイスにシャルロットは笑った。
「はい、おかげさまで」
周囲を確認してマルセルが伝えた。
「大公のパレ・ヴォライユの焼け跡にはロシニョール男爵の遺体はなかった」
シャルロットは思わず義兄の顔を見上げた。
「あの男は生きているの?」
「男爵だけでなく、『赤い雄鶏』の幹部もだ。捕縛した構成員は下位組織の者ばかりで重要な証言は得られなかった」
「だからあんな乱暴なやり方で証拠隠滅を図ったのかしら」
「実行犯は不明だが、無関係な大公邸の使用人を平気で巻き添えにできる者だ。冷酷で危険な人物に違いない」
――あの女がそこまでするかしら……、いえ、必要があれば躊躇しないでしょうね。
自分との差はその点だと〈デルフィーヌ〉は苦く自覚した。
「モニカはまだ面会できないのか?」
マルセルに問われてシャルロットは頷いた。
「投与された薬物を中和させるのが最優先だと先生が」
「そうか…、早く良くなるといいな」
「ええ」
「薬物投与はダイグル公爵令嬢だろうか」
元帥の息子の疑惑に男爵令嬢も同意した。
「彼女の周囲の人間が立て続けに薬物中毒の症状を見せてますから。ただ、どうやってそれだけの薬を手に入れたのか」
「薬なら医者か薬屋じゃないのか?」
不思議そうなマルセルにアロイスが言った。
「今、公爵家の主治医を洗っているが違法薬物とは無縁のようだ」
公爵家に出入りしていたのは祖父の代からの老医師だったと〈デルフィーヌ〉は記憶を辿った。確かに、昔ながらの薬しか処方されたことはなかった。
――……医師。婚約を解消された頃についてくれたのは誰だったかしら…。
思い出そうとすると、突然頭痛が襲ってきた。あの塗りつぶされた記憶に伴う不快感だ。
「エフィ?」
マルセルに声をかけられてシャルロットは我に返った。
「大丈夫、少し疲れただけ」
「そうか? 忙しいんだろ、ちゃんと休んでるか?」
心配性の兄に妹は微笑んだ。
「忙しいのは兄さんやヴォトゥール様も同じでしょ」
そう言ってマルセルを宥めるとシャルロットは皇后宮に戻っていった。
「意外と過保護なんだな、いや、予想どおりか」
アロイスがからかうと、家具職人の息子は頭を掻いた。
「あいつが男爵家の奴らに掠われた時は間に合わなくて、母さんが泣くたびに後悔したんです。それからも何も出来なくて、男爵家の方がいい暮らしができるなんて誤魔化して……でも、何年経ってもエフィは変わってなくて、必ず父さんや母さんのところに帰るんだって言われて嬉しくて…」
「帰る場所には君も含まれてるんだろう?」
人の悪い笑顔で会話に割り込んできたのは内務卿の息子ウジェーヌ・ガロワだった。
「それは…、家族だから……」
戸惑うマルセルに、アロイスとウジェーヌは同じ表情を浮かべた。
「しばらく顔を見せなかったけど、どうしてたんだ?」
アロイスに問われてウジェーヌは肩をすくめた。
「父上の人使いの荒さを知らないだろ。パレ・ヴォライユの事件以来、内務省は総動員令だよ」
「治安維持局の面目丸つぶれだからな」
「それで、公表していないんだが『赤い雄鶏』から犯行声明があった」
「奴ら、何が狙いだ?」
「革命がどうの、新しい世界がどうの、代わり映えのしないことをごちゃごちゃした文章で叫んでたな」
「革命勢力はアグロセンもザハリアスも手を焼いてるが」
「自分とこの革命家は潰して、よその国の奴は応援したいのが列強の本音だからな」
薄ら寒い笑顔を見せるアロイスとウジェーヌにマルセルが質問した。
「奴らの拠点の捜索はめどが付いているのですか」
「ロシニョール嬢の証言でダイグル公爵令嬢が絡んでると分かったから、公爵家所有の建物を監視してるよ」
「関わる者全てを破滅させてきた女性が革命派と組むとは厄介だな」
アロイスの言葉に頷きながらも、ウジェーヌはどこか不審そうだった。
「それにしても、ダイグル公爵令嬢とロシニョール嬢は同じ学園で学んだとはいえ接点は少なそうなんだが、妙に緊張関係というか因縁めいたものを感じるんだが」
それには他の二人は反応に困る顔をした。
ベルフォンテーヌ宮殿を彼方に見渡す下町の屋根裏部屋に一組の男女がいた。
「意外ね、こんなとこから丸見えだなんて」
「奴らは平民街のことに興味はないからな」
「園遊会が楽しみだわ。特大の花火が待ちきれない」
はしゃぎながら女性――ダイグル公爵令嬢デルフィーヌはベッドに横たわる男性にしなだれかかった。
ようやく終章まで来ました。もう少し付き合って貰えると嬉しいです。




