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4 ニド街のヒバリ③

大きな修正があったため今日は一話更新です。

 冬が近づいた頃、広場で友達と遊んでいたエフィは突然鳴り始めた教会の鐘の音に全身をこわばらせた。子供たちが教会の方を見やって言った。

「あれって、お弔いの鐘?」

「誰か死んじゃったのかな」

 陰鬱な鐘の音はデルフィーヌの思い出したくない記憶と相まって、終日エフィの気持ちを塞ぎ込ませた。




 翌日、母イルマについて市場に行くと、屋台の女将さんたちが噂話に興じていた。

「ほら、昨日の鐘」

「あれって、男爵とこの娘が死んだんだってね」

「まだ六歳かそこらだったでしょ、気の毒に」

「あの強突く張り、バチが当たったんじゃないの?」

 人ごととばかりにゲラゲラと笑う声からイルマはそっと離れた。

「母さん?」

 問いかけるエフィの手を引いて、彼女は無言のまま足早に帰宅した。




 その夜、ふと目を覚ましたエフィは母親が部屋の隅にある聖光輪十字に熱心に祈っているのを見た。

 ――男爵の娘が死んだことと関係あるのかしら。六歳ならこの子と同じくらいだけど。

 デルフィーヌは考えたものの、ニドの街は言語からリーリオニア皇国の一部としか分からず、男爵というのがどの家かも見当が付かない。

 胸騒ぎを抑えて少女は寝台に戻った。




 年が明けて母と買い物に出たエフィは、誰かが母親を呼び止めるのに振り返った。

「イルマじゃねえか、こんなとこにいたんだな」

 声の主の男を見るなり、母親がさっと顔色を変えるのが分かった。娘と繋ぐ手が震えている。知り合いらしい男はエフィに気付き、ぎょっとした顔をした。

「なあ、その子、もしかして…」

「帰るわよ、エフィ」

 イルマは娘を抱き上げると足早に市場の雑踏に紛れた。後方から男が必死に名前を呼んだが、母親は一度も振り返らなかった。




 この日から母は暗い顔で父と話し合うことが増えた。エフィは寒いからと外に遊びに行くことを禁じられ、不満に思いながらも従った。逆らってはならない何かがあることは、デルフィーヌにも感じられた。

 ――誰だったの、あの男。イルマ母さんのことをよく知っている風だったけど。言葉からして平民だったけど身なりは悪くなかったし、どうしてエフィを見てあんな顔をしたの?

