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1 祝婚

のっけからド修羅場です。

 花火が華やかに首都シーニュを彩り、街中が花飾りと歓声に包まれる。

 ファロス歴1011年、霜月(フリメール)二の一曜日、リーリオニア皇国は皇太子ルイ・アレクサンデルとシャルロット・ダイグル公爵令嬢との成婚に沸き立っていた。

 人々はベルフォンテーヌ宮殿前に駆けつけ、バルコニーに出てきた皇太子夫妻に盛大な歓声を上げた。彼らの視線を最も集めたのはシャルロット皇太子妃だった。赤みを帯びたブロンドを宝冠のように結い上げた花嫁は輝くような美しさだった。


 宮殿でバルコニーの奥に控えた閣僚たちは派閥ごとに固まり、群衆とは違った目で二人を見ていた。

 陸軍元帥ヴォトゥールが皇太子夫妻とは別の者を見ているのに内務卿ガロワは気付いた。

「何か面白いものでも?」

 不思議そうに問われて、ヴォトゥール元帥は皮肉っぽく口元を歪めた。

「鷲と小夜鳴鳥が並んでいる」

 彼の視線を辿れば、バルコニー近くに立っている皇太子妃の養父ダイグル公爵と実父ロシニョール男爵がいた。

「庶子を公爵家に送り込む小夜鳴鳥(ロシニョル)も、実の娘が皇太子を射止められなければ切り捨てて娘の恋敵を養女に迎える(エイグル)も、近づきたくはないな」

 元帥の辛辣な評価に内務卿は苦笑するしかなかった。

「皇王陛下はともかく、皇后陛下がこの結婚を認められたのはやはり妃殿下のご懐妊が大きいか」

「初恋を引きずっていた殿下が乗り気になった令嬢だ。最後の機会と思われたかもしれんな」

 表向きの笑顔を作る皇王夫妻に目をやりながら元帥は語り、内務卿は小さく頷いた。




 宮殿前の喧噪も届かない首都の下町、安アパルトマンが建ち並ぶ一角をものものしい装備の男たちが取り囲んだ。黒ずくめの軍服の一団――憲兵隊はある建物の前まで来ると周囲を固め、小隊が突入した。

 階段を駆け上がり、目的の二階の部屋のドアを蹴破り銃を構えた憲兵がなだれ込む。しかし、部屋は無人だった。

「逃げられたか…」

 悔しさに顔を引きつらせる小隊長は、せめて反政府組織の証拠を集めようとした。

「探せ! 奴らの足取りが残っていれば…」

 彼の言葉は爆音に消えた。奥の部屋に続くドアを開けた途端に仕掛けられた爆薬が炸裂したのだ。

 アパルトマンの窓から黒煙と炎が吹き出し、周囲は騒然となった。




 通りを三本挟んだ建物から、それを双眼鏡で眺める男たちがいた。

「やはり憲兵隊がきたか」

 一人が呟くと、側に立つ男が報告した。

「バティストやピエールたちは移動させた。こちらの損害はない」

 リーダー格の男、ジャン=リュック・カナールは頷いた。彼の同志たちが忌々しげに吐き捨てた。

「それにしてもあの女、我々の情報を手土産に皇王に取り入ったとは恐れ入る」

「今や皇太子妃だぞ。例の計画はどうする?」

「勿論実行する。裏切りの代償は支払わせるさ」

 カナールは改革を目指す同志をを振り向いた。

「この世界に王も貴族も必要ない。我ら『紅い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』が奴らを滅ぼす」

