10 白鳥の園③
突然現れた侯爵令嬢の、いきなりの乱暴に少女たちは固まった。
若草色の瞳を瞠り、シャルロットはベアトリス・モワイヨンの怒りを露わにした顔に困惑した。
「あなた、どういうつもりなの?」
侯爵令嬢は尖った声を出した。シャルロットの方は言葉が出ないままだ。
「……モワイヨン様、彼女が何か…」
おずおずと、それでも最大限の勇気を振り絞って問いかけたのは友人のフェリシーだった。侯爵令嬢は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「校則違反よ、こんな物を身に着けて」
ぐい、と男爵令嬢の左手を上げさせると、カフスから金色の光がこぼれた。幅広の腕輪だった。
「華美な装飾品は学びの場に相応しくないと入学の注意事項に書かれていたでしょう、忘れたの?」
シャルロットの手首を掴んだままで、モワイヨン侯爵令嬢は足早に歩き始めた。
「来なさい、他の方々にも違反を知らせて裁いていただくわ」
シャルロットは振り返り、フェリシーたちに心配ないと頷いた。そして、おとなしく侯爵令嬢に手を引かれて高位貴族用の寮へと入っていった。
そこは〈デルフィーヌ〉にとって三年間過ごした馴染みの場所だった。下級貴族・平民用と比べて入寮生が少ないはずなのに建物は大きかった。伯爵家以上の令嬢たちが使用人を連れてくるため各個室が広く続き間になっていたからだ。
令嬢たちが集まっている茶話室にモワイヨン侯爵令嬢は入っていった。
「みなさん、ご覧になって。こちらの方が校則を破っている現場を見つけましたの」
彼女が得意そうに報告する先にはダイグル公爵令嬢が座っていた。シャルロットはおどおどした様子で目を伏せ、糾弾にも無言だった。驚く令嬢たちに、ベアトリスは男爵令嬢の手を引っ張った。
「こんな派手な腕輪を着けて授業に出るなんて。高価な貴金属の持ち込み禁止を知らないとは言わせないわよ」
モワイヨン侯爵令嬢が一方的に責め立てるのを、ダイグル公爵令嬢は静観していた。シャルロットは待ち続けた。この部屋に入った時に一人の令嬢がさりげなく退出したのを視界の端で捉えたからだ。
「何か言いなさい!」
黙ったままの男爵令嬢にじれたように、ベアトリスが再度腕を掴んだ。その時、ドアが開き呆れたような声が浴びせられた。
「ずいぶんと騒々しいのね」
登場したのはディロンデル公爵令嬢ユージェニーだった。さすがにベアトリスは押し黙りシャルロットの手を離した。ユージェニーは俯く男爵令嬢に顔を向けた。
「あなたは?」
シャルロットは完璧な淑女の礼を披露した。
「ロシニョール男爵家長女、シャルロットと申します」
戸惑う囁きが茶話室内を巡った。
「ロシニョール?」
「どこの家かしら」
「いちいち覚えていないわ、男爵家なんて」
「最近は金で爵位を買う成り上がりも多いから」
それらに全く動じない男爵令嬢に、ユージェニーは興味を持ったようだった。
「校則違反とか聞こえたのだけど、説明してくださる?」
「私の落ち度です。腕輪を外すのを忘れて授業に出てしまいました」
静かな答えに、金髪の公爵令嬢は首をかしげた。
「いつもそれを着けているのかしら」
「隠したいものがありますので」
シャルロットは自ら腕輪を外して見せた。そこから露わになる左手首の大きな傷跡に、令嬢たちは息を呑んだ。モワイヨン侯爵令嬢は顔色が変わっている。
「見苦しいものを失礼しました」
再度腕輪を着けた男爵令嬢に、ユージェニーは尚も不審そうだった。
「でも、重くはないの?」
幅広の腕輪に触れ、シャルロットは微笑んだ。
「メッキ物の模造品ですもの。本物は母が所有しております。ここには高価な貴金属は持ち込めませんから」
「あら…」
ディロンデル公爵令嬢はベアトリスにちらりと視線を向けた。それは宝飾品の真贋も見抜けない者への侮蔑が込められていた。顔を紅潮させる侯爵令嬢を見向きもせずに、シャルロットは尋ねた。
「今回の失態は私の迂闊さが招いたことです。反省文はどなたに提出すればよろしいでしょうか」
