14 白鳥の園⑦
リーリオニア皇国、皇都シーニュ。貴族街の中でも特に高位の者の邸が集中する一角に、内務卿ガロワ侯爵の館があった。
多忙な当主が帰宅し書斎で閣議用の資料を読んでいた時、扉がノックされた。
「入れ」
叩き方で入室者の見当はついていたが、予想どおり彼の一人息子ウジェーヌが顔を覗かせた。
「失礼します、父上」
「急用か?」
「重要性はそちらにお任せします」
そう言うと、侯爵家の長男は重厚な机を挟んで座った。
「今日、皇太子殿下が目に留められたご令嬢の片方と会ってきました」
侯爵が顔を上げ、片眼鏡が光った。
「どっちの方だ」
「ロシニョール男爵令嬢ですよ。ああ、修道女と外出してるのを街で見かけて、アロイスを巻き込んで後を付けたら国立図書館に入っていったんです」
息子の軽率な振る舞いに眉をひそめ、それでも侯爵は先を促した。
「で、どんな令嬢だ?」
「色々と意外でしたね。わざわざ図書館で二年も前の新聞を集めて記録を調べて」
「二年前?」
「大流行したエスパ風邪の記事で薬の流通を調べてました。地方での不足状況を気にしてたようで、成り行きで手伝いました」
「男爵家とはいえ貴族令嬢がどうしてそんなことを」
「真剣そのものでしたよ、遊び半分に首を突っ込めば蹴り出されかねなかった」
「お前の場合は一度実行された方が身のためだろう」
苦々しげな父の言葉も息子は笑い飛ばした。
「気をつけますよ。パンソン家のご令嬢の方は探るまでもないですね」
「あれはあれで型破りな娘だ。万が一公妾にという話が出ても平気で蹴りかねん」
「あれほど強大な財閥一族が背後についてれば、面倒な役職など突っぱねるでしょうね」
「寵姫愛妾というのは、権勢の代わりに皇王や国の政策に失敗があれば国民の不満を一手に引き受ける立場でもあるからな」
実際、度を超した贅沢や不品行等で民衆の不興を買い、宮廷を追放された寵姫の記録が残っている。
「いずれにしても可能性でしかないでしょう。第一殿下はまだ婚約者がいるだけだし」
「ダイグル公の宮廷での発言力が増せば、ディロンデル公側が対抗できる者を送り込んでくるぞ」
「駒にされる方こそいい迷惑だ。個人的にはロシニョール嬢とはもっとお近づきになりたいけど。あの堅物のアロイスまで絶賛するくらいだし」
冗談めかす息子を、侯爵は盛大なしかめ面で追い出した。
静かになった書斎で内務卿は先刻の会話を思い出し、溜め息をついた。
「まったく、国内の不穏分子どもがこのようなことを聞きつけたらまた騒ぎを起こしかねんし、何よりあの方がどう出るか……」
夜が更ける中、彼の悩みはつきなかった。
シャルロットとモニカは週末ごとに図書館で記録を探す作業を続けた。
「薬の流通なら財務省の記録も役立つかも知れないよ」
そう言って資料を渡してくれたのは、いつの間にか助手のような役目になってしまったウジェーヌ・ガロワだった。重い資料を運ぶのは士官候補生アロイス・ヴォトゥールにちゃっかりと押しつけているが。
「ありがとうございます、ガロワ様、ヴォトゥール様」
距離を置いた礼を言い、シャルロットは検証に没頭した。
「…やっぱり、ある時を堺に薬の流通量が減っているわ」
「本当、不思議ね。まだあの病気がそれほど問題になってない頃よ」
「この時点で買い占めはあり得ないな」
「しかも、特定の地域ではなく皇国内全土で満遍なくだ」
よほど組織的な活動をしなければ出来ないことだ。
――男爵一人では無理だわ。何か、より大きな権力と手を組んだとか。
〈デルフィーヌ〉は考えた。ロシニョール男爵が拠点としているニドの街を含むカナー市はダンド州にある。
――ダンド州を含む皇国の南西地方に勢力を持っているのは……。
前世の知識で出てくるのはただ一人だったが、男爵との関連性があるとは思えなかった。
――あの方は大物過ぎるわ。地方の成金程度が面識を得られる相手ではないし。
ウジェーヌも難しい顔をしていた。
「ロシニョール嬢、これは僕の方でも調べてみたいのだが、いいだろうか」
「はい、こんなことが問題にならないのは不自然です」
おそらく、貴族階級に大きな被害がなかったためだろう。
