39 赤い雄鶏の声⑬
ロシニョール男爵そっくりの、小馬鹿にした仕草で公爵令嬢は笑った。
「男爵にヤキを入れられたの? 相変わらず男の扱い方を知らないのね」
「あなたに教わるつもりもないわ」
男爵令嬢はきっぱりと言い返した。女学園以来初めてまともに言葉を交わす因縁の二人は、真正面から対峙した。シャルロットが先に疑問を口にした。
「ずっと考えてきたわ。恨みを抱いて死んだ私はともかく、皇太子殿下と成婚を果たしたあなたが何故この世界に生まれ変わったのかを。あなたは幸福を掴んだのではなかったの?」
「幸福? さっさと死んだあんたと違って、こっちは散々だったわ。新婚旅行で皇太子殿下が暗殺されて」
「殿下が?」
前世の予想もしない歴史に〈デルフィーヌ〉は驚くしかなかった。公爵令嬢の恨み言は続いた。
「『赤い雄鶏』の連中のおかげでね。奴らの情報をダイグル公爵に売って養女になれたってのに、私が流産するとさっさと見捨てられたわよ」
「実の娘を切り捨てる人に何を期待したの。現世の公爵家を崩壊させたのはその腹いせ? 皇太子妃の座を約束されてたのに」
「公爵家に生まれて勝ったと思ったのに、あいつら人のことを道具扱いしかしないし、使用人まで行儀作法の覚えが悪いとか馬鹿にするし。だから変えてやったのよ、私を大切にするように」
それが禁断の関係を持つことなのだろうと〈デルフィーヌ〉は吐き気を堪えて推測した。
「前世の成功体験が役に立ったのね。今の皇太子殿下にはあまり効果がなかったようだけど」
「あの男、計算違いもいいとこよ。手間を省いてやったのに、いつまでも昔の女にメソメソするだけで」
その言い草に引っかかる物を感じ、男爵令嬢が問い詰めた。
「あなた、まさかファニア様に何をしたの?」
「邪魔者を追い出しただけよ。その後に何があろうと知ったことじゃないわ」
「そうやって都合の悪い者を排除するのも前世からのやり方なの?」
「ああ、最初が頭のおかしい男爵夫人だったわ。私のロロットとか鬱陶しいから事実を教えてやったのよ。あんたの娘は死んだ、あんたが目を離して死なせたって。お付きのバアさんが怒り狂ってたけど、男爵に告げ口して二人とも癲狂院に放り込んでもらったの」
自慢げに語られた内容の残酷さにシャルロットは絶句した。あの繊細な男爵夫人がそんな場所で生き長らえたとは到底思えない。そして、この天井知らずの上昇志向を持つ女の最終目標が何なのか想像しようとしたが出来なかった。
「そこまでしてあなたは何になるつもり? ダイグル公爵家もドートリュシュ大公も破滅させて、どんな未来があるというの」
黒髪を掻き上げ、公爵令嬢は笑った。
「決まってるじゃない、新しい世界で一番のお姫様になるのよ。あんたはせいぜい、そこのドブネズミと仲良くするのね」
嘲笑を残し、ダイグル公爵令嬢は部屋を出て行った。
鼻歌交じりに公爵令嬢は燃料貯蔵室に行くとオイル缶を持ち出し、廊下に流しながら歩いた。途中でガス灯の火を消し栓を開けるのも忘れない。
そして彼女は裏口に至った。近くの部屋ではうるさい議論の真っ最中だ。煩わしそうに男たちを見る公爵令嬢は、裏口の外で煙草を吸う人物に駆け寄った。
「お待たせ。準備は出来てるわ」
「あの連中には知らせないのか?」
「薬に未練がある小物ばかりよ。そんなのいてもいなくても構わないでしょう?」
男は笑った。その口元から煙草を引き抜き、ダイグル公爵令嬢はキスをしながら火の付いた煙草を廊下に放った。撒いたばかりのオイルが見る間に炎の筋を作っていく。楽しげに微笑むと、彼女は男と一緒に大公邸を出て行った。
再度閉じ込められて、シャルロットは窓を開けられないかと試してみた。ガラス窓は錠が固定されており、びくともしなかった。開錠できそうな道具はないかと室内を見回すうち、薬物と違う匂いがするのに気付いた。
扉を見れば、床との隙間から煙が入ってきていた。外でばたばたと騒ぎながら行き交う気配がする。火事だと察知したシャルロットは扉を叩いた。
「ここを開けて!」
しかし応える声はなかった。煙は次第に部屋に充満する。シャルロットは椅子のカバーを剝いで花瓶の水を掛け、扉の下を塞いだ。モニカが咳き込んだので、彼女を床に座らせて低い姿勢を取らせる。ハンカチで口元を押さえても、息苦しさは止まらなかった。目の痛みを堪え咳き込むたびに体力が奪われていく。
――ここで焼け死ぬの?
