22 白鳥の園⑮
数ヶ月ぶりに国立図書館で会ったウジェーヌ・ガロワとアロイス・ヴォトゥールは、ロシニョール男爵令嬢の同行者に目を丸くした。
「…これは、ディロンデル公爵令嬢」
畏まる二人に、公爵令嬢は至って鷹揚だった。
「ここは宮廷ではございませんのよ、ガロワ様、ヴォトゥール様」
「しかし、まさかここでお会いできるとは」
「ロシニョール嬢から面白い研究をされているとうかがって、同席したいと頼みましたの」
「御令嬢もエスパ風邪に興味をお持ちですか」
ウジェーヌに意外そうに言われ、ユージェニーはもちろんと頷いた。
「我が領地でも被害は甚大でした。父は薬の流通がここまで滞るのは内務省や財務省の怠慢だとそれは怒っておりましたのよ」
内務卿の息子には耳が痛い話題だった。ウジェーヌは申し訳なさそうに言った。
「当時、父は皇国中からもたらされる被害報告への対処に奔走して、帰宅することすらまれでした」
「ところで、ダンド州では被害にかなりの偏りがあるのはご存じ?」
公爵令嬢が何気なく語った。シャルロットは頷き、ウジェーヌとアロイスは不思議そうな顔をした。
「あの州でも死者は多かったと記憶しておりますが」
「全体で見ればね。でも、犠牲者が集中したのはカナー市の『鳥の巣』と呼ばれる下町で、何故か州都の被害は軽微でしたのよ。あそこにも下町や貧民街はありますのに」
「ダンド州の州都は……」
言いかけて気付いたウジェーヌが、はっと顔を上げた。アロイスが素早く周囲に視線を配る。
「ドートリュシュ大公殿下の領城がある都市……ですか」
「…なるほど、あの件が議会でも問題視されない訳だ」
彼らの反応を見て、シャルロットが口を開いた。
「確かにかつては新聞社にも圧力がかかっていたようです。でも、今は小さくとも記事にすることが出来ます」
「大公家の、いや、貴族全体の影響力が低下してきたということか」
「アグロセンでは民の代表を加えた国会の開設を要求してデモやストライキが起きている」
「ローディンでは議会が国王を処刑した歴史があるぞ」
次第に暗い表情になっていく青年たちにシャルロットは告げた。
「扱いを間違えれば国を揺るがすことになる事案だと思います」
高位貴族が平民の命を踏みつけにして富を築いたなどと知られれば、下手をすれば内乱に繋がりかねない。その可能性が四人を沈黙させた。
――『ル・コック』紙もこの事に気付いているはずだけど、彼らやパンソン家など実力を持つ新興中産階級はどう反応するかしら。
この状況下で呑気にデビュタント舞踏会などに浮かれている貴族たちが〈デルフィーヌ〉には道化じみて見えた。
授業と研究と並行しながら、シャルロットはどうにかデビュタント用の夜会服を仕上げることが出来た。
装飾も控えめなドレスだが、元々付いていた美しいビジューを生かし、スカート後ろの腰当て部からドレープとなって流れる裳裾は納得いくものになった。
「こんなものね。ティアラや首飾りを付ければ少しは豪華に見えるでしょうし」
冬至まであと半月を切っている。細かな手直しをしていけば充分間に合うと肩の荷が下りる思いだった。
試着しているとドアがノックされ、入ってきた見習い修道女が歓声を上げた。
「素敵です、お嬢様」
「ありがとう、メリナ。何かご用事?」
「お手紙が来てました」
夏から連絡を取り合っている『ル・コック』紙の記者や医学院の教授たちからだった。それぞれ社名や学院名で出してくれるおかげで、異性交遊に厳しい尼僧たちに睨まれずにすんでいた。
メリナが出て行くと、シャルロットは部屋着に着替えて手紙を読んだ。
「記事は継続。でもそろそろあちこちから批判が出てきてるようね。エスパ風邪関連の薬の流通に関する追跡調査はダンド州で立ち往生……」
ドートリュシュ大公が相手では、前世の公爵令嬢の身分でも太刀打ちできない。残念だがこれ以上のことは彼らの熱意に頼るしかなさそうだ。
手紙を収めようとした時、シャルロットは追加の一文に目を留めた。
「『赤い雄鶏』。血気盛んな記者や改革運動派が結成した政治団体……」
どこか、胸の中を騒がせる名称だった。
――前世でこの名前を聞いたことはあったかしら……。
