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37 赤い雄鶏の声⑪

 混乱したまま、シャルロットはベルフォンテーヌ宮殿の広大な庭園を歩いた。幼馴染みのモニカの失踪を聞かされてから頭の中がもつれたようになってしまい、何も考えられない。

 動物の形に剪定された植木の陰に来て、男爵令嬢は顔を覆った。そこに戸惑ったような声がかけられた。

「エフィ? どうした?」


 この宮殿で彼女を『エフィ』と呼ぶただひとりの人、義兄のマルセルが王宮衛兵の制服姿で立っていた。シャルロットは彼に縋り付いた。幼い頃の呼びかけが口をついて出た。

「どうしよう、お兄ちゃん。モニカがいなくなったの」

「モニカが?」

「寄付の品物を受け取りに行ったきり戻ってこないって。仕事を投げ出す子じゃないのに」


 震える義妹の肩に手を置き、マルセルがきっぱりと言った。

「分かった、俺は仲間に声をかけて探してもらう。いなくなる直前に一緒にいたのは修道院の人か?」

 頷くシャルロットにマルセルは言い聞かせた。

「その状況も確認するから、お前は皇后宮に戻るんだ。何かあったら必ず教えるから、いいな」

 ようやく考えることができるようになったシャルロットも彼の言葉に同意した。

「分かった、ありがとう」

「俺たちの友達だろ。必ず探し出すから」

 その言葉と手の温もりに救われた気持ちで、シャルロットは皇后宮に戻った。




 マルセルは急いで聖ミュリエル修道院長を探し、どうにか帰る直前に掴まえることが出来た。モニカの幼馴染みで捜索に協力したいと訴えると、修道院長は許可してくれた。

姉妹(スール)モニカは貴族街に向かったと考えられます。地図は彼女しか見ていないので場所は分かりません。あのお医者様が見つかればいいのですが」

「医者ですか?」

「その方が寄付のことを話してくださったのです。まだ若くて眼鏡をかけていて、お名前は…」


 必死に思い出そうとする姉妹イネスに、姉妹ソニアが言った。

「姉妹モニカはピエール先生と呼んでいたような…」

「ピエール?」

「ええ、知り合いのようで親しく話していました」

 ピエールという名の医者をマルセルは一人しか知らない。

「皇都に来てて、モニカと医療奉仕をしてるって言ってたけど、あの先生がどうしてモニカを…」

 彼の居所は誰も知らなかった。マルセルは尼僧たちに礼を言い、詰所に走った。




 穏やかな午後、侍女たちと共に詩の朗読を聞いていたヴィクトワール皇后は、最も年若い侍女を見て怪訝そうに片眉を跳ね上げた。

「このところ塞ぎ込んでいるわね、ロシニョール嬢」

 はっと我に返った男爵令嬢は皇后に詫びた。

「失礼しました」

「恋の病にしては甘さがかけらもないし、これほどまでに白鳥姫(プランセス・シーニュ)を悩ませるのは何なのかしらね」


 シャルロットは顔を上げた。

「……聖ミュリエルでお世話になった修道女見習いの方が失踪してしまったのです。事件に巻き込まれたのではないかと心配で」

 意外と物騒な案件に、侍女たちは顔を見合わせた。皇后は溜め息をついた。

「それは憲兵に任せておくのね。これからは王宮園遊会で忙しくなるのよ」

「はい、陛下」


 ベルフォンテーヌ宮殿は葡萄月の大園遊会を控えていた。通常は昼間に催される行事だが、これは夜間まで及ぶ大規模なものだ。下庭園は庶民にも開放され、締めくくりの壮大な花火が名物になっている。