床に這いずりながらそう思った時、会いたい人の顔が浮かんだ。
――イルマ母さん、マルセル兄さん……。
シャルロットはよろよろと立ち上がった。椅子を掴んで窓に叩きつけ、暖炉の脇にあった石炭用のスコップを渾身の力で繰り返し鎧戸に突き立てる。何度目かで板が割れる音がし、光が煙の中に差し込んだ。
シャルロットは窓からカーテンをむしり取って自分とモニカに巻き付けた。窓際に立たせたモニカに向けて助走を付けて走り、そのままの勢いで彼女を抱え窓に体当たりをする。ガラスと木が破壊され、二人は庭に転げ出た。
やっと吸えた新鮮な空気を肺に送り込み、男爵令嬢は見習い修道女の様子を見た。咳をしているが意識はある。
大公邸を振り返ると、あちこちの窓から煙が吹き出ていた。建物から離れなければと思った時、近くで男の声がした。
「くそっ、ジャン=リュックはどこなんだよ! お前……」
銃を取り出す男は使用人のお仕着せではない。彼が呟いた名前から、シャルロットは一か八かの賭けに出た。相手をにらみ据えて詰問する。
「答えなさい。これはジャン=リュック・カナールの指示なの?」
「え……」
男は明らかな動揺を見せた。彼女は矢継ぎ早に『赤い雄鶏』の幹部の名を出した。
「マチューやバティストも承認してるの? 皇都の大公邸でこんな派手な真似をして。すぐに憲兵隊が駆けつけるわよ」
男は目の前の女性が同志なのかどうかを判断しかねているようだ。銃口が揺れた時、轟音と共に邸の窓が内側から吹き飛んだ。立っていた男は爆風を浴びてよろめいた。その隙に、シャルロットは鎧戸の残骸で彼を殴り倒した。
「行きましょう」
モニカに肩を貸して大公邸から出ようとする。煙の先に何かの音がした。
「……自動車」
逃走用に準備していたのか、幌は飛ばされていたがエンジンはしっかりとしたアイドリング音を立てている。
シャルロットは後部席にモニカを横たわらせ、運転席に座った。シャトー・フォーコンでサラ・パンソンから教わった運転法を思い出す。
ハンドレバーを前に倒し、左側のクラッチペダルを踏む。自動車はそろそろと前進した。速度を増すとハイギアでスロットルレバーを開け、シャルロットはステアリングを回した。
――逃走用なら、馬力も速度も充分なはず。
迷わず生け垣の隙間に全速でノーズを突っ込ませた。木の枝をへし折りながら、自動車は邸前の道路に躍り出た。
馬を疾走させながら、マルセルはエフィの無事をひたすら願った。宮殿の広大な庭園を出て貴族街へと全力で駆けていくと、どの屋敷よりも大きなパレ・ヴォライユが見えてきた。
強行突破したかったが、彼は自分を抑えた。単独で突入しても向こうの人数次第では的になるだけだ。それに下手に動けばエフィを危険にさらすかも知れない。じりじりする思いで応援を待ちながら、彼は大公邸の警備を確認した。
「門に二人、裏手にも二人か。どう見ても兵隊崩れだな」
馬から下りて偵察するうち、屋敷の方で破壊音がした。同時に黒煙が窓から吹き出した。
「火事か?」
時を置かずに消防馬車が駆けつけた。憲兵を率いてきたアロイス・ヴォトゥールの声がする。