懸命に思い出そうとするが、考えようとすると頭痛がしてきた。最近、〈デルフィーヌ〉は気付いたことがある。前世での記憶を辿ろうとしても、あの北限の塔に幽閉された前後はひどくあやふやなのだ。
――あの頃以外ははっきりと思い出せるのに。
理由を考えても無理だった。当時はシャルロット・ロシニョールへの憎悪が頂点に達していた時期で、明確な殺意を覚えたことすらあった。娘の異常な行動に手を焼いた公爵が部屋に軟禁し主治医を公爵邸に住まわせ監視させていた。その主治医の記憶も曖昧だ。
――どうしてかしら。他の人たちは公爵家の使用人まで覚えているのに。
苛立つ思いでシャルロットは手紙を握りしめた。
* *
シャンデリアが輝くベルフォンテーヌ宮殿・白鳥の間。デビュタント舞踏会はざわめきの中にあった。本来なら純白のはずのデビュタントドレスの中でひときわ目立つ令嬢がいるのだ。
「何を考えているの、シャルロット・ロシニョール嬢」
ダイグル公爵令嬢デルフィーヌに咎められ、小柄な令嬢は肩を震わせた。
「申し訳ありません、ダイグル様」
男爵令嬢のドレスはごく淡い薄紅色だった。白一色の群れの中で嫌でも目を引く。彼女はしおらしく震える声で釈明した。
「あの…、誰かが私のドレスにクリマ酒をかけてしまって。染みが落ちないならいっそのことと思って、急いで染めたんです」
「クリマ酒で?」
皇太子ルイ・アレクサンドルが興味を示した。シャルロット・ロシニョールは睫毛を震わせて頷いた。
「それは素晴らしい機転だ。よく似合っている」
「…ありがとうございます」
涙を浮かべて微笑む可憐な姿に引き寄せられるように、皇太子は男爵令嬢の手を取りダンスに誘った。立ちすくむ公爵令嬢の背後で囁く声がした。
「急場しのぎにしては、随分と均等に染めたものね」
それがディロンデル公爵令嬢のものだと気づきもせず、デルフィーヌ・ダイグルは踊る男爵令嬢を凝視し続けた。
* *
目を覚まし、まだ暗い部屋でシャルロットは上体を起こし、膝を抱えた。
「あんなことは、はっきりと思い出せるのね」
あの時、侍女や見習い修道女たちを問い詰めれば、シャルロット・ロシニョールがワインをこぼされたことに乗じてより目立つ別のドレスで現れたことなど簡単に暴けたはずだった。
それすらも思い至らないほど、自分は追い詰められていたのだ。ユージェニーなどには哀れに映っていたかも知れない。
「今は同じ事などする気にもなれないわ」
誰がロシニョール男爵を唆したかは知らないが、シャルロットはドレスで対抗するつもりなどない。ただ順当にデビューしたという経歴を付けるだけだ。
払暁の中、赤みがかったブロンドの巻き毛で顔を覆うようにして、膝を抱えた男爵令嬢は夜明けの鳥の声を待った。
その週末も、シャルロットはディロンデル公爵令嬢と一緒に国立図書館に通った。図書館では特別に討議用閲覧室の一つを貸し切ってくれた。さすが公爵家の威光だとシャルロットは感心し、効果的な権力の行使をためらわないユージェニーを尊敬した。
――前世であなたを見習うべきだったかもね。
今回は『ル・コック』紙の記者も参加した。彼にシャルロットは質問した。
「『赤い雄鶏』という団体はどんな政策を掲げているのでしょうか」
記者は苦い顔をした。
「あれは、政策なんかじゃない。ただ貴族制を罵倒し、王権神授説を否定して皇王廃止を叫ぶだけだ」
「どこにでもいる反政府組織だよ」
頷きはしたものの、彼らの意見に全面的に同意できなかった。
釈然としない思いを抱えて修道院に戻ると、血相を変えたフェリシーとロールが男爵令嬢を出迎えた。
「大変よ、シャルロット!」
「どうしたの、大声を出して」
「とにかく来て!」
手を引かれた先は彼女の部屋だった。そこには他の生徒たちも集まっていた。
「シャルロット!」
「どこに行ってたの!?」
「いつもの図書館に…」
言いながら部屋に入ったシャルロットは言葉を失った。
ハンガーに掛けていたデビュタントドレスがズタズタに切り裂かれていたのだ。
――やられた……!
前世のような真似はさせないという宣戦布告だ。〈デルフィーヌ〉は現世のダイグル公爵令嬢からの明確な悪意を噛みしめた。




