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18 白鳥の園⑪

 男爵令嬢の左手首に残る傷跡を見て、サラが息を呑んだ。シャルロットは静かに話し始めた。

「これは、昔小さな友達が階段から落ちるのを助けた時の跡です。噂はお聞きでしょうけど、私が生まれたのは『鳥の巣』と呼ばれる下町でした」


 雇い主のお手つきになり、身ごもって捨てられた母がニドの街でやもめの家具職人と知り合い、彼の後添いになったこと。義理の家族に温かく迎えられ貧しくとも幸福に暮らしていたこと。

 それが一瞬で打ち砕かれたことを彼女は語った。


「男爵夫人は一人娘を亡くして精神を病み、持て余した男爵は庶子の私をあてがうことで解決しようとしたのです」

「…そうだったの」

「最初のうちは、夫人は私を死んだシャルロットだと信じていました。でも、成長するにつれて何かが違うと思い始めたのでしょう。あの方の『シャルロット』は今も六歳のままですから」

「悲劇ね。どちらの家族にも」


 溜め息交じりにサラが言った。そして、マダム・モワノの記録を指さした。

「あれはあなたが?」

「いえ、男爵夫人にご実家から付き添ってきた侍女の記録です。病気の流行と男爵の行動で何かが掴めるかもと思って」

「あなたの推測が正しければロシニョール男爵は爵位剥奪もあり得るわ。それでもいいの?」

「私が助けた友達があの病気で亡くなりました。症状を緩和する薬さえなかったせいで苦しみながら、たった十歳で」


 淡々とした声に計り知れない怒りがこもっていた。サラは頷き、改めてノートや資料を眺めて首を振った。

「それにしても、よくこれだけのものを一人で追求したわね」

「一人ではありません。同郷の子が見習い修道女をしていて、付き合ってくれます。それに国立図書館で知り合ったガロワ様とヴォトゥール様も」


 出てきた名前にサラは目を瞠った。

「それって、内務卿と陸軍元帥の?」

「ご子息です。お二人とも熱心に手伝ってくださいます」

 天井を仰いで息を吐き出すと、サラは何かを思いついたように立ち上がった。

「お邪魔してごめんなさい。ここは好きなように使ってね」

 財閥令嬢はいつもの元気な足取りで去って行った。時折奇抜な計画を立てる先輩を、シャルロットは怪訝そうに見送った。




 彼女の『計画』をシャルロットが知ったのは、その数日後だった。

「親しい人を招いた夜会をするの。あなたもぜひ出てちょうだい」

 パンソン夫人から楽しそうに告げられて男爵令嬢は戸惑った。

「でも、私、夜会に出られるようなドレスは」

「ああ、それは心配しないで」


 サラは笑いを堪えていた。意味が飲み込めない後輩にパンソン夫人が愚痴交じりに説明した。

「毎年この子に夜会服を作ってるのに、滅多に着てくれないんだから」

「似合わないし着たくもないのよ、お母様。というわけでドレスは大量に余ってるの。好きなのを選んでね」

 そう言ってシャルロットをメイドたちに任せ、サラは母親のお小言から逃げ出してしまった。


「サラ様は美人ですし似合わないなんて事は…」

 不思議がっていた男爵令嬢は、衣装室のドレスを見て納得した。長身で個性的な美貌の財閥令嬢とは真逆のレースとリボンに溢れたデザインのものばかりだったのだ。

「姉様にはどうかと思うよね」


 いつの間にか着いてきた双子のアデールがしかつめらしく言った。隣でエリーズも頷いている。

「うん、シャルロットの方がきっと似合うよ」

 メイドたちはここぞとばかりに部屋中のドレスの試着を勧めてくる。半分も着ないうちにシャルロットは根を上げてしまい、結局髪と瞳の色に合わせた数点に絞った。

「内輪の集まりのようですし、あまり仰々しいものは」

 悪目立ちはパンソン夫妻に失礼だろうと説得し、何とか比較的おとなしい装飾のドレスを選ぶことが出来た。


 裾の長さの調節を終え、ようやく部屋に戻ったシャルロットは多大な疲労感を抱えてソファに座り込んだ。

「どんな人たちの集まりなのかしら」

 普通に考えればパンソン家の商売相手なのだろうが、サラが加わっているなら何かがあるはずだ。

 結局何も思いつかず、シャルロットはこの件で悩むことをやめた。




 夜会当日、招待客の一人としてシャルロットは大広間に入った。記憶にある高位貴族は見当たらず、平民主体の人選のようだった。パンソン氏が彼女を来客に紹介してくれた。

「娘の学友のロシニョール嬢です」

「シャルロット・ロシニョールと申します」

 薄青色のドレスが一輪の花のような男爵令嬢に、客人たちは目を細めた。

「これは可愛らしい」

「清楚で初々しいお嬢様ですこと」

「私の自慢の後輩ですもの」


 背後から肩を抱くようにしてサラ・パンソンが話の輪に加わった。彼女の姿にシャルロットは驚いた。財閥令嬢は男性と同じ礼服を着ていたのだ。周囲はそれほど衝撃を受けた様子はなく、サラの男装は初めてではなさそうだった。

