19 白鳥の園⑫
波紋を感じられたのは翌週になってからだった。
朝食の間にやってきたサラが、興奮気味に新聞を広げた。
「見て! 『ル・コック』紙にエスパ風邪の真相を追求する記事が出てるわ」
パンソン夫妻と一緒にシャルロットもその記事を読んだ。扱いは小さかったが、何故二十万もの国民が死ななければならなかったのかを真摯に問いかけていた。
これで声を上げる者が続いてくれれば。シャルロットはそう願いながら新聞記事を見ていた。
パンソン家の人々が歓迎してくれたおかげで、休暇は快適に過ぎていった。
サラに乗馬や自動車の運転を習い、お姫様になりたい双子に優雅な所作の基本を教え、合間にエスパ風邪関係で知り合いになった記者たちと会うこともあった。
天気のいい日にパンソン家の姉妹と自動車で遠出をすることとなった。
昼食を詰め込んだバスケットを双子が張り切って運び、シャルロットと一緒に自動車の後部に積み込んだ。サラを待っていると、何かが空を切る音がした。次の瞬間、庭に飾られていた植木鉢が弾けるように割れた。
――銃撃?
反射的に男爵令嬢は双子を抱えるようにして自動車の陰に伏せた。続いて自動車の窓ガラスが割れた。破片が降ってきてもシャルロットはそのまま動かなかった。
「何だ、今のは?」
「シャルロット!」
「アデール! エリーズ!!」
パンソン家の人々が玄関に集まってきた。駆け寄る者をシャルロットは制止した。
「近寄らないで! 狙撃されたの!」
使用人たちが木の陰から外に向けて銃を連射した。
「向こうの丘で何か光った!」
「車と馬を全部出せ! 逃がすな!!」
怒号が飛び交う中、ようやくシャルロットは起き上がった。双子の少女たちの無事を確認する。
「アデール様、エリーズ様、お怪我はありませんか?」
二人は顔を歪め、泣きながらシャルロットに抱きついた。サラが駆け寄り、客人と妹たちを庇いながら館に入った。
双子はパンソン夫人に抱きしめられながら泣いていた。負傷はしていない様子にシャルロットは安堵した。
「あなたがこの子たちを守ってくれたのね。何てお礼を言えばいいのか」
涙ぐむパンソン夫人に、シャルロットは首を振った。
「それよりお嬢様方を落ち着かせてゆっくり休ませてください。ご家族の誰かが側にいれば安心できるでしょう」
何度も頷きながらパンソン夫人は娘たちの部屋に移動した。
「あなたも着替えて手当てをしてもらって」
サラに言われ、泥だらけで擦り傷を作っていたシャルロットは部屋に戻った。
遠出どころではなくなってしまったシャトー・フォーコンはしばらく緊張状態にあったが、夕刻に捜索部隊が戻ってきた。
「西の丘に薬莢とタイヤの痕がありました」
警備員の報告にサラは首をかしげた。
「結構な距離があるけど、軍用ライフルなら届きそうね」
「あの時間帯なら、逆光になって狙うのは難しかったはずです」
「それこそ軍隊並みの装備で、狙撃兵並みの腕前でなければ」
警備員たちの表情は深刻だった。
続報は近くの街まで足を伸ばした部隊から伝えられた。
「町の外れに自動車が乗り捨ててありました。燃料切れのようで」
それを聞き、当主クロード・パンソンは唸るように言った。
「自動車を用意できる者となるとかなり限られるな」
「使用した銃器からしても、軍部に関係がある者ではないかしら」
サラの推測に彼は同意した。
「明日、市長と知事に面会を申し込む。本社の情報部には通達済みだ」
彼らのやりとりをシャルロットは部屋の隅で心配そうに聞いていた。サラが後輩に詫びた。
「ごめんなさいね、妙なことに巻き込んでしまって」
「いえ、もしたかしたら私のしたことが原因では」
サラは包帯を巻かれたシャルロットの手を取った。
「命がけで妹たちを守ってくれたじゃない。それに、あのエスパ風邪流行の時、うちが薬を買い占めたなんてデマを流されて一時期ここは要塞状態だったの」
