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20 白鳥の園⑬

 第二学年に進級した女学園には色々な変化があった。

 当然ながら後輩の女生徒が寮に入り、シャルロットは前年の自分が受けたように寮での規則を彼女たちに指導した。

 サラ・パンソンたちが作った慣習のおかげで下級貴族の令嬢たちと平民の少女たちとに対立関係はなく、協力して学生生活を送る風紀になっていた。




 新学年の初日、シャルロットは高位貴族令嬢たちの顔ぶれに変化があることに気付いた。

 卒業生と新入生が入れ替わっただけではない。懸念していたベアトリス・モワイヨン侯爵令嬢の姿が教室になかった。


 授業終了後に寮に戻ったシャルロットは、中庭を歩いた。高位貴族用の寮を見上げ、記憶にあるベアトリスの部屋を見つめる。

 カーテンが引かれ人の気配がないことが、部屋が無人なのだと語っていた。

 ――邸から戻ってないのね。休暇で快復するかと思ったけど、大丈夫かしら。

 前世でも現世でも軋轢はあったが、さすがにただ事でない様子は気になった。


 ぼんやりしていたところに、誰何の声をかけられた。

「そこで何をしているの?」

 振り向くと、制服のカラーとカフスを豪華なレースに替えている女生徒がいた。高位貴族令嬢の一人、ユージェニー・ディロンデル公爵令嬢だ。慌ててシャロットは礼をした。


「あなた、ロシニョールさんだったわね。男爵家の」

「はい、ディロンデル様」

「こんな所でお散歩?」

「……はい」

 それ以上は口をつぐむシャルロットに溜め息をつき、金髪の公爵令嬢は彼女に言い渡した。

「私の部屋に来ていただけるかしら」

 丁寧ではあるが明らかな命令に、男爵令嬢は従うしかなかった。




 ディロンデル公爵令嬢の私室は予想より控えめな装飾だった。効果的に飾られた絵画や陶器の趣味の良さに感心しながら、シャルロットは言われるままに椅子に腰掛けた。

 メイドが淹れてくれたお茶の香りが気分を落ち着かせてくれた。シャルロットは興味深そうにこちらを見るユージェニーに逆に質問した。

「モワイヨン様はこちらに戻られていないのでしょうか」


 意外そうにしながらも公爵令嬢は頷いた。

「ご静養中らしいわ。気になるの?」

「親しいとは言えませんが、休暇前のご様子があまりに常軌を逸していたので気掛かりで」

「そうね。早く良くなられるといいけど」


 カップを置き、ユージェニーは別の話題を切り出した。

「休暇中はパンソン嬢のご実家に滞在されたとか」

「はい、先輩が誘ってくださったので」

「カーユ氏はね、父の古くからの知り合いですの」

 シャルロットは目を瞠った。ディロンデル公爵が『ル・コック』紙の社主と交友があるなど考えもしなかった。

「今頃になってエスパ風邪の記事など妙だと思っていましたけど、あなたが関わっていらしたとはね」


 面白そうに言われてシャルロットは首を振った。

「私はただ、自分が調べていることをお話ししただけです。取材をされて記事にしたのは記者の方です」

「疑っているのでしょう? 薬品の買い占め、もしかしたら横流しにロシニョール男爵が関係しているかも知れないと」

 ユージェニーに核心を突かれてもシャルロットは怯まなかった。

「男爵家があの年から急に豪遊するようになったのは事実です。低所得者層には症状を緩和する薬さえ出回らなかったことも」

「最初、あなたが男爵家との関連性の隠蔽を図ったのかと思いましたの。それが全く偏りのない調査だとカーユ氏が感心されていて、勝手な憶測だったと気付きましたわ」

「それは、そう思われて当然です。私はあの家に養われていたのですから」


 ユージェニーに対して怒りは感じない。自分の立場の危うさをシャルロットは自覚していた。

「ただ、貴族社会に影響力もない地方の一男爵が、あれほど大規模な買い占めを出来たとも思えません」

 公爵令嬢の顔に緊張が走った。

「あの地方に誰が勢力を持っているかご存じの上での発言ですの?」

「はい、ダンド州はあの方…ドートリュシュ大公殿下の支配下にあります」


 武のダイグル、智のディロンデルと呼ばれる皇国の両輪を上回り皇室に拮抗する影響力を持つ、ただ一つの大公家。

 ――マダム・モワノの記録では、エスパ地方で初めて集団感染が報じられた頃に男爵は製薬会社がある都市に出向いていた。その中にフィンク製薬もあった。そして合間に何度も州都に足を運んでいた。大公殿下の居城のある街に。