――病気が貴族に忖度するなんてありえない。誰かが貧民層を見捨てるように操作したとしか…。
自分のような一介の女学生の手に負えなくなるかも知れない。その時は誰を頼ればいいのだろう。
沈み込むシャルロットの肩をモニカが軽く叩いた。
「そんな顔をしないで。事が大きくなれば興味を持ってくれる人も増えるわよ」
「平民の被害を真剣に考えてくれるかしら」
「病院関係者だって、現場で働くのは平民が多いのよ。それに寮に戻る時間のようね」
帰り支度をする少女たちに、ウジェーヌが咳払いをした。
「貴族の中にも賛同者はいるんじゃないかな。という訳でよければカフェにでも……」
彼が言い終わる前に二人はさようならの言葉を残して図書館を出て行った。ウジェーヌは差し伸べた手の行き場を失い、アロイスが気の毒な友人の肩を叩いた。
秋が深まる中で次のダンスの授業の日が来た。最大限に警戒していたシャルロットだったが、今のところダイグル公爵令嬢の取り巻きと廊下で出会った時にぶつかられたり睨まれたりという程度で平和なものだった。
高位貴族寮の一部屋は緊迫した空気に包まれていた。
目の前に突きつけられたものに、少女は呆然とするだけだった。相手は平然と彼女に言い渡した。
「さっさと受け取りなさい。言ったとおりにすれば、前の失敗は忘れてあげるわ」
「……でも…」
「不安なの? 仕方ないわね、お茶でも飲んで落ち着きなさい」
彼女は勧められるままにカップのお茶を飲み干した。その様子が次第に熱に浮かされたようになるのを見届けて、相手は笑った。
「ほら、何でも出来るような気持ちになったでしょう?」
耳元で囁くと相手は持参したものをテーブルに置き、黒髪をなびかせて出て行った。
残された少女は震える手でそれを掴み、立ち上がった。
ダンスの授業前に、舞踏室でピアノの音がするのにシャルロットは気付いた。
「調律かしら」
「そうね、ピアノは維持管理が大変よね」
ロールが言い、少女たちはダンスの授業で着るドレスのことに話題を移した。
「シャルロットは?」
「先月と同じよ。そんなに用意してないし」
「そうなの」
貴族らしからぬ節約ぶりに、平民の富裕層も驚いていた。単に男爵が庶子に興味が無いだけなのだが、シャルロットは弁明しなかった。
そして彼女はピアノの単調な調律音にある記憶を呼び覚ました。
――足をくじいて殿下の相手役をあの女に奪われた時、確か舞踏室に行こうとして階段を踏み外して……。
次第にはっきりとしてくる映像は、何かに足を取られて転倒した記憶だった。
――あの時もピアノの調律が直前にあった。
手早くドレスに着替えると、他の生徒に先駆けてシャルロットは教師の控え室に寄った。ブリュノ夫妻は教え子を見て微笑んだ。
「先生、まだピアノの調律が終わっていませんが舞踏室に入ってもよろしいでしょうか」
「構わないわよ」
ブリュノ夫人がそう答え、書類作業中の夫を残して控え室を出た。階段を降りる時にシャルロットはドレスの裾を気にして立ち止まった。ブリュノ夫人が追い越す形で先に降りていき、あと一、二段という所で悲鳴を上げた。
「マダム!」
シャルロットが倒れている彼女に駆け寄ろうとすると、階段の下にいたモワイヨン侯爵令嬢に睨まれた。
「あなた、何をしたの?」
「私は……」
「ロシニョールさんは一緒に降りていただけよ」
ブリュノ夫人はそう言うと何とか立ち上がった。すぐに顔をしかめた彼女は驚いてやってきた夫に謝った。
「ごめんなさい、うっかり踏み外してしまったみたい」
「大丈夫か?」
夫人に肩を貸してダンス教師は舞踏室に入っていった。心配そうに見送るシャルロットの腕を、モワイヨン侯爵令嬢がいきなり掴んだ。
「どうして、あなたが……」
それだけを言うと、亡霊のように青ざめた侯爵令嬢はふらふらとその場を後にした。シャルロットは階段の手すりの柵を確認した。下の方に細い痕がある。
――ピアノ線。今度はベアトリスに命じたのね。
前世でデルフィーヌが足を痛めた時に真っ先に駆けつけたのは見習いの修道女だった。その顔が頭の中で鮮明になり、シャルロットは口角を引き上げた。