「でも、パンソン財閥は被害の大きな地方に無償で薬を配布してましたよね」
「なかったことの証明は難しいのよ。人は自分が信じたいことしか信じないし」
大陸規模の大財閥にもなると反発や妬みも相当なものなのだろう。シャルロットはそう理解した。
――パンソン系の会社が薬の消失に関わっていた可能性は薄そうね。サラ先輩は本気で事実を明らかにしたがってるし。それに、軍隊並みの装備や人員を迅速に動かせる者と言えば、まず浮かぶのが第一陸軍卿アンセルム・ダイグル公爵……。
考え込むシャルロットの肩をサラが軽く叩いた。
「心配しないで。ここの警備隊は軍隊上がりの人も多いのよ。地元出身でうちとの縁が深い者で固めてるから」
この一家を巻き込むつもりは無かったが、パンソン財閥であれば軍隊でも返り討ちに出来そうだ。彼らのたくましさは〈デルフィーヌ〉には救いだった。
心配していた双子は、翌朝はいつもどおりの賑やかさでシャルロットにつきまとった。
「ねえ、シャルロットは助けてくれた時もお姫様みたいだったよ」
「本当よ、泥だらけでも綺麗だった!」
「ありがとうございます。お二人が元気で嬉しいわ」
「もっと静かになってくれてもいいんだけど」
サラはそう言いながらも妹たちに向ける目は優しかった。姉妹を見ていると、〈デルフィーヌ〉はどうしてもニドの街で実の妹のように可愛がってくれた兄マルセルを思い出す。
――兵役に就いたと聞いたけど、元気でいるかしら。
「どうしたの?」
サラに問われ、シャルロットは素直に応えた。
「義理の兄が兵役で国境にいるんです。今は安全なのでしょうか」
「そうね、国境を接してるアグロセンやロウィニア、大国のザハリアスとは今は友好関係にあるから国境ですぐに紛争はないでしょうね。ただ、軍部はフィンク半島に手を伸ばしたがってるみたいで」
「フィンク製薬の創業地ですよね」
「小国家群でしょっちゅうゴタゴタしてるとこだけど、民族意識の強い地方だから下手に介入すれば火薬庫になりかねないわ」
――そう、紛争に介入して強引に半島併合に持ち込んだのは確か来年……。
世界的な事件なのに、前世のデルフィーヌ・ダイグルは自分を脅かす男爵令嬢への憎しみで気にかける余裕も無かった。
――そんな人間が皇太子妃の座に執着してたなんて。
失笑する思いで、自分の身の回りにしか興味が無かった過去の自分を〈デルフィーヌ〉は恥じた。
シャルロットはすっかり元気になった双子に尋ねた。
「アデール様とエリーズ様も皇都の女学園に入られるの?」
「行かなーい!」
二人は揃って否定した。
「姉様みたいに外国に行きたいの!」
「サラ先輩は留学されるのですか? どちらに?」
驚くシャルロットにサラは頷いた。
「まず、活気のあるローディンにアグロセン、それにザハリアスにも行ってみようと思ってるの」
姉の言葉に双子が反応した。
「いいなー、あたしも行きたい!」
「飛んでる竜を見たい!」
「ザハリアス語を話せるの?」
妹たちをからかうサラを見て、彼女らしいとシャルロットは微笑んだ。
「本当に自由ですね、サラ先輩は」
「各国の支社を回って状況把握したいし、新しい商機を探すのも本家の役目よ。あなたはどうするの? 学園を出たら」
「どこかの地方領主のお宅で侍女か家庭教師の職に就ければと思っています」
堅実な未来図にサラは笑った。
「ゴシップ誌で皇太子殿下の想い人扱いされてるのに」
「殿下とはお話ししたこともありません。それならサラ先輩こそデビュタントでご一緒に踊られたのでしょう?」
「殿下がお相手を務めたその他大勢の一人よ。ダイグル公爵家に張り合うなんて考えてもないわ」
彼女の場合は張り合う必要がないと言うことだろう。貴族との権力抗争など目もくれず世界に出て行こうとするサラがシャルロットには眩しかった。
こうしてパンソン家で過ごした休暇は終わり、シャルロットは聖ミュリエル修道院へと帰っていった。