 母親はあまり過去を話したがらないため訊くこともできず、通奏低音のような不安は消えなかった。




 そんな日々が続いた後、珍しくイルマが楽しそうに帰宅したのは、春の日差しが心地よい季節になった頃だった。

「どうしたんだい」

 祖母が尋ねると、母は手にした包みを広げた。

「仕立てを引き受けてた古着屋さんでこれを見つけて」


 それは子供用の白いよそ行きの服だった。祖母は納得した顔で頷いた。

「ああ、エフィの聖光輪洗礼の」

「ええ、あたしの昔の服と交換で手に入れたんです」

 祖母は服を子細に検分した。

「汚れはあるけど生地はいいね。エフィより大きな子の服だから詰めていけば気にならないよ」

「染みがあるのはこことここだから、このリボンをこっちに付ければ隠れるし」

 二人で楽しげに相談した後、祖母は笑った。

「いいもんだね、女の子の支度も。うちは子供も孫も男ばかりだったから」


 取り外したレースのリボンを手にしたイルマは、娘を呼んだ。

「エフィ、こっちに来て。これを付けてあげる」

 金褐色の髪をすくって白いレースをリボン結びにすると、母親は満足げに微笑んだ。

「ほら、とっても可愛い」

「本当?」

 少女は母と祖母の前でくるりと回って見せた。

「ああ、別嬪さんによく似合うよ」

 目元に皺を寄せて祖母が褒めると、エフィは目を輝かせた。

「父さんたちにも見せてくる!」

「すぐお昼だから早く戻ってくるのよ」

「うん!」




 父が勤める工房に行く途中で、モニカとジョスの姉弟に出会った。

「エフィ、久しぶり」

 モニカは少女の頭のリボンに目ざとく気付いた。

「どうしたの、それ」

「服に付いてたの、母さんがくれたの」

「ああ、聖光輪洗礼今年なんだ。イルマおばさんは仕立ての腕がいいから、素敵な服になるんだろうなあ」

 モニカが幾度も頷いた。




 二人と別れ、エフィは父と兄の元に走った。

「父さん! お兄ちゃん!」

 工房で作業中のロジェとマルセルは手を止め、エフィの元にやってきた。

「あれ、可愛いの付けてんな」

 リボンに気付いた兄が褒めてくれたので、エフィは嬉しそうに笑った。

「うん、母さんがくれたの。父さんたちに見せてきていいって」

「そうかそうか、可愛いな」

 大きな図体でとろけそうな顔をするロジェに、職人仲間が苦笑した。外野は目に入らない二人は少女に言った。

「俺たち、今やってるとこ終えたら昼飯に戻るから」

「寄り道せずに帰れよ」

「わかった」




 彼らに手を振り、エフィは家に戻ろうとした。途中、道ばたに白い小さな花が咲いているのに少女は気付いた。愛らしい花に喜び、エフィはそれを摘むと二つの花束を作った。

「母さんのと、おばあちゃんのと…」

 両手に花束を持って走る少女は、その後を付ける男たちに気付かなかった。




「ただいま!」

 帰ってきた娘を、昼食の用意をしていたイルマが迎えた。

「お帰り。それは何?」

「道のとこに咲いてたから、母さんとおばあちゃんに」

 二つの花束を差し出すと、母と祖母は相好を崩した。

「あたしにもあるのかい、ありがとうよ」


 祖母が礼を言い、彼女たちに花束を手渡そうとした時、荒々しくドアが開けられた。侵入してきた男たちを見てイルマは青ざめた。

「エリク…、どうして…、あたしはもうあの家とは」

「用があるのはこっちだ」

 エリクと呼ばれた男はエフィの腕を掴み、荷物のように抱えると外に出た。少女は甲高い悲鳴を上げた。

「母さん!」

 男たちは出て行き、イルマは血相を変えてその後を追った。

「エフィ!」

 



 泣き叫ぶ少女を連れ去る男たちと、娘の名を呼びながら追いかける母親はニドの人々の注目を引いた。家に帰ろうとしていたモニカはただならない現場を目にし、弟の手を引いて駆け出した。家具工房に着くと、彼女は精一杯声を張り上げた。

「ロジェおじさん! マルセル! エフィが連れてかれた!!」

 工具を取り落とした二人は、同時に駆けだした。




 少女を拉致した男たちはニドの街を抜け、大通りに出た。そこには馬車が待っていた。エリクはエフィを乱暴に馬車の中に投げ込んだ。座席に座る若いメイドに言い渡す。

「こいつをしっかり捕まえてろ」

 強い口調で命令され、メイドは少女を抱えた。馬車にイルマが取りすがった。

「娘を返して!」

 面倒くさそうにエリクは懐から小さな袋を取り出した。

「ほら、旦那様からだ」


 金貨の入ったそれを振って見せて、彼はイルマに手渡そうとした。だが彼女は憤怒の表情で袋を叩き落とした。

「バカにしないで! エフィ!」

 男の手を振り払い、馬車の扉を開けて母親は娘を取り戻そうとした。

「母さん!」

 懸命に暴れたエフィはメイドの手から逃れ、差し伸べられる母の腕に飛び込もうとした。その瞬間、空気を切る鋭い音と共に飛んできた鞭がイルマを打ちのめした。悲鳴を上げて倒れる彼女を、御者が馬用の鞭で二度三度と打ち据える。


「母さん!!」

 叫ぶ少女をエリクが再度馬車に押し込め、メイドの頬を殴りつけた。

「この役立たず! 捕まえてろと言っただろうが!」

 メイドは震えながら少女を抱きしめ、小声で囁き続けた。

「……ごめんね、ごめんね…」


 扉を閉め、金貨の袋を拾い上げるとエリクは御者台に乗り、馬車を出させた。

「帰るぞ」

 車輪の音に、イルマはうっすらと目を開け必死に腕を伸ばそうとした。

「……エフィ……」

 その声と手は届かないまま馬車は走り去り、血だらけで横たわる母親が取り残された。 

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