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32 赤い雄鶏の声⑥

 ベルフォンテーヌ宮殿正殿の白鳥の間が無数のシャンデリアで照らし出され、庭園の泉に華麗な姿を映していた。

 今夜はアグロセン大使を迎えての夜会で、皇王皇后も出席する。格式高い公式行事のため高位貴族のほとんどが出席しており、最近不仲が囁かれる皇太子ルイ・アレクサンドルと婚約者ダイグル公爵令嬢デルフィーヌも揃っていた。


 大使一同をもてなすヴィクトワール皇后の補助をするのも皇后付き侍女の役目だ。若い侍女は彼らのダンスの相手を務めることもある。会話は儀礼的なものだが気になることがあれば皇后宮で報告することになっている。

 にこやかに、アグロセン公用語をあまり理解していないふりで情報を引き出す会話術が必要だった。向こうもそれを承知で出席するのだと主席侍女フラモン侯爵夫人は言っていた。


 シャルロットは皇后の指示で大使の子息と踊っていた。白に水色を重ねたドレスが優雅に翻り、白鳥の羽根の髪飾りを付けた彼女をアグロセンの人々は手放しで賞賛した。

「噂に高い皇后陛下の白鳥姫(プランセス・シーニュ)と踊れて光栄です」

「恐れ入ります。リーリオニアの駐在はいかがですか」

「大変快適です。何よりご婦人が美しい」

「お国ではどのようなドレスが流行なのでしょうか」

「こちらほど洗練されておりませんな。夫人たちはシーニュのメゾン巡りに夢中ですよ」


 メゾンの店員からの方が情報が得られそうだとシャルロットは考えた。大使の息子と別れて皇后の元に戻り、皇太子が婚約者と踊るのを眺めた。ダイグル公爵令嬢のステップは相変わらず雑で、皇太子は儀礼的な微笑を貼り付けている。大使たちに囲まれているドートリュシュ大公にシャルロットは視線を移した。線の細い皇王よりも、恰幅のいい大公の方が多くの賓客に囲まれている。時折皇后が険しい視線を彼に向けた。


 それらに目を取られていた間に皇太子と婚約者はダンスを終え、ダイグル公爵令嬢は姿を消していた。

 ――前世では皇太子殿下から片時も離れずに寵愛ぶりを見せつけていたのに。

 現世でも同様だったはずが、いつから変わったのだろうか。そう思いながら皇太子を見ると、覚えのある顔が彼の周囲にいた。内務卿の息子ウジェーヌ・ガロワだった。

 ――あの方は殿下の側近だったかしら。

 研究会でだらしなくソファに寝転んでいた彼は、礼服姿だとちゃんと貴公子らしく見えた。考えるうちに当の本人が目の前に現れた。

「ロシニョール嬢、一曲お願いできますか」


 礼儀正しくダンスを申し込まれ、シャルロットはちらりとフラモン侯爵夫人を見た。彼女が小さく頷くのを確認し男爵令嬢はウジェーヌに向けて礼をした。

「喜んで、ガロワ様」

 二人は踊る人々の中に入っていった。

 ウジェーヌは中肉中背だが身のこなしは軽かった。驚きながらシャルロットは彼に言った。

「ダンスがお上手なのですね」

「光栄だな、白鳥姫にお褒め戴いて」


 くしゃりと目元を緩めるといつもの彼だった。

「研究会ではしばらくお目に掛かりませんでしたが」

「君の宿題が大きかったから」

 笑いながら、彼は小声で尋ねた。

「あの紙は写しだね。原本は?」

「処分しました」

 男爵から渡された名前の紙は綴りまで完全に覚えた後で焼き捨てた。ウジェーヌは正解だと言いたげに頷いた。


「まだ父上には話してないけど、あれは『赤い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』の幹部だよ」

「政治団体の?」

「かなり過激な政治団体の」

 そんな者がどうして皇后に接近するのかシャルロットには理解できなかった。だが、幹部の名前を耳にしたのは宮殿内だ。皇王宮や皇后宮はともかく、下の翼では貴族だけでなくさまざまな者が出入りする。何より気にかかることをシャルロットは尋ねた。


