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16 白鳥の園⑨

 聖ミュリエル修道院附属女学園は、試験を終えて夏の長期休暇を控えるだけになっていた。

 上位成績者に食い込めたシャルロットは安堵していた。推薦状をもらうためには、週末の研究に時間を取られても成績を落とす訳にはいかなかったからだ。


「一つ片付いたけど、休暇はどうしようかしら」

 長期休暇中の寮は閉鎖になると言われた。他の少女たちはそれぞれの家に戻るのだが、あの男爵邸には帰りたくない。といって、男爵夫人が静養する実家の領地では歓迎されないだろう。


「男爵家であの薬の流れを追うのは無理ね」

 やたらと用心深い男だと知っているため、こっそりと探る真似は協力者がいなければ困難に思えた。

「モニカがピエール先生に付いて医療奉仕活動をすると言っていたから、それに加えてもらえれば…」

 治療に携わることは出来なくても、洗濯などの雑用なら何とかなる。


 そうしようかと決めかけた時、意外な者が男爵令嬢の部屋をノックした。

「ちょっといいかしら」

 顔を覗かせたのは卒業間近のサラ・パンソンだった。

「何かご用ですか?」

「あなた、休暇中は家に帰らないと聞いたけど、本当なの?」

「そのつもりです。修道院の奉仕活動に加わろうかと考えていたところで」


 サラは思いがけない提案をした。

「なら、うちに来ない?」

「パンソン家にですか?」

「そうよ。以前、帰省の時に家族にあなたのことを話したらぜひ会いたい、連れてこいってうるさくて」


 両腕を広げ、悲壮な表情を作った後で、サラはにやりと笑った。

「本当は、私の妹たちに行儀作法を教えて欲しいのよ」

「私に? サラ先輩のお家なら家庭教師も揃っているのでは」

「あの問題児を御せる人間がいないのよ。妹たちは今年十二歳。悪魔のような双子よ」


 〈デルフィーヌ〉は皇国内外に知られる財閥の本家に招かれるとなど予想もしていなかった。しかし、パンソン家の先進的なサロンの噂は耳にしたことがある。主に平民階級の知識人や学者、芸術家などが幅広く集まるのだと。

 ――もしかしたら、エスパ風邪の薬に関する情報が掴めるかも知れない。


 シャルロットは頷いた。

「招待してくださるなんて嬉しいです」

「じゃ、決まりね。最終授業の日に迎えが来るから。うちは堅苦しくないから荷物も最低限で大丈夫よ」

 シャルロットの手を握って満面の笑みを浮かべ、サラは出て行った。

 こうして彼女の長期休暇は思いも寄らなかった予定で埋まることとなった。




 休暇前の最後の授業は、ほとんど長期休暇中の注意事項だった。

「ご実家で過ごされる方が大半と思いますが、いついかなる時もこの学園で学んだ淑女の嗜みを忘れず、名誉を重んじてください」

 合同授業を学園長が締めくくった。久しぶりに見る高位貴族たちにベアトリス・モワイヨンの姿がないのにシャルロットは気付いた。

 ――ここのところずっとだわ。病気なのかしら。


 長い説教も終わり、少女たちはやっと開放された。友人たちと寮に戻ろうとしたシャルロットは、廊下で壁にもたれかかる生徒を見かけた。

「大丈夫ですか?」

 気分でも悪いのだろうかと声をかけると彼女は振り向いた。それがモワイヨン侯爵令嬢だと分かるのに数瞬を要した。記憶にあるよりげっそりと痩せ、目ばかりがギラつく様子は明らかに異常だった。


「先生を呼んできて」

 友人に頼み、シャルロットは一人でベアトリスに付き添った。

「今、先生が来てくださいます。立てますか?」


 腕に触れようとした時、思いがけない速さと強さでシャルロットは左手首を掴まれた。カフス越しに傷跡に爪を立てられ、男爵令嬢は顔を歪めた。ベアトリスは何か同じ事を呟いていた。それは次第に大きくなり、遂に絶叫に変わった。


