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27 赤い雄鶏の声①

 ファロス歴1010年。新年の幕開けを祝う大勢の人々がベルフォンテーヌ宮殿前に集まった。バルコニーに出て手を振る皇族たちを、シャルロットは皇后付き侍女として彼らの背後から見つめていた。


 皇王ルイ・レオポルト、皇后ヴィクトワール、皇太子ルイ・アレクサンドル。皇王一家と少し距離を置いて、堂々とした壮年の男性が立っていた。

 皇王の従兄であるドートリュシュ大公ルイ・フィリップ。ニドの街を含む皇国南西部に広大な領地と絶大な影響力を持つ人物。ここ数年は首都シーニュのパレ・ヴォライユに居住しているという。


 押し出しが強く、皇王を凌ぐ威厳と風格のある彼の派閥は二大公爵ほどはっきりしていない。ただ、パレ・ヴォライユには身分を問わず有識者を集めたサロンがあることで有名だった。

 ――前世でもあの方の居城には行ったことがないわ。

 〈デルフィーヌ〉はそう回想した。彼女が知る限り、ダイグル公爵は極力大公とは関わらないようにしていた。それが表面上のことなのか、敵対関係にあったからなのかは分からない。


 やがて皇族の挨拶が終わり、シャルロットは皇后の毛皮付きマントの裾を直した。彼女の後を他の侍女たちと一緒に歩くと、あちこちから囁きが聞こえてきた。

「あれが、皇后陛下の新しい侍女」

「例の白鳥姫(プランセス・シーニュ)か」

「皇太子殿下がご執心と聞いたが…」

 どうやら、皇后はあのはた迷惑なあだ名を修正する気はないようだ。彼女の性格が前世と同じなら、むしろこの状況を楽しんでいるのだろう。

 〈デルフィーヌ〉はそう推測した。


 ――決して無意味に人を虐げる方ではなかったけど、気難しくて扱いにくい所はおありだったわね。

 婚約者がいる息子に新たな女性の影をちらつかせるなど波風しか立たない気がするが、何らかの理由があるかもしれない。

 今は全ての視線を無視して彼女に仕えるしかないとシャルロットは宮殿を進んだ。皇后宮に入り外部の者の視線が届かない場所に来ると、つい吐息が漏れた。


 皇后の私室で侍女たちは主の着替えを手伝い、休息のための飲み物などを用意させた。ヴィクトワール皇后が主席侍女を残して他を退出させると、侍女たちは隣の部屋で待機した。

 メイドが侍女たちのために運んできたお茶をシャルロットが淹れた。使用人が下がると、皇后の侍女たちはやっと束の間の休息を楽しむことが出来た。


 皇家の者に仕える侍女はただの使用人ではない。主の世話の他に秘書的な役割や公務の手助けなど役目は広範囲にわたる。公の場に侍ることも多く、式典や賓客応接の知識も要求される。

 末席に連なるシャルロットは先輩たちを観察し、前世で公爵令嬢であったときの記憶を総動員して仕事をしていた。


 空いた椅子に座り、淹れたお茶の香りを楽しむ。

「南方大陸の茶葉でしょうか」

 確か、前世の皇后があの地方の茶葉を好んでいた。先輩の侍女たちがシャルロットの言葉に驚いた顔をした。

「よく分かるわね」   

「陛下は様々な効能があるからとおっしゃって、各地の物を集めておられるのよ」


 シャルロットは頷いた。前世での皇后との関係は親密ではなかったが、彼女は少なくとも盲目的にシャルロット・ロシニョールを信奉したりはしなかった。公平な視点で皇太子に意見をしてくれたのを、救われるように思ったこともある。