「ロシニョール男爵との関係は?」

「それがまるで出てこない」

 ウジェーヌが情けない声を出した。そして男爵令嬢の可憐な姿を凝視した。

「君は最初に会った時からまるで男爵の違法行為を暴くのが目的のようだったけど、それが実現したら君自身にも累が及ぶんだよ」

「その時は、皇后陛下にお暇をいただいて宮殿を出ます」

 男爵が失脚しニドの街に危害を加えられなくなること。それこそが家族を取り戻す時だ。


「ここに何の未練もないんだね」

「私の戻る場所は別にありますから」

 やれやれと首を振り、内務卿の息子は寂しそうに笑った。

「もし、避難場所が必要になったらぜひ頼って欲しいとエミリー・ゴージュ嬢やサラ・パンソン嬢が言っていたよ。表だっては動けないけどディロンデル公爵令嬢も」

「先輩たちが…」

 ありがたいことだとシャルロットは素直に感謝した。


「研究会仲間はみんな心配してるんだ。世の中はいつ戦争や内紛に転ぶか分からない状況だから」

 確かに、最近は列強諸国の大使や国賓を招いた公式行事が多い。まるで西方大陸の実力者たちに向け、抜け駆けはないことを喧伝しているようだ。

 ――ここまで用心しながら、裏では侵攻作戦を進めていたのね。

 自分のことにしか目を向けなかった前世と違い、様々な角度から見た現世は驚くほど危うい。


「殿下はどうお考えなのかしら」

「あの方はその気になればいくらでも迅速で大胆な行動ができるよ」

 それが世界を戦火から救う道であって欲しいと、シャルロットは切実に願った。

 曲が終わり、二人は礼をして別れた。皇后の側に戻るしなやかな姿を見て、ウジェーヌは寂しげに呟いた。

「僕は選択肢にも入ってないからなあ…」


 皇后の背後から、シャルロットは夜会に集う人々を観察した。姿を消していたダイグル公爵令嬢は白鳥の間に戻っている。彼女を取り囲むのはダイグル公爵とその息子だ。

 ――前世からは想像も出来ないほどの溺愛ぶりね。どれだけご機嫌を取ってきた成果なのやら。

 そして、公爵家に一人欠けていることに気付いた。ダイグル公爵夫人が見えない。広い白鳥の間を見渡しても華やかな公爵夫人の姿はどこにもなかった。

 夫婦仲はどうあれ公式の場には必ず揃って出席していたことを思うと違和感が拭えない。シャルロットは風に当たってくると言ってバルコニーに出てみた。公爵夫人は見つけられなかったが、庭園で警備に付く王宮衛兵の中にマルセルがいた。シャルロットが小さく手を振ると彼も気づき、帽子を上げて笑った。

 この夜で最も嬉しい出会いだった。




 後日、皇后の衣装を整えながらシャルロットは先輩の侍女たちに訊いてみた。

「ダイグル公爵夫人は、この前の夜会に出られなかったのでしょうか」

「あの方はご病気と聞いているわ」

「そうなのですか。学園の面会でも一度もお見かけしませんでした。公爵様は毎週のように見えられましたが」

「もう長いことになるかしら」

 主席侍女のフラモン侯爵夫人が溜め息をついた。

「陛下とは又従姉妹にあたられて、お若い頃は親しかったようですのに」


 その話題はお茶の席でも持ち出され、ヴィクトワール皇后は寂しげに語った。

「娘時代のジュヌヴィエーヴはダンスが好きで生き生きとして、『踊る花』と呼ばれていたわ。引きこもるようになったのはここ五、六年ね」

「そこにいるだけで場が明るくなるような方でしたね」

 主席侍女の言葉にしばらく考え込んでいた皇后は顔を上げた。

「見舞いの品を届けるわ」

「誰を遣わせますか」

 皇后は末席に座る年若い侍女に顔を向けた。

「ロシニョール男爵令嬢、あなたが行きなさい」

「畏まりました」

 頭を下げながらシャルロットは必死で動揺を押し隠した。

 予想もしない形で、現世のダイグル公爵邸を訪問することが決定した。

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