涙痕歌
「私もいつか、あのステージで歌いたいな。」
幼い頃から歌うことが大好きな私は、憧れのアーティストのライブを見た後、一人で呟いていた。
今の世界は便利だ。歌が特別上手くなくても、自分がやりたいと思えば自分の歌を世界に発信できる。それが届くかどうかは別なのだが―。
幼い頃から歌うことが好きだったとはいえ、わざわざ人前で歌ったりインターネットに自分の歌を投稿したりなんて、あの頃の私は全く考えていなかった。そんな私を夢に詰まった世界に引きずり込んだのは幼馴染のフユだった。
フユとは小中同じ学校に通っていたが、その頃は特に歌を歌いたいという話をお互いにすることは無かった。
「久しぶりに会わない?」
高校で離れ離れになったフユからの3年ぶりの連絡だった。
昔から私がボカロが好きだったのを知っていたフユは最近ボカロにハマっていること、そして、歌の活動をしてみたいことを私に話してくれた。フユは自分がやりたいと思ったことを語る時、決まって真剣な眼差しになる。私はフユのその瞳が好きだった。何一つ曇りのない澄んだ瞳が心に刺さる。
「それでさ、ニナ」
「うん?」
「一緒にユニットとして活動しない?」
「えっ」
まさかそんな誘いを受けると思っていなかった私は戸惑ったが、フユの瞳を見れば本気で私とやりたいと思ってくれていることはわかった。こんな事になるとは想像してなかったが、これもひとつの運命なんだろうと思い、私は快諾した。
ユニット活動とはいえ私は大きなコミュニティで活動するつもりはなかったが、フユが昔ながらに持つコミュ力の高さで、色んな歌い手の事を宣伝してくれるグループに入り、その流れで動画投稿サイトにも投稿を始めた。なんとも便利な世の中だなと思う。
しばらく動画投稿のみで活動していた私たちだったが、ある日ライブに出演しないかという誘いを貰った。
大きいライブではなかったが小さいコミュニティからスタートした私たちの活動がついにライブに出演できるところまで来たかと思うと幸せでたまらなかった。
初めて人前で立って歌うこと、人に自分の好きな歌を伝えること、歌に込めた思いを語ることは本当に気持ちが良かった。初ライブを終え、今まで以上に活動に対するモチベーションも上がり、他の活動者たちと繋がる機会も増えた。
私とフユは本当に歌が好きだった。
そして何よりお互いがお互いの歌ってる姿が好きだった。フユと私はずっと一緒に活動を続けてきた。スタジオでの練習もたくさん重ね、2人で1曲を大切に歌って作り上げていくあの感覚が私たちは大好きだった。1つの作品を作るのは簡単なことではなかった。たくさんの衝突を繰り返し、話し合い、練って練って理想に近づける。完成した頃には2人で泣き、笑い、抱き合った。一つ一つが最高の時間だった。
だが、回数を重ねれば重ねるほど、私たちの価値観にズレが生じてしまった。衝突の回数も増え、2人の納得いくものを少しずつ作れなくなっていった。
それでも歌が嫌いになることは絶対になかった。
お互いの歌も好きなままだった。
私たちはそのまま2人での活動を辞め、それぞれ1人で活動をすることにした。本当に中身の濃い時間だった。フユと活動ができて多くの歌、多くの人に出会えて、多くの経験をできたことはこれから先もずっと忘れないだろう。
私は自分の気持ちを人に伝えるのが本当に苦手だった。だから私はいつも歌にその気持ちを乗せて吐き出していた。ソロの活動を始めてからも、どんどん成長して大きくなっていくフユの背中を一番近くで見ていたからこそ、フユがどこか遠い所へ離れていく気がして怖かった。
そんな焦りの気持ちすらも歌に込め、吐き出し続けた。
フユは本当に凄かった。どれだけ成長しても私のことを気遣って優しい言葉をくれたり近くで支え続けてくれた。でもその優しさが時に私の心を締め付けた。
そんな苦しさを心の内に秘め、ぜんぜん変わらない現状に嫌気がさしていた頃、私はユキと出会った。ユキはそんな吐き出すような私の歌を好きになってくれた。異性の活動者は何人か仲の良い人はいたが、ユキはその中でも頻繁に連絡をしてきた。話すごとに少しずつ心の距離も縮まり、他の人に比べて気を許せる友人になっていた。ちょうどその頃、ユキは会話の中でよく私に「好き」と言ってくるようになった。
最初は全く気にしていなかった。ユキだって冗談で言ってると思っていたし、活動者同士でそういう関係になるなんて想像したこともなかった。私の中では常に、良い関係の友人の域を超えることはなかったのだ。だが、日に日にユキのアピールは強さを増し、友人関係以上の何かをユキが求めていることをひしひしと感じるようになった。ユキには元々彼女が居たし、私を女として意識して見ているなんて思っていなかったからこそ、今までの恋より戸惑いは大きかった。ユキの数ヶ月に及ぶアピールに私は押し負け、ユキと付き合い、向き合うことを選んだ。初めは幸せだった。ユキからの愛情表現は毎日凄まじかったし、ユキは一つ一つ愛を感じる言葉を私にくれた。
「好きだよ、ニナ。」
「頑張ってる姿が素敵だよ。」
「今日も可愛いね。」
在り来りな言葉でも、他の人に貰う言葉たちよりも確実に私の心に響いた。好きな人にこんなにも言