 男爵の資産増加は大公の手足となって働いた報酬かも知れない。〈デルフィーヌ〉はそう推測していた。

 ――あの男なら、喜々として裏の汚れ仕事でもしたでしょうよ。

 その鬱屈した感情を感染者と死亡者の増大で気晴らししていたのでは。陰で人々の生殺与奪を握る快感に酔いしれていたのでは。


 確信に近い思いを抱えながら、シャルロットはユージェニーに向けて頭を下げた。

「何の証拠もないのに皇家に連なる方について失礼な発言をしました。お忘れください」

「聞かなかったことにしますわ」

 公爵令嬢は鷹揚に詫びを受け入れた。

「それに、いずれより大きな事件にかき消されてしまうかもしれませんし」

「フィンク半島の件でしょうか」

「国外情勢にも詳しいのね」

「議会は軍を出動させての併合派と反対派に別れていると聞きました」


 公爵令嬢は物憂げに溜め息をついた。

「侵攻を指示するのは第一陸軍卿ダイグル公爵。ただ、ヴォトゥール陸軍元帥は慎重派なのが複雑な所ですわ」

「軍部が意志統一できていないのですか」

「何しろ反対派の急先鋒が他ならぬ皇太子殿下ですもの」

「…それは知りませんでした」

「民族自決主義のご友人に煽られたようね。もちろん皇王陛下は激怒なさっていますけど」


 ――こんなこと、前世で聞いたことがないわ。

 〈デルフィーヌ〉は混乱した。前世でのルイ・アレクサンドルは夢想家の一面もあったが、父親に逆らうなど考えもしなかったはずだ。

 考え込む男爵令嬢に、公爵令嬢がからかうように言った。

「殿下の『小白鳥(シュブリエンヌ)』にも分からないことがありますのね」


 シャルロットはうんざりした表情になった。

「それは一部が面白可笑しく書き立てているだけです。私は殿下にお言葉をかけていただいたことすらありませんので」

「あれはね、殿下のかつての初恋の相手に付けられたあだ名ですのよ」

「初恋?」

「フィンク半島の小国の貴族令嬢とか。身分違いで引き裂かれた後は消息も分からない悲恋でしてよ」


 皇太子の悲恋物語は前世でも聞いていたが、終わったものとばかり思っていた。それなら彼がフィンク半島の人々に共感するのも頷ける。

「そんな事情が…」

「外見は少しあなたに似ていらっしゃるかしら。新聞社がそこに飛びついたのね」


 彼が前世でも初恋を引きずっていたのなら、愛する人の面影をシャルロット・ロシニョールに重ねた可能性もある。内心で〈デルフィーヌ〉は溜め息をついた。

 ――結局、無駄なあがきを続けただけだわ。

 皇太子の心は最初からデルフィーヌ・ダイグルになかった。それを認められず、家族に見放されるのが怖くて男爵令嬢を排除しようとした。結果、招いてしまったのが北限の塔での惨劇だ。


 ユージェニーが不意に尋ねた。

「あなたはデビュタント舞踏会には出席しませんの?」

「私ですか?」

 シャルロットは困惑した。社交界へのデビュタントは高位貴族令嬢には義務だが、今の自分に利益があるとは思えない。


「社交界にデビューしていれば、侍女や家庭教師の働き口を見つけやすくなるのでしょうか」

 正直な疑問を口にすると、公爵令嬢は声を立てて笑った。笑顔の彼女はずっと親しみやすい雰囲気になった。

「ここの生徒は二学年か最終学年でデビューが普通ですけど、ダイグル様は今年のようよ。他のご令嬢たちにも公爵家から声が掛かっているようね」

 取り巻きを引き連れて引き立て役にし、注目を浴びたいのだろうと〈デルフィーヌ〉は意地悪く考えた。

 この時点では全くの他人事だった。

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