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12 白鳥の園⑤

 聖ミュリエル修道院附属女学園のでの日々は静かに過ぎていった。

 〈デルフィーヌ〉はダイグル公爵令嬢からの罠や攻撃を警戒したが、今のところその気配はない。

 普通に考えれば公爵家にとって、成り上がり男爵の娘など吹けば飛ぶような存在だ。だが、その身分の高さがかえっておおっぴらに動けなくしているのだろう。現世で身軽なのは自分の方だ。


 初めて正体を明かした対面で彼女は、お前がしてきたことを今の自分は再現できるのだと暗に公爵令嬢を脅した。別に宣言を実行する必要は無い。相手がこちらの動きに神経を尖らせて疑心暗鬼に陥ってくれれば儲けものだ。攻撃の主導権はむしろこちらにあると言っていい。


 授業日程表を前に、〈デルフィーヌ〉は次の一手を考えた。その若草色の瞳は月末の八曜日に向けられていた。

 それは月に一度、王立学院の生徒と合同授業になるダンスの日だった。

 この授業が近づくと、学園全体がそわそわした空気に包まれる。ダンスの授業は陰気な制服ではなく、夜会服と同等の華やかなドレスを着ることが許されるためだった。


 シャルロットは自分で手直ししたあっさりとしたドレスを着た。装飾は控えめだが細身で腰の部分にアクセントがある今シーズンの流行に沿っている。髪は結いあげずいつもの三つ編みだ。手袋を着けるため、左手首の傷跡を気にせずにすんだ。

 同寮の少女たちは平民のフェリシーやロールでもシャルロットより華やかな装いだった。だが彼女たちは男爵令嬢にうっとりとした視線を向けた。


「素敵ねえ」

「その薄緑色が髪と瞳によく似合うわ」

「すっきりと上品で」

「ありがとう。古い物を自分で直したのよ」


 シャルロットの告白に、少女たちは口々に信じられないと言い募った。騒ぎが収まらない所に、寮監のエミリー・ゴージュが現れた。落ち着いた青いドレス姿の子爵令嬢は後輩たちに言った。

「さあ、みんな行きましょう。あちらの寮のご令嬢たちに負けないようにおしとやかにね」

 冗談めかした号令に女生徒たちは笑い、エミリーを先頭に舞踏室に向かった。




 舞踏室では先に到着していた王立学院の男子生徒たちが壁に沿って並んでいた。彼らも舞踏会用の礼服姿だった。エミリー・ゴージュたち下位貴族・平民組が入室すると、彼らは互いに一礼した。

 高位貴族の令嬢たちはその後からやってきた。いずれもメイドや侍女たちに用意させた豪奢なドレス姿だ。


 最も目立つのはダイグル公爵令嬢だった。舞踏室の隅から観察していた〈デルフィーヌ〉は派手なドレスに冷笑した。

 ――どこの仕立て師クチュリエに注文したのか知らないけど、こんな趣味の悪い物、メゾンには厄災ね。


 まるで隙間を作るのが許されないような刺繍とビジューとリボンに他の令嬢や男子生徒は圧倒されているようだった。

 ――あんなドレス、マダム・ビオロがよく許したわね。

 ダイグル公爵夫人が実家から連れてきた侍女は美意識が高く、厳しいマナー教師だった。かつてのデルフィーヌが少しでも華美に走ろうものなら、真のエレガンスについて延々と説教されるのが常だった。今の公爵令嬢を見る限り彼女の影響力は薄れているようだが。


 ざわつく生徒たちを、ダンス教師ブリュノが手を叩いて静めさせた。

「さあ、今日は先月のおさらいからですよ」

 細身でしなやかな体つきの舞踏家は夫人の手を取り、ピアニストに合図をした。三拍子の流麗な音楽が流れ、ブリュノ夫妻は優雅に室内を一周した。

「では二人一組になって」


 ダンス教師の指示に生徒たちは従った。最初から相手のいる者いない者に分かれていると、舞踏室の扉が開かれた。新たな登場人物を見て、〈デルフィーヌ〉は呼吸が止まる思いがした。

 ――……殿下。

 リーリオニア皇太子ルイ・アレクサンドルが姿を現したのだ。


「遅れてすまない」

 彼は教師に軽く会釈すると、婚約者であるダイグル公爵令嬢に向けて一礼し手を差し伸べた。デルフィーヌ・ダイグルは皇太子と組むと周囲を睥睨するように見回した。


 ――威嚇のつもりかしら、みっともない。

 シャルロットはわざと女生徒の集団の奥に引っ込み、周囲が組んでいくのを見ていた。今日は女子生徒の人数が多いようで、彼女はあぶれることになった。同じあぶれた女生徒同士で組むのだが、相手がサラ・パンソンであることに〈デルフィーヌ〉は驚いた。