「修身のラパス先生にでもお聞きなさい」
ディロンデル公爵令嬢はそう答えると、これでおしまいねとダイグル公爵令嬢を見た。シャルロットは彼女の動向を注視した。
――前世の私はベアトリスの暴走を止められずに恥をかかされ、恐慌状態の彼女を宥めるのに苦労したわ。あなたはどうするの? デルフィーヌ・ダイグル公爵令嬢。
前世のシャルロットには手首の傷はなく、腕輪は華奢な金鎖だった。ベアトリスはそれを引きちぎって暴言を浴びせたのだ。
ダイグル公爵令嬢は立ち上がり、ディロンデル公爵令嬢に軽く会釈すると無言で茶話室を出て行った。ベアトリス・モワイヨンは絶望の表情でそれを見つめた。
――切り捨てるの? あなたの取り巻きの筆頭を。
ふらふらと出て行く侯爵令嬢を〈デルフィーヌ〉は感慨深く見送った。
――お父様の借金のせいでお母様のお嫁入り道具だったパリュールまで売られてしまったのよね。本物に触れる機会が少なかったのは気の毒だけど、簡単に挑発に乗りすぎよ。
かつて、前世のデルフィーヌ・ダイグルが皇太子との婚約内定を白紙にされた時、あっさりと手のひらを返してくれたベアトリスの態度を彼女は思い出した。
静かに佇むシャルロットに、ディロンデル公爵令嬢が声をかけた。
「あなた、もうご自分の寮に戻りなさい」
「失礼します」
再度優雅な礼をとり、シャルロットは退出した。静かに扉が閉められると、ユージェニーは呟くように言った。
「新興の男爵家にしては品のある子ね」
「確か、ロシニョール男爵にはエグレット伯爵家の令嬢が嫁いでいました」
貴族名鑑に詳しい一人が答えると、ディロンデル公爵令嬢は頷いた。しかし続く言葉に眉をひそめた。
「でも、男爵家の一人娘は事故で亡くなったと聞きましたが」
「誤報かしら」
令嬢たちは顔を見合わせたが正解は得られなかった。
寮の出口へと歩いていたシャルロットは、階段を降りてくる者に気付いた。ダイグル公爵令嬢だった。こちらへやってくるのを見て壁際に下がり、礼をする。その前を通りながら公爵令嬢は小声で言った。
「北限の塔の住み心地はどうだった?」
思わずシャルロットは顔を上げた。前世のデルフィーヌの終焉の地を、目の前の令嬢は確かに口にした。
ダイグル公爵令嬢は笑っていた。皇太子の腕の中から、親しい貴族令息たちの背中の陰から幾度となく向けてきた嘲りの微笑みだった。
シャルロットは公爵令嬢と向き合った。以前から考えていた可能性を言葉にする。
「そう、あなたもいたのね、シャルロット・ロシニョール」
公爵令嬢は鼻で笑った。さも馬鹿にした仕草はロシニョール男爵にそっくりだった。
「あんな小芝居が出来るくらいにはなったのね」
「お手本を散々見てきたおかげよ」
「その割には貧相な格好ね。お父様におねだりはしないの?」
「あんな男、口をきくのも御免だわ」
心底嫌そうな口調に公爵令嬢は青い目を眇めた。
「まだお嬢様ぶってやせ我慢する気? そんなマヌケな傷まで作って」
「ニドの街の友達を助けた証よ」
「あんなゴミ溜めの貧乏人のためなんて、気が知れないわ」
彼女の言い草にシャルロットは違和感を覚えた。
「あなた、帰りたくなかったの?」
「はした金で子供を売りとばすような連中のところに? バカじゃないの?」
「嘘よ! イルマ母さんは私を取り戻そうとして大けがをしたわ」
「何のこと? 夢でも見たの?」
デルフィーヌ・ダイグルの反応はむしろ気味悪そうだった。呆然とするシャルロットに、彼女は悪意を込めた声で囁いた。
「ま、せいぜい夢でも見てなさいよ。公爵令嬢だった時でもあたしに何一つかなわなかった癖に、その有様で何が出来るの」
シャルロットは真正面から相手を見据えた。その唇が歪んだ笑みを象る。
「何も出来ない? 『シャルロット・ロシニョール』が?」
一瞬、気圧されたような顔を見せるダイグル公爵令嬢に向けて、彼女は非の打ち所のない礼をした。
「失礼します、ダイグル様」
前世からの因縁を皮肉な形で引き継いだ二人の少女は別れていった。




