23 白鳥の園⑯
その夜、お勤めを終えたモニカがこっそりとシャルロットの部屋を訪れた。
ベッドに広げられたドレスの惨状を見て、見習い修道女は言葉もなかった。
「……ひどい。あんなに頑張って綺麗に仕上げてたのに」
「そうね、どうしようか考えてたの」
幸い、スカートにボリュームがあった頃のドレスのおかげで、スカート部の生地は予備があった。
「内側のレースは無事な箇所を前に持ってきて、オーバースカートは予備の布を使って、切られた布は腰当ての内側に押し込むとして……、大丈夫、裾の始末もしてある布だから時間が稼げる。問題はボディスね」
細いなりに広がりのあるスカートと違い、上体はぴったりと身体に沿う作りになっている。
「作り直すならこれを分解して型紙を取って裁断に縫製……無理ね、生地も足りないし」
「買い足せないの?」
心配そうなモニカにシャルロットは首を振った。
「昔のドレスだから、同じ生地は手に入らないわ。こうなったら出来るだけ繕って、何かで誤魔化すしかないわね」
男爵邸で着ていた子供服のようなドレスから取り外した装飾は、まだ取ってある。だが、フリルもリボンもすっきりしたデザインにそぐわない物ばかりだ。
「継ぎ当ての所にリボンを付けてたら、ボディスがリボンで埋まりそう」
お手上げ状態の少女たちは、欠席も検討した。
「男爵は怒るでしょうね。下手をすれば学園の授業料も打ち切られるかも」
勘当されたところでシャルロットは痛くも痒くもないのだが、問題はロシニョール男爵の人間性だ。
「あの男なら、腹立ち紛れにニドの街に何をするか分からない…」
それだけは避けなければならないと、シャルロットは再度ドレスと向き合った。
「リボン以外で継ぎ当てを誤魔化せそうなのは……」
箪笥内をあさるうちに、引き出しからずっと忘れていた物が出てきた。
「何?」
モニカが珍しそうに覗き込んだ。シャルロットは細長い箱を開けた。
「昔に流行った羽根扇よ。凄いでしょ」
広げれば上半身を軽く隠せそうな扇に二人は笑った。やがて男爵令嬢は笑うのを止め、扇とドレスを真剣に見比べた。
「使えるかもしれない」
彼女はさっさと扇の分解に取りかかった。
数日後、寮の食堂で友人たちが恐る恐る尋ねた。
「あのドレス、何とかなりそうなの?」
シャルロットは優しい彼女たちに微笑んだ。
「とにかくあるものを全部使って形にしてるところよ」
「よかった。落ち込んでたら何て慰めようかと相談してたのよ」
「偉いわ、あんな嫌がらせされても諦めないなんて」
「…ねえ、誰がやったのか分からないの?」
最後の質問はかなり小声だった。男爵令嬢は申し訳なさそうにかぶりを振った。
「今はドレスを直すのが最優先だから、他のことを考える余裕がないの」
「頑張ってね、私たちも出来るだけ手伝うから」
フェリシーとロールがシャルロットの手を握って激励した。
「ありがとう。応援して貰えて心強いわ」
「ドレスさえちゃんとすればシャルロットより綺麗な子なんていないんだから」
「マナーもダンスも高位貴族の人たちに負けてないし」
「知ってる? ダイグル様と並べたらどっちが公爵令嬢か分からない、なんて高位の方々が笑っていらしたの」
「それは失礼よ」
我がことのように盛り上がる友人たちに笑いながら、シャルロットは部屋の隅にいた者がこっそりと出て行くのを見逃さなかった。
翌日、授業中で寮が無人になった時間帯に、こっそりと忍び込む人影があった。その人物は迷わずシャルロット・ロシニョールの部屋の鍵を開け、部屋の奥のハンガーに掛けられたドレスに向かった。埃よけの布に覆われたそれをめがけて手にしたナイフを振りかぶる。
その時、侵入者は手首を捕らえられ、後方に引き倒された。強く尻餅をついて唸るのを素早く拘束したのは見習い修道女モニカだった。彼女はドアの所にいる者に声をかけた。
