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30 赤い雄鶏の声④

 国立図書館の研究会は少し大きな会議室でのサロンへと変化していた。


 この日はマルセルの都合が合わず、アロイス・ヴォトゥールがシャルロットの護衛役として連れてきてくれた。

 彼と共に歩くリーリオニア皇国首都シーニュは春を迎え華やかな印象があった。工事中の市庁舎が事件の爪痕を残していたが、その後は同一または模倣と思われる事件は起きていない。


「何らかの政治的主張があるなら犯行声明を出すものだが」

 アロイスは新聞社など報道機関にその手のものが何も送られていないのをむしろ不気味がっていた。

「こういったことはガロワ様がお詳しいのかと思っていましたが、最近は集まりにも来られないのですね」

「ウジェーヌは何を考えているのか分からないところがあるからな」

 友人のとらえどころのなさに、アロイスは放っておくしかない心境のようだ。




 図書館の会議室に入ると、ディロンデル公爵令嬢が迎えてくれた。

「いらっしゃい、皇后陛下のご機嫌はどう?」

「この季節は体調が優れないご様子です」

 挨拶の後で、シャルロットは皇太子との会食に同席するよう命じられたことを相談した。ユージェニーは金髪を揺らして笑った。

「あらあら、外堀を埋められてるのねえ」

「皇后陛下は単なる思いつきでしょうけど、殿下はご不快ではないかと…」

「愛しい初恋の君の思い出に浸れるのに?」


 公爵令嬢の見解はなかなか辛辣だった。シャルロットは事情を知っていそうな彼女に質問した。

「殿下の初恋の相手はフィンク半島にある国の人としか知らないのですが」

「小さな国の貴族の娘よ。四年前だったかしらね、殿下の婚約の話があちこちから出ていた時に、よりによって皇国に何の利益もないご令嬢に恋をしたとおっしゃって。内々であっても結構な騒動でしたわ」

 〈デルフィーヌ〉は前世の記憶を辿った。四年前であれば皇太子は十五歳。あの半島に外遊したことはないはずだから、その令嬢が留学でもしていたのだろうか。


 好奇心に駆られ、シャルロットは図書館に保管された新聞を見てみた。

 ――確か、留学生を招いて友好を深める園遊会が春に行われていたわね。

 その時期に絞って新聞をめくると、社交欄に写真があった。少年のルイ・アレクサンドルと彼を囲む少女たち。最も目を引く少女の名をシャルロットは読んだ。

「ファニア・エステルハージ伯爵令嬢」

 清楚で柔らかな印象の、ほっそりと儚げな美少女だった。

 ――確かに、この方なら殿下が恋に落ちるのも頷けるわね。

 それほどシャルロット・ロシニョールに似ているとは思えないが、髪や目の色のせいだろうか。


 留学生の少女たちはそれぞれの民族衣装のようなドレスに身を包んでいた。ファニア嬢は膨らんだ短い袖のブラウスに腰の細さを強調する紐付きのコルセツトサッシュ、ふわりとしたスカートで可憐な妖精のようだった。