 ――現世では少し違うようね。

 家格の低い男爵令嬢を侍女に加えたのは、珍しい装飾品でも手に入れたような心境なのだろうか。皇后の気まぐれぶりはダイグル公爵夫人を思わせる所があった。

 ――そういえば、公爵夫人とは親戚関係にある方だったわ。


 自然とダイグル派に組み込まれそうなものだが、その令嬢に対抗するような噂を作り出すのは何故だろうか。

 ――かといって、ディロンデル派が接触している様子もないし。

 学園を去る前に挨拶したユージェニー・ディロンデル公爵令嬢が笑顔で送り出してくれたことをシャルロットは思い出した。

 そして、最後の面会日に訪れた者のことも。



     *          *



 面会室の椅子に腰掛けることすらせず、シャルロットはロシニョール男爵と対峙した。

 無表情で俯く彼女をじろじろと値踏みするように見回して、男爵は鼻を鳴らした。

「相変わらず陰気で不器量な奴だ。どうやって皇后陛下に取り入ったんだ?」

 無言のシャルロットに忌々しげな顔をして、男爵は言いつけた。

「まあいい。皇后の側にいるなら、こいつらが顔を見せたら連絡しろ」


 一枚の紙片を押し付けると、男爵はさっさと帰り支度をした。去り際に、彼は小声で脅した。

「逆らうなよ」

 びくりとシャルロットは肩を震わせた。この男は未だに彼女の家族の命運を自由にできるのだ。満足げに男爵は口元を歪め、面会室を出て行った。



    *          *



 ――あの名前、前世でも聞いたことのない人たちだった。

 ロシニョール男爵が何を警戒しているのか見当もつかない。だが、こちらの強みは男爵が娘を未だに愚鈍だと思っていることだ。

 ――あれが誰なのかを調べるのが先決ね。

 紙片に書かれていたのは五人。貴族名鑑ではなかった名だった。


 思考を巡らせながらお茶を飲んでいると、不意に遠くでくぐもるような音がした。次いで窓ガラスが揺れる。

「何?」

 侍女たちが立ち上がった。窓から見える街の方角に煙が立ち上っていた。

「火事なの?」

「でも、あの音は…」


 不安そうな彼女たちをよそに、シャルロットは控えの間の扉を開けた。

「どこに行くの?」

「様子を見てきます」

 そう言うなり男爵令嬢は廊下に出て行った。


 皇后宮を抜けると、宮殿内は動揺を隠せない使用人や官吏が右往左往していた。庭園に目をやったシャルロットは、衛兵の中に見知った者を見つけ駆け寄った。

「マルセル兄さん!」

「エフィ」


 マルセルも彼女に気付き、殺気立つ警備の者を避けるようにして二人は顔を合わせた。

「何があったの?」

「市庁舎で爆発が起きた」

「爆発? 何かの事故?」

「原因までは分からないけど、危ないから皇后宮に戻るんだ。宮殿の中なら安全だから」

「気をつけて」


 仲間と共に警備に就く兄をシャルロットは見送った。皇后宮に戻ろうとした彼女を覚えのある声が呼び止めた。

「ロシニョール嬢」

 近衛将校服の男性は図書館での研究仲間だった。

「ヴォトゥール様、市庁舎で爆発が起きたと聞きましたが」

「そうだ、今、陛下の警護を強化している」

 シャルロットは頷いた。

「私も皇后陛下の元に戻ります」

「それがいい。皆気が立っているから用心するんだ」


 彼と別れて男爵令嬢は皇后宮へと急いだ。廊下を歩いていると、ある会話が耳に留まった。

「――それで、カナールは?」

「ジャン=リュックなら『赤い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』の――」

 思わず振り向いた時、声の主たちは人混みに紛れていた。


 ――ジャン=リュック・カナール……。男爵が寄越した紙にあった名前。

 市庁舎の煙は今も立ち上っている。

 ――『赤い雄鶏』は確か過激な政治団体らしいけど、その関係者なの? この事件にも関与しているの? どうして男爵はそんな者が皇后陛下に接触すると考えているの?

 渦巻く不安と疑惑を抱え、シャルロットは立ち尽くした。

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