「マルセル! 無事か?」
騎乗して彼の元に行くと、大公邸で爆発が起きた。馬たちを落ち着かせながら突入の機会を測っていると、突然生け垣を突き破って自動車が飛び出した。運転席にいる者を目にしてマルセルは叫んだ。
「エフィ!?」
追おうとした彼らに大公邸の敷地内から銃弾が浴びせられた。混乱する消防隊をアロイスが下がらせた。
「銃撃隊、前へ」
銃を構えた部隊が展開し、合図と共に一斉射撃をした。大公邸からはまばらな銃声がするのみで、それも次第に弱くなっていった。投降も間近かと思えた時、生け垣から二台目の自動車が急発進した。そのまま男爵令嬢の車を追撃するのを見て、マルセルは馬の腹を蹴った。
宮殿まで逃げ切れば。その思いだけでシャルロットはアクセルレバーを押し込んだ。貴族街を轟音けたてて走る自動車の背後から乾いた音がした。
「えっ?」
後方に目を向ければ助手席に穴が空いている。加えて別の車の排気音が聞こえてきた。追っ手だと察知し、シャルロットはステアリングに身を伏せるようにして全開走行を続けた。銃撃は密度を増していき、突然がくんと車体が揺れた。右後部のタイヤが外れ、車軸ががりがりと石畳を削る。急制動をかけられ、反動でシャルロットは頭部をフロントガラスに打ち付けた。衝撃で目眩が起こり、ステアリングを握る手から力が抜けていく。三輪状態の自動車はアクセル全開のまま走り続けた。
マルセルは猛追撃で追っ手の車に追いついた。乗車した男がこちらに銃を向ける前に片手で鞍から銃を抜きエンジンめがけて発射する。ボンネットが跳ね上がり、車は蛇行して壁に突っ込んだ。振り返りもせずにマルセルは男爵令嬢の自動車を追った。
「エフィ、もう大丈夫だ! エフィ?」
妹の様子がおかしいのがすぐに分かった。自動車は不快な音を立てながら尚も走り続ける。その先は馬車が行き交う大通りだ。停車させなければ大惨事に繋がる。
マルセルは馬を車に併走させた。鐙から足を外し、鞍を蹴って車に飛び乗る。
「どうやって止めるんだ?」
取りあえずステアリングを回して車体を道路沿いの壁にこすりつけた。金属とレンガの擦れ合う耳障りな音を立てても車は止まらない。そこに、馬をとばしてきたアロイスが呼びかけた。
「レバーを上げて右端のペダルを踏むんだ!」
助手席から腕と脚を伸ばしてマルセルは必死に操作した。馬車通りに鼻先を突っ込み掛けた時、自動車は嘘のように停止した。追ってきたアロイスが心配そうに問いかけた。
「ロシニョール嬢は撃たれたのか?」
「いや、頭をぶつけたようだ。エフィ、聞こえるか?」
うめき声を上げてシャルロットは薄く目を開けた。
「……お兄ちゃん? うしろ、モニカが…」
「分かった。よく頑張ったな」
崩れてばさばさになった髪を撫でられて、シャルロットは目を閉じた。
この日ドートリュシュ大公のパレ・ヴォライユは全焼した。大公は収容された病院で死亡、二十人を超える使用人が焼死し、『赤い雄鶏』の構成員十人が逮捕され五人が射殺された。
次回から終章「北限の鷲」が始まります。