 一同は無言で撤収と次の行動に取りかかった。

 首都中の教会が打ち鳴らす祝婚の鐘が窓から流れてきた。




 皇太子の成婚を祝福する鐘は、首都だけではなくリーリオニア国内全ての教会が鳴らしていた。

 皇国の最北部、ダイグル公爵領内にある北限の塔にさえ、麓の町からの鐘の音が届いていた。


 しかし、今の塔の人々にはそれに耳を傾ける余裕などなかった。彼らは塔の中を駆けずり回りながらひとりの人物を探していた。

「だめです、コルボー様。どこにもいません」

「外には出ていない、もっとよく探しなさい!」

 北限の塔を含むベカシーヌ城砦の城代は寒い中、汗を掻きながら塔の一階でうろうろした。

「そもそも、なぜ部屋から出したのだ」

 八つ当たり気味に言われ、メイドが首をすくめた。

「最初はいつものお嬢様だったんです。それが、麓の町の鐘が聞こえてきたらいきなり私を突き飛ばして部屋から出て行ったんです」

 城代は頭を抱えた。

「ああ、今日のことを考えたら地下室にでも移しておくのだった」

 塔の使用人は一様に顔を見合わせ沈黙した。


 ここは、表向きにはダイグル公爵家の令嬢デルフィーヌが静養している場所だ。しかし実情はかなり違う。

 皇国有数の門閥貴族ダイグル家の姫君だったデルフィーヌは皇太子ルイ・アレクサンドルとの婚約が内定していた。それが皇太子がシャルロット・ロシニョール男爵令嬢と急接近し、デルフィーヌは貴族令嬢にあるまじき嫉妬に駆られた。公式の場で男爵令嬢を罵倒する姿を皇太子に咎められ、逆上した公爵令嬢は男爵令嬢を亡き者にするよう護衛に命じた。しかし実行前に露見し婚約は白紙に戻され、デルフィーヌは裁判を免れる代わりにこの塔に幽閉されることとなった。


 城砦での彼女は腫れ物扱いで、私室には常に見張りが付いていた。普段はおとなしいのだが何かのきっかけで暴れ始めると手が付けられず、医師が鎮静剤を投与してやっと収まるという有様だった。

「お小さい頃はあんな方ではなかったのに…」

 ダイグル公爵は娘の尋常ではない行状にあっさりと見切りを付けた。そして、醜聞を隠すようにロシニョール男爵令嬢を公爵家の養女として皇太子との婚約にこぎ着け、今日の成婚に至ったのだ。

 まるで『ダイグル公爵令嬢』であれば誰が皇太子妃になっても構わないとでも言いたげな、露骨なやり口に眉をひそめる者も多かった。


 何度目かの溜め息をついた城代の元に、蒼白になったメイドが駆け下りてきた。

「城代様、お嬢様が!」

「どこだ?」

「それが、塔の見張り台に……」

「何だと!?」

見張り台は塔の最上部にある上に吹きさらしだ。城代はまたも大汗を掻きながら塔を登る羽目になった。

「ジャン、ポール、先に行け! 誰かロベス先生を呼んでくるんだ!」

 彼らは大挙して北限の搭最上部に移動した。


 北限の塔最上部、かつては山向こうからの侵略者を警戒するためだった見張り台は異様な光景を呈していた。

 吹雪で白一色となったそこに、若い女性が立っていた。何の装飾もない囚人服のような姿の彼女は鋸壁の狭間に立ち、手にはナイフを持っている。

「お嬢様、そこは危のうございす! 中にお入りください!」

 必死で説得する城代の言葉は、デルフィーヌ・ダイグルには届いていなかった。長い黒髪を強風に吹き上げられながら、青い瞳に幽鬼のような表情を浮かべて彼女は叫んだ。

「あの鐘をやめさせて!」

 困惑した顔で、それでも城代は呼びかけた。

「鐘はもうじきやみます。それよりそんな所にいたら凍えてしまいます」


 哀れなコルボーの言葉は、公爵令嬢の耳をすり抜けるだけだった。彼女は震える手で耳を覆おうとした。

「……嫌、聞きたくない……、殿下とあの女が…、私から何もかも奪った、あの女がっ!」

 悲鳴のような声で、デルフィーヌはナイフで自分の左手首を切り裂いた。雪に赤い血が飛び散る。凄惨な様子にメイドたちが震え上がり気絶する者もいた。


 そこに息を切らしながら加わったのは若い医師だった。眼鏡をかけた青年はおずおずと言った。

「…お嬢様、手当てをしないと。さあ、こちらに……」

「来ないで!」

 血まみれの手でナイフを突きつけられ、人々は固まった。吹雪に混じって尚も鐘の音が聞こえてくる。デルフィーヌはナイフを取り落とし、両手で耳を押さえた。

「聞きたくない!!」

 その身体が大きく揺れ、狭間の外に向けて傾く。

「お嬢様!」

 メイドたちが悲鳴を上げ、医師が駆け寄った。伸ばす手を振り払い、デルフィーヌは塔から身を投げた。間を置いてどさりという音がした。


 そろそろと狭間から下を見た塔の者は、不自然な姿勢で倒れている公爵令嬢を目にした。その周囲の雪が赤く染まっていく。

「……何と言うことだ…」

 城代はがっくりと膝をつき、医師は首を振った。

 雪の中、鐘は鳴り続けた。




 これより十日後、霜月三の一曜日。リーリオニア皇太子ルイ・アレクサンドル夫妻は前年に併合したフィンク半島を訪れていた。新婚旅行を兼ねた視察であり、最大の都市であるラーベは歓迎に湧いていた。