「…おまえがっ、おまえのせいで!!」

 ベアトリス・モワイヨンの骨張った両手がシャルロットの首を締め上げた。おそろしい力で壁に押しつけられ息も出来ない。そこに足音が聞こえ、悲鳴が続いた。


「シャルロット!」

「何をしているの!?」

 数人がかりで侯爵令嬢は引き剥がされた。シャルロットは咳き込みながら喉を押さえた。


「大丈夫?」

 涙ぐみながら心配してくれるフェリシーやロールに、彼女は頷いて見せた。「……平気よ」

 そしてちらりと興奮状態のベアトリスに目をやった。


 ――あれはただ事ではないわ。無気力から突然激高して暴力に走るなんて、まるで……。

 前世で幽閉に至ったデルフィーヌ・ダイグルの言動そのものだ。ならば原因は現ダイグル公爵令嬢と見ていいだろう。

 ――相変わらず、人を破滅に追い込む手口は巧妙ね。

 どんなやり方で追い詰めれば廃人手前までになってしまうのか、前世での経験値でも生かしたのだろうか。


 ――でも、思慮が浅すぎるわ。今は尾羽根うち枯らしていてもモワイヨン侯爵家は名門よ。皇室に繋がる縁者もいるのに、その令嬢にこんな仕打ちをしたと知られれば派閥の勢力図を変えかねないわ。

 放蕩者の侯爵はともかく、母方の有力者の中にはこの学園の関係者もいたはずだ。休暇中のダイグル公爵家の動向が分かればと〈デルフィーヌ〉は残念に思った。


 廊下での騒ぎはベアトリス・モワイヨンが医療室に連れられていったことで収束した。

「災難だったわね」

「あの方、怖かったわ。どうしたのかしら」

「ご病気だとばかり思ってたわ」


 友人たちに慰められながら寮に戻り、シャルロットは出発の準備をしようとした。そこに、寮の事務員が彼女を呼び止めた。

「郵便物が届いてますよ」

 それは分厚い封筒だった。驚きながらシャルロットは差出人を確認した。

「マダム・モワノから?」


 部屋で確認すると、封筒の中身はエスパ風邪が流行した年のロシニョール男爵の行動記録だった。驚くほどの丹念さで、何一つ見逃さない執念すら感じられた。

「確か、日記を付けていると聞いたことはあるけど、こんなに詳細に」

 おそらく、男爵に虐げられてきた夫人が離縁できることを狙っての記録だったのだろう。

 ――パンソン家で時間を作って、これを今までの調査結果と突き合わせてみよう。


 トランクに書類を入れ、シャルロットは制服を脱ぐと洗濯袋に入れた。簡素だが夏らしい外出着を身につけた時、中庭の方で奇妙な音がした。部屋を出て廊下の窓から庭を見ると、皇都でも珍しい自動車が停まっていた。ドアの前でサラ・パンソンが手を振っている。

 先輩らしいとシャルロットは苦笑し、トランクを提げて寮を出た。




 中庭には様々な馬車がいたが、サラの自動車は公爵家の馬車よりも注目を集めていた。

「これで帰るのですか?」

「そうよ。夕刻までには着くから。ナタン、荷物を」

「はい、お嬢様」


 運転手がトランクを後部に収めた。サラと一緒に後部座席に乗り込んだシャルロットは友人たちに手を振った。鷲の紋章のある豪華な馬車に乗るダイグル公爵令嬢とその父親と兄の姿がちらりと見えた。

 やがて荷物を積み込み終わったことを運転手が告げ、サラは頷いた。

「いいわ、出して」

「出発します」


 警笛を鳴らし、自動車は中庭をゆっくりと周り門から出た。周囲の馬車で馬が驚き騒ぐのにも構わず、自動車は轟音と煙を吐き出して疾走した。

 馬車に乗る貴族たちの反応は様々だった。

「あれがパンソン家の」

「金にあかせてあんな迷惑なものを持ち込むなんて」

「馬車より速いと聞いたが」


 剣を掴む鷲エイグルの紋章の馬車でも自動車は話題に上っていた。

「ふん、物珍しいだけのこけおどしだ」

「ローディンやアグロセンでは増えていると聞きましたが」

「品格を重んじないからだ」

「でも、一度乗ってみたいわ」

 公爵令嬢がねだるように言うと、父と兄は苦い顔をしながらも頷いた。


 一方、文字を書いた葉を咥える燕イロンデルの紋章の馬車では別の見解があった。

「パンソンはあれを売り込むつもりかな」

「既にアグロセンなどでは実績があるようです」

「馬に頼らずどこにでも人や物を運べるなら、真っ先に興味を示すのは軍部でしょうね」

 ディロンデル公爵令嬢ユージェニーの言葉に、公爵たちは沈黙した。

 様々な話題を振りまきながら、シャルロットの長期休暇は始まった。

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