 当然国賓級の参加者も登城するため、準備に長い期間を掛けてきた。侍女たちにはヴィクトワール皇后がまとうドレスや宝飾品の管理など、多岐にわたる仕事が山積みだ。

 今は自分の職務に精励するしかない。マルセルを頼みの綱として心を鎮め、シャルロットは渡された詩集を手にして朗読を始めた。




 宮殿の警備交代後、マルセルは着替えもそこそこにサン・ワゾー通りのカフェに向かった。研究会に集う者たちとの待ち合わせ場所となっている店だ。

 今日顔を見せているのはウジェーヌ・ガロワ、アロイス・ヴォトゥール、エミリー・ゴージュ、それにパンソン家の探偵社の社員たちだった。


「何か新しい情報は?」

 席に着くなり尋ねるマルセルに、探偵のシモンが肩をすくめた。

「貴族街にお屋敷が何軒あると思ってんですか。しらみつぶしには人も時間もかかるんですよ」

「それが、ちょっと絞れるかも知れないわ」

 エミリーが悪戯っぽく言った。

「あれから聖ミュリエルに行って、姉妹モニカと一緒に奉仕活動をしていた尼僧たちに詳しく聞いてみたの。医師の住所は記録がなかったけど、一人がモニカが持っていた地図に絵があったと言ってたの」


 子爵令嬢は手提げ袋から一枚の紙を取り出した。

「聞き取ったのを描いてみたらこんな感じ」

 それは、花のような数個の模様を取り巻く波に見えた。一同が首をかしげる中、ウジェーヌ・ガロワが絵に手直しを加えた。

「これ、フルール・ド・リースじゃないかな。取り巻いてるのは波じゃなくて羽根なら…」

「それならドートリュシュ大公家の紋章だぞ」


 さすがにアロイス・ヴォトゥールが顔色を変えた。探偵のシモンは表情を読み取らせない胡散臭い笑顔で発言した。

「実は、貴族街で最近様子がおかしいのが大公殿下のお屋敷ですよ」

「おかしいとは?」

「人の出入りがさっぱりなくなって、大公殿下の姿を見た者がいない」

「領地に戻ったのではないの?」

「いや、中に人の気配はするんですよ。あまりに怪しいってんでうちの奴が撮影したのがこれで」


 探偵はテーブルに数枚の写真を置いた。不鮮明だが、確かに数人の人影が写っている。マルセルが中の一枚を凝視し、指さした。

「この奥の小柄な人、黒ずくめだな…」

「そうね、尼僧服にも見えるわ。もっとはっきり写ってればいいのに」

「まあまあ、一番の収穫はこいつでね」

 もったいぶって追加の一枚をシモンが取りだした。窓越しに撮影された写真には後ろ向きの男性数人と女性が写っていた。若い黒髪の。エミリーが息を呑んだ。


「ダイグル公爵令嬢…」

「やっぱりそう見えますか。あのお嬢様も失踪状態のようですが、行き先は確保してるんですな」

「ウジェーヌ、彼女は今、どんな扱いなんだ?」

 アロイスに問われ、内務卿の息子はのんびりと答えた。

「うーん、特に犯罪に加担した証拠もないし。まあ、例の事件の参考人かなあ」

「なら、参考人の保護で治安維持局は動けるのか?」

「父上次第だね、ちょっと内務省に行ってくる」


 散歩にでも出かけるようにウジェーヌ・ガロワは去って行った。エミリーは探偵の腕を掴んだ。

「シモンさん、サラに連絡取りたいの。探偵社には通信設備があるんでしょ?」

「タダじゃないんですよ、お嬢さん」

 子爵令嬢に引きずられるように探偵たちが退散し、残った軍属の二人は今後のことを話し合った。




 同僚の侍女二人と皇王宮へ届け物に行ったシャルロットは、皇后宮に戻る途中に見知らぬ男性に声をかけられた。

「失礼、ロシニョール男爵令嬢でいらっしゃいますね」

「…はい。何か?」

「これを男爵から」

 全身に緊張を走らせ、シャルロットは彼から封筒を受け取った。白一色の封筒には同じく白い便箋が一枚入っていたが、何も描かれていなかった。代わりに言葉より雄弁な物が挟んであった。一房の茶色の髪の毛。

 ――……モニカ!


 シャルロットは懸命に叫ぶのを堪えた。手紙を渡した男は無表情に彼女を見下ろしている。

「ご同行してもらえますね」

 周囲には侍女も衛兵もいる。が、ここで騒げばモニカの安全は保障できない。無視しても次に手渡されるのが毛髪ですむだろうか。

 シャルロットは決意した。

「連れて行ってください」

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