 自動車の窓から手を振る皇太子妃シャルロットは、この地に来てからどこか上の空な皇太子に怪訝そうな顔を向けた。

「ルイ・アレクサンドル様?」

 彼の目は群衆に向けられ、何かを探し求めるようだった。突然、皇太子が窓から身を乗り出そうとした。シャルロットが止めようとした時、何かが自動車にぶつかる音がした。それが消える寸前に衝撃が車体を襲った。

 爆音と黒鉛、周囲に飛散する金属片と燃料。群衆で埋まった大通りは阿鼻叫喚の地獄図と化した。


 襲い来る激痛で意識を取り戻したシャルロット皇太子妃は、隣に座っていた皇太子に手を伸ばした。彼の腹部は引き裂かれ、大量の出血が礼服を赤黒く濡らしていた。うっすらと目を開けた皇太子は新婚の妃に向けて呼びかけた。

「……ファニア……」

 それを聞き、シャルロット妃の可憐な顔が歪んだ。目を閉じ息絶える皇太子に憎々しげに呟く。

「こんな時まで、あの女を……」


 罵る言葉は左手首の痛みで途切れた。金属片が切り裂いた傷に顔をしかめるうち、更に大きな激痛が下腹部を覆った。

「……まさか…」

 ドレスに広がる赤い染みに愕然とする中、ようやく救助隊が駆けつけた。

 搬入された病院で、シャルロット妃は皇太子の死と流産を知った。出血が酷く、彼女は衰弱するばかりだった。

「……王宮からの使いは? 公爵家からは?」

 何度も繰り返した問いに看護婦は首を振るだけだった。自分が無用の存在になったことをシャルロットは思い知らされた。

「…こんなはずじゃ……」

 目障りな公爵令嬢から全てを奪い、自身が公爵令嬢となり、望んだものを手に入れたはずだったのに。

 傷ついいた手を動かすことすら難しく、次第に呼吸が苦しくなっていく。ふと気配を感じて目を動かすと、いつの間にか枕元に人が立っていた。

 見覚えのある男性に向けて、彼女は手を伸ばそうとした。

「……助け…て……」

 その手は届かず、かつて全ての者を魅了した若草色の瞳から光が消えた。

 リーリオニア皇国皇太子夫妻の結婚生活は十日で終わりを告げた。


 この暗殺事件は西方大陸の情勢を激変させ、混乱と戦火が大陸全土に広がっていった。




 フィンク半島前線に動員される部隊が軍用列車に乗り込んだ。皇国南西部から徴兵された若者たちが不安と興奮が入り交じった表情で囁き合った。

「まあ、新年までには帰れるだろ。なあ、マルセル」

「……ああ」

 長身の青年は無愛想に答えるだけだった。


 線路に沿った道を古びた荷車が進んだ。廃棄されて久しい礼拝堂の前で荷車は止まり、一人の男性が積荷を降ろした。台車で荷物を礼拝堂に搬入すると、彼は祭礼台に台車を止めた。何かがかちりとはまり込む音がして床が下降し、彼は地下室に降り立った。

 積荷を先に搬入したものの隣に並べる。同じような細長い二つの箱を眺め、彼は満足そうに頷いた。手早く箱の蓋を開ける。

 中に収められていたのは若い女性の遺体だった。同年代の黒髪と赤みがかったブロンド、共にダイグル公爵令嬢と呼ばれた彼女たちは偶然揃って左手首に包帯を巻いていた。


 地下室を埋めるような機械を操作していた男は表れる数字に意外そうな顔をした。二つの遺体を振り向き、左手首に注目する。

「…死の直前に負った傷が二つの魂を結びつけ特異点に変化したか」

 彼は思いついたように数字を入力し直し、装置を起動させた。天井に浮かぶ複雑に絡み合った円環が高速回転を始めた。地下室内に強風が渦巻き、火花のような光が点滅した。丸眼鏡を光らせ、男は感極まったように両腕を広げた。遺体に向けて語りかけた言葉は風にかき消された。


 廃墟となった礼拝堂を強烈な光が包み、一瞬で消えた。その後、建物の劣化で崩れ落ちるまでここを訪れる者はなかった。

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