「今日は私たちが隅っこ組ね」

 サラは笑顔でそう言うと、自分より背の低いシャルロットをリードした。戸惑いながら男爵令嬢はそっと尋ねた。

「先輩を気にしている人は多かったようですけど」

「パンソンの名前に臆するような男なんかお呼びでないのよ。あなたこそ、こんなに可愛いのに」

「高位のご令息は特定のお相手がいますし、下位の方々にとっては魅力が無いようです」

 微笑みながら答えるシャルロットに、サラは大げさに天井を仰向いた。

「世知辛いわねえ」


 笑いながら二人は踊った。サラのドレスは極力装飾を排し、むしろ男子生徒の礼服に近いデザインだった。彼女の実家の財力を思えば意外だったが、聞けば服は実用性重視なのだという。

「乗馬は断然ズボンがいいわ。横乗りなんてギャロップも出来やしない。南方大陸には幅広のスカート風ズボンがあるのよ」

「動きやすそうですね」

男女(おとこおんな)なんて言われても放っておけばいいのよ、今に何もかも時代遅れになるんだから」

 財閥令嬢は挑戦的な笑顔を見せた。彼女の何物にも囚われない自由闊達さは〈デルフィーヌ〉に羨望の念を抱かせた。


 異色の一組は周囲の注目を浴びながら踊った。ダイグル公爵令嬢は相手の皇太子までもがサラとシャルロットに目を向けるのに気付いた。

「珍しいものでもありまして? ルイ・アレクサンドル様」

「怖い物知らずのアトリ(パンソン)パンソンが妖精のような小白鳥(シュブリエンヌ)と踊っている」

 公爵令嬢はちらりとシャルロットとサラに目をやった。

「取るに足らない身分の者です」

「パンソン財閥は無視できない。あの一族の資産は我が皇王家を軽く超えている」

「爵位も持たない平民でしょう」

「彼らには必要ないんだよ」


 銀髪の皇太子は憧れるような目を少女同士の一組に向けた。それがどちらに対するものか分からず、公爵令嬢は彼の手を強く握った。ルイ・アレクサンドルはそれにも気付かぬ様子で、こちらを見ようともしないシャルロットたちの軽やかなステップに目を奪われていた。


 授業が修了した後で、シャルロットとサラはブリュノに声を掛けられた。

「今日は女生徒同士で踊らせてしまったが、次回は男子生徒と組めるようにするからね」

 シャルロットは気にしていないと頭を振った。

「サラ先輩はリードもお上手ですから」

 嬉しそうに後輩の肩を抱き、サラも笑い飛ばした。

「私が一番上背があるので、いつでも男子役をしますよ」


 夫妻は苦笑をしながら解散させた。夫人が後片付けをしながら不思議そうに言った。

「あの二人が一番目を引いていたわね。殿下も気にされていたようだし」

「どの組よりも優雅で余裕があったな。組むのは初めてのはずだが」

「不思議ね」

 夫妻は話題を変え、次の授業について話し合った。




 寮に戻ったシャルロットとサラは、少女たちに取り囲まれた。何人もが副寮監に訴えた。

「どの男子よりも素敵なリードでした、サラ先輩。今度女子が余ったら私と組んでください!」

「私も隅っこ組になればよかった」

「みんな見とれてたのよ」

「本当に素敵だったもの」


 フェリシーがこっそりとシャルロットに耳打ちした。

「皇太子殿下まであなたたちを見てたのよ。ダイグル公爵令嬢が段々不機嫌になってたわ」

「気がつかなかったわ。サラ先輩と踊るのが楽しすぎて」

 少女たちが再度騒ぎ出し、サラはエミリーに助け出されて引き上げていった。




 自室で〈デルフィーヌ〉は予想外の効果があったことに笑いを堪えられなかった。

 前世でのシャルロット・ロシニョールはどんな機会も逃さず皇太子に接近してはすり寄っていた。現世の自分は視線すら交わさずに印象づけることができた。

 ――あなたは言ったわね、殿下を繋ぎ止める魅力がないのを他人のせいにするなと。同じ事を言われたらどんな気分になるかしらね。でも、ダンスは得意ではないのかしら。あのステップなら、前世の方がマシだわ。

 だが、反動には気をつけるべきだと〈デルフィーヌ〉は気持ちを引き締めた。




 翌日、外出・外泊者のために静かな領の中庭をシャルロットは散策した。木々の枝をそよがせる風は秋の爽やかさがあった。心地よさを楽しむ少女に、驚いたような声がかけられた。

「……エフィ?」

 シャルロットは一瞬固まり、ゆっくりと声の主を振り向いた。

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