「だってずるいと思わない? 殿方は着ていくものに悩まずにすむなんて」

 彼女の理屈に周囲で笑い声が起こった。


「いつ見てもお勇ましいですな、サラ嬢。今夜は美人まで連れて」

「ご機嫌よう、ムッシュ・カーユ。シャルロット、こちらは『ル・コック』紙の社主のパトリス・カーユ氏」

 国内最大部数を誇る新聞社の社長だった。カメラを手にしているのは記者かも知れない。サラは部屋の向こうにいた人物も紹介した。

「こちらは国立医学院教授のシュエット博士、それにフィンク製薬の支社長…」


 次々と名刺を渡された人々に面食らいながら、〈デルフィーヌ〉はあることに気付いた。

 ――記者に医学博士、製薬会社……、あの病気の流行に詳しい人ばかりだわ。

 思わずサラを振り向くと、彼女は煙草を手に微笑んでいた。

「サラ先輩、まさか私のために?」

「ただ機会を作ってみただけよ。これを成果に出来るかはあなた次第ね」


 小さく頷くとシャルロットはそうそうたる面々の前でしとやかに礼をした。

「ロシニョール男爵家長女、シャルロットです。お会いできて光栄です」

 そして、見とれている記者に微笑んで話しかけた。

「実は私、三年前に流行した肺炎について調べていますの」

「ほう、エスパ風邪を」


 シュエット博士が意外そうに言った。大広間の一角にあるソファに彼らは移動し、詳しい話を始めた。最初は興味本位だった『ル・コック』紙の記者は次第に真剣にメモを取り始めた。

「薬の不足についてはうちでも記事にするつもりだったのが、いきなり別の記事に差し替えになったんだ。どっかから圧力がかかったらしくて」

「流行初期は国民に行き渡るはずだった薬が患者数が爆発的に増大する前に不足が言われ始めたな」

「一部での買い占めではなく計画的にどこかに貯蔵されていたのならかなり悪質だぞ」

「だが、これほどの量となると単独では無理だ。全国規模の組織でなければ」


 彼らの議論を聞き、シャルロットは自分たちの推測が間違っていなかったと確信した。記者が彼女に質問した。

「失礼ですが、あなたは何故エスパ風邪の調査を?」

「友人が三年前に亡くなって、ご家族がどうしても納得いかないと嘆かれて…」

 目を伏せながら答えるとそれ以上は追求されず、彼らは義憤に駆られたようだった。

「人の命を踏み台にして利益を得るなど悪魔の所業だ」

「これが官憲にも手出しできない身分の者が関わっていたなら、議会も黙っていないぞ」


 白熱していく議論を聞きながら、〈デルフィーヌ〉は確かな手応えを感じていた。

 ――とりあえず、自分に出来る一石は投じたわ。あとはこの波紋がどう広がってくれるか。

 賑やかな夜会の中でひときわ熱中した空気を漂わせる一団に他の客人も注目し、パンソン家の夜会は盛り上がりを見せていた。




 パンソン家の夜会から数日後、皇都シーニュ。

 パレ・ヴォライユと呼ばれる大邸宅で、ロシニョール男爵は常の傲岸さを卑屈な笑顔に変えていた。

 彼の前に座る人物が、ばさりとテーブルに新聞を投げ出した。

「『ル・コック』紙のゲラ刷りだ。エスパ風邪の薬の流通に疑惑があると書き立てている」

 ロシニョール男爵は顔色を変えた。

「どうして、今頃になって…」

「パンソンの連中が煽っているようだ。卑しい高利貸しが貴族を非難するなど…」

「で、どうされますか?」

「決まっている。奴らに身の程を弁えさせてやれ」

 深々と頭を下げ、ロシニョール男爵はパレ・ヴォライユの主の部屋から退出した。廊下で待っていた部下に不機嫌に言い渡す。

「エリク、人と武器と足を用意しろ。プロスベール、証拠は残すなよ」

 男爵の用心棒と御者は無言で頷いた。

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