「でも、この年はあの疫病が流行したはず…」

 それなら彼女は急遽帰国したかも知れない。皇太子と再会の約束をして別れたのなら、待つだけの日々はつらかっただろう。

「どの国も大変だったけど、小国は更に酷かったでしょうね」


 エスパ風邪の薬は大国同士の奪い合いだった。後回しにされた弱い者から病で死んでいったことをシャルロットは知っている。

「今は行方不明だと聞いたけど、殿下の本意はどこにあるのかしら」

 新聞を戻そうと畳んでいった時、一枚の写真が目に付いた。白衣を着た医師たちだった。その中にパンソン家のシャトー・フォーコンで知己を得た者を彼女は見つけ出した。

「シュエット博士。疫病の対策で寝る間もなかった頃のものね」


 やつれた様子の彼を痛ましく思っていると、その背後に思いがけない人物がいた。

「……これ、ピエール先生?」

 間違いなくニドの街の医師だ。だが、写真に添えられた文章は疫病の対策に苦慮する医学院とある。町医者が加われるような顔ぶれではないはずだ。

「偶然……よね。下町の先生が博士たちに混じって研究なんてありえないもの」

 患者のために薬を求めて首都にまで足を伸ばしたのだろう。シャルロットはそう思い込もうとした。




 月の最後の週末に、皇后と皇太子の会食は執り行われた。

 末席に着いたシャルロットを見て、皇太子は一瞬動きを止めた。今夜の男爵令嬢の装いは軽やかな薄絹を重ねた釣り鐘型のスカートに短く膨らんだ袖、幅広のサッシュだった。


 ヴィクトワール皇后はそんな二人を見て口元だけで笑った。

「異国風のドレスなのね、ロシニョール嬢」

「ある国の春祭りの衣装を参考にしました、陛下」

「グリヴ嬢のメゾンあたりが買い付けに飛んできそうね」

 皇后は終始機嫌良く会食を終え、クリマ酒のグラスを手に息子に告げた。

「庭園の照明をガス灯に変えました。庭の花が見事なので散策して行きなさい。ロシニョール嬢、案内を」

「はい、陛下」


 いきなり二人にされてシャルロットは戸惑ったが、取りあえず皇太子と夜の庭園に出た。ガス灯の下に立つ彼女をルイ・アレクサンドルは見つめた。

 皇后や侍女たちに会話を聞かれない距離にくるとシャルロットは彼に向けて直截な質問を投げかけた。

「ファニア様は消息不明と聞きました。今も手がかりは無いのですか」

 目を瞠った後で、皇太子は苦笑した。

「ロシニョール嬢は事情通のようだな」

「噂と新聞でしか知りません。エステルハージ伯爵令嬢はエスパ風邪が流行したことで帰国されたのですか」

「……そうだ。必ず迎えに行くと約束した。口約束しか出来なかったが、私の本心だった」


 シャルロットは無意識に隠しポケットに入れた手紙に服の上から触れた。伯爵令嬢にとって、それはただ一つの希望だったろう。皇太子はガス灯に吸い寄せられては焼かれて落ちる羽虫を哀しげに眺めた。

「父上にダイグル公爵令嬢との婚約を考え直して欲しいと訴えたが一蹴された。フィンク半島の貴族の娘は正妃はおろか寵姫愛妾にも出来ない、我が国が半島諸国と政治的結びつきを画策しているとアグロセンやザハリアスを刺激しかねないと。大公殿下には、日陰の花として囲うのがせいぜいだと笑われた」


 当時は、どの列強が半島のどの地域を手に入れるか牽制しあっていた。女一人で均衡を崩すなど皇王たちが許すはずもない。

「それで姿を隠されてしまったのですか」

 シャルロットの言葉に皇太子は声を上げて笑った。世界中の全て、何より自分自身を罵るような嘲笑だった。驚く男爵令嬢に向けて彼は言った。

「表向きはそうなっている。疫病が収束してフィンク半島のエステルハージ伯爵領に人を送った。伯爵の館は廃墟になっていた」


 シャルロットは皇太子をまじまじと見た。彼は端正な顔を歪め、熱に浮かされたように語った。

「帰国したファニアは体調を崩し、伯爵領にも疫病が蔓延し始めた。家族を病で失った者がファニアを疫病をもたらした魔女だと告発し、恐慌状態に陥った領民たちが武器を携えて領主の館を取り囲んだ。そして外から扉も窓も封じ館に火を放った」

「……そんなことが…」


 機械が工場に溢れ自動車が馬車に取って代わろうとする時代のこととは思えなかった。蒼白になったシャルロットに、皇太子は頷いた。

「信じられないことだが、あの地域は昔ながらの生活を続け、迷信深い。館の領主一族使用人全員が焼死体となって発見されたと警察の記録にあった」

「その中にファニア様も?」

「遺体は酷い有様だったが、一体が私が贈った指輪を握りしめていたと、報告書に添えられて戻ってきた」


 彼は胸元から金鎖に通した指輪を出した。小さな、女性用のものだった。愛しげに手のひらに載せ、皇太子はシャルロットに告げた。

「ディロンデル公爵令嬢たちとエスパ風邪の真相を研究していると聞いた。是非成し遂げて欲しい。応援するよ」

 彼が差し出した手を、男爵令嬢は握らなかった。代わりに真正面からルイ・アレクサンドルを見つめる。

「何故、殿下ご自身で追求されないのですか。殿下であれば、私などでは閲覧不可能な極秘文書でも見ることが出来ますのに」

「父上に余計なことをするなと言われるだけだ」

「二十万もの国民の死の理由を明らかにするのが余計なことですか? ファニア様の悲劇を闇に葬るのが殿下の正義ですか?」


 皇太子は無言だった。シャルロットは庭園に控える衛兵を呼んだ。

「殿下が皇太子宮に戻られます」

 それだけ言うと、男爵令嬢は皇太子に向けて淑女の礼をした。

 ルイ・アレクサンドルは何も言わずに歩き始めた。

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