28 赤い雄鶏の声②
突然の爆破事件に、内務卿は政庁の執務室に缶詰状態だった。
「とうとうやらかしたか、あの過激派ども」
忌々しげに報告書を睨み、内務卿セザール・ガロワ侯爵は唸った。市庁舎の爆破事件は派手な割に破壊範囲は狭く、幸いなことに死者は出なかった。だが、首都の市庁舎が狙われ多数の負傷者が出てしまったのだ。明日の新聞の見出しを思うだけで頭が痛かった。
「内偵の連中は何をしていたのだ。反乱分子などいつでも潰せると大口を叩いていた憲兵隊はどこにいた?」
秘書が血圧を心配する勢いで内務卿は治安維持責任者を罵った。そこにのんびりした声が加わった。
「失礼します、父上」
許可もなく入室した息子に、父親は何しに来たといわんばかりの顔を向けた。ウジェーヌ・ガロワはお構いなくソファに腰を下ろした。
「忙しそうですね。アロイスも右往左往してましたよ」
「世間話なら後にしろ」
「あ、ディロンデル公爵令嬢から国立図書館での研究会のお誘いを受けました」
二大公爵家の一つの名を聞き、ペンを持つ内務卿の手が止まった。
「あの男爵令嬢と疫病の薬関係を洗っていた集まりか。大層な名前がついたものだな」
皮肉を言われても息子は屈託なく笑った。
「実際、大層な集まりになってるんです。医学方面から報道方面から、今度はどんな人が紹介されるのか想像も付かなくて」
「智のディロンデルが関係しているからには遊びではないようだな」
「楽しみですよ。できれば美人新入会員がいるといいなあ」
親の目から見ても胡散臭い笑顔で、ウジェーヌは政務に忙殺されている内務卿の神経を逆なでした。そして、怒鳴られる寸前にするりと執務室から逃げ出した。
同じ頃、シャルロットはユージェニーから国立図書館への誘いの手紙を受け取っていた。主席侍女であるクロチルド・フラモン侯爵夫人に打診すると、快く参加を許してくれた。
「あなたはずっと休みも取らずに働いてくれたわ。付添人はどうするの?」
「心当たりがあります」
すぐにシャルロットは王宮警備隊に申請書を出した。
研究会当日、外出着に着替えたシャルロットはマルセルとの待ち合わせ場所に急いだ。
彼の長身はすぐに庭園で見つけられ、彼女は声をかけようとした。しかし、数人の宮中女官がマルセルにまとわりついていた。馴れ馴れしく腕や肩に触れながら誘いかける女官たちに衛兵は辟易した様子だったが、シャルロットを見るなり駆け寄ってきた。
「よかった、来てくれて」
「知り合いなの? あの人たち」
いささか刺々しく尋ねられ、マルセルは全力で首を振った。
「名前も知らない。いきなり囲まれて何があったかと思ったよ。田舎者をからかってるだけだ、行こう」
昔のように腕を引かれ、さっきまでの不快感はシャルロットの中から消えていた。
街中を二人で歩いていると、どうしても幼い頃の記憶が甦る。まだ小さなマルセルが、もっと小さな妹の手を繋いで迷路のような街を歩いた頃の。
――もう、手を繋ぐことも出来ないのね。
皇后の侍女として品位ある態度を求められるのは宮殿の外でも同じだ。分かっていても一抹の寂しさは消えなかった。
ほどなく国立図書館の大木や建物が見えてきた。
「俺はどこで待てばいい?」
マルセルに問われ、今度はシャルロットが彼を引っ張った。
「兄さんも参加して。国境で見てきたことを話すだけでいいの」
「え? おいっ」
久しぶりの小討議室は満員状態だった。シャルロットはユージェニーの隣に元寮監のエミリー・ゴージュの姿を見つけ驚いた。
「エミリー先輩、ご無沙汰してます」
「久しぶりね、シャルロット」
「先輩はどうしてここに?」
「サラから面白い集まりがあるって聞いたの」
「そうですか。私も先日サラ先輩からお手紙をいただきました。ローディンで楽しく勉強なさっているようで」
「楽しく周囲を振り回してるのね」
エミリーが冗談めかすとユージェニーが笑った。
「どう? 盛況でしょう」
「随分と人数が増えてますね」
「自薦他薦でいつのまにかこの有様よ」
ディロンデル公爵家の人脈もあるのだろうと〈デルフィーヌ〉は推察した。最初気後れしていた様子のマルセルは軍服姿の数人と会話をしている。
「やあ、ロシニョール嬢、久しぶり。制服以外の姿を見るのは初めてかな」
笑顔で手を振るのはウジェーヌ・ガロワだった。不思議とどこにでも溶け込める人だと思いながら、シャルロットは挨拶した。
「色々と忙しくて足が遠のいてましたが、まるでサロンですね」
「ははっ、そうだね。身分地位関係ない、誰もが勉強できるサロン。パレ・ヴォライユの縮小版だ」
彼の軽口をユージェニーが咎めた。
「まあ、大公殿下を引き合いに出すなんて軽率な方ね」
「あの方はあれで、ちゃんと自分に役立つ者しか受け入れてないわよ」
エミリーの発言に、シャルロットは彼女に小声で尋ねた。
「ご存じなのですか、大公殿下のことを」
「祖母から聞いた話くらいだけど。現皇王陛下は兄君に王位を譲られて即位されたため、大公家は破格の待遇なのだとか」
大公の領地は皇国の一部と言うより独立国のようになっていることもエミリーは教えてくれた。
――あの尊大なロシニョール男爵でも逆らえない相手ね。いえ、あの男なら積極的に手先となって最大限に甘い汁を吸う算段くらい立ててるわ、きっと。
シャルロットは手提げ袋から一枚の紙片を取り出し、ウジェーヌに差し出した。
「この名前に覚えはありませんか」
男爵から渡された紙の写しだ。羅列された名前を内務卿の息子はしげしげと眺めた。
「うーん、知らないけど、人捜し?」
「市庁舎の爆発騒ぎの時に、一番上の名前を耳にしました」
「調べてもいいけど、いいの?」
「お父様に報告してくださるのでしょう?」
ウジェーヌは瞬きを繰り返した。頭を掻く彼にシャルロットは付け加えた。
「詳細を知りたければロシニョール男爵に訊いてください」
それだけ言うと彼から離れ、シャルロットは医学院の講師という人物に質問した。
「私の知人に様子がおかしくなって学園を休んでいる方がいるのですが、ご病気なのでしょうか」
前世の自分の状態に酷似していたベアトリス・モワイヨンのことを説明すると、講師は首をかしげた。
「被害妄想に幻聴、突発的な暴力……。確かに思春期から二十代前半に発症する精神病はあるんだが、実はこのところ、似たような症状の者を続けざまに診察したんだよ」
「それは感染でしょうか」
「シュエット博士は別の可能性を疑っていたよ。薬物の影響ではないかと」
「薬物……」
その言葉を呟くと同時に、頭の中がざわりと不透明になった。何か、誰かが遠くから呼びかけるような感覚に囚われ、シャルロットは自分の胸元を掴んだ。
「エフィ?」
顔を上げると、心配そうにマルセルが覗き込んでいた。
「どうした? 真っ青だぞ」
「…何でもないの。久しぶりで興奮してしまったみたい」
他の者からも心配され、シャルロットはマルセルと一緒に早めに図書館を引き上げた。
他愛ない会話をしながら宮殿に戻る中、〈デルフィーヌ〉はずっと考えていた。
前世の記憶を辿る時にどうしても思い出せない期間があることを。それは空白と言うより何かに塗りつぶされたような印象があることを。
――あの期間に何があったの? まるで妨害を受けたような不快感があるのは何故なの?
おぼろげに浮かぶ人物、優しげでいながら抵抗を許さない声。前世での自分を破滅に導いた何者か。
シャルロットは手袋に隠れた左手首に視線を落とした。そこに残る傷跡は前世で死の間際に着けたものと不気味なまでに似通っていた。
――この傷を負った時に『私』の意識がエフィの中に生まれたのだったわ。偶然だなんて思えない。
たとえ苦痛を伴うことであっても、明らかにしなければならない。
本能的に彼女は決意した。