「もう大丈夫よ」
入ってきたこの部屋の住人、ロシニョール男爵令嬢を見て、床に押さえつけられた侵入者は信じられないと目を剥いた。シャルロットは彼女に優しく声をかけた。
「あなただったのね、メリナ」
それはモニカ同様見習い修道女として寮生の世話をする少女だった。この寮に来て最初に知り合った子だとシャルロットは懐かしくすら思った。
「何でこんなことをしたの」
モニカは怒り心頭の様子だった。メリナは普段の従順な態度をかなぐり捨てて二人を睨んだ。
「こいつが気に入らなかったのよ。たかだか男爵家の娘のくせにお上品ぶって、皇太子にまで色目使って!」
「メリナ!」
同僚を殴りかねないモニカを抑え、シャルロットは見習いの少女と向き合った。
「あなたが皇太子殿下のことを知るはずがないわね。誰の命令でこんなことをしたの? モワイヨン様? ディロンデル様? ……ダイグル様?」
最後の名前にメリナの肩がぴくりと震えた。驚くより納得の顔でシャルロットは続けた。
「そう、公爵令嬢の命令なら逆らえないわね。あなたもつらかったでしょうね」
同情めいた言葉を言いながら、〈デルフィーヌ〉はメリナの反応を観察した。見習い修道女の俯いた顔に一瞬、歪んだ微笑が浮かんだ。
シャルロットはメリナの前に膝をついた。
「あなたを許すわ。処罰を求めることもしない」
そして、少女の耳元に唇を寄せる。
「でも、あなたの神様はどうかしら。聖光輪があなたの魂を浄化してくださるといいわね」
メリナは固まり、やがて震え始めた。己の所業を見透かす天上の主を思い出したようだ。
モニカが彼女を引き立てて尼僧たちのもとに連れて行くと、シャルロットは大きく息を吐いた。
「授業を休んで見張っていた甲斐があったわね」
気分が優れないと訴えると、男爵令嬢の災難を知る教師はすぐに寮に戻してくれた。それからモニカと示し合わせてメリナの動向を尾行したのだ。
「前世ではシャルロット・ロシニョールのお涙頂戴話に騙されて、私にピアノ線の罠を仕掛けた……」
階段から落ちると待ち構えていたようにメリナが飛んできて介抱してくれた。他の者が集まる前にピアノ線を回収するためだろう。
「現世でもあの子を使ったのね。どうやって煽ればいいか熟知していたから簡単だったでしょうよ」
最初にドレスを切り裂かれた時からメリナだと目星を付けていた。後は、食堂で修復が順調だと匂わせて焦らせ、再度の犯行へと導いたのだ。
――虐げられた者への義憤、権力者からの圧力に従う。あの子はそれを名分にして上の身分の者を傷つけることを楽しんだのよ。
おそらく無害そうな外見の中に隠された本性なのだろうと〈デルフィーヌ〉は推察した。小さな勝利であるはずなのだが、胸に溢れる感情は苦かった。
メリナを見習いの指導役の尼僧に突き出し、モニカは経緯を説明した。最初は言い訳をしていたメリナだったが、身体検査で彼女のエプロンのポケットからドレスのビジューが出てきたのが決定打となり、今は反省房に入れられている。
「これでエフィも安心してドレスを直せるよね」
寮の世話役が急いで補充され、モニカはそのためのお使いで街に出ることになった。
「鍵束用の鎖に、それから……」
買い物リストを整理していると、大きな袋を抱えた青年の一団が目に留まった。いずれも汚れた軍服を着ていた。
「兵役の人かな。どこから来たんだろ」
中でも背の高い兵隊に、モニカは注目した。横顔と茶色の癖毛に見覚えがある気がしたのだ。やがてはっと顔を上げ、見習い修道女は彼に近寄った。
「マルセル?」
青年は振り向いた。彼の腕を掴み、やっぱりとモニカは笑った。
「覚えてる? ニドの街のモニカよ。こんなとこで会えるなんて…」
「モニカか? ジョスの姉ちゃんの」
驚きに濃い灰色の目を瞠り、ニドの街の家具職人ロジェの息子のマルセルは偶然の再会を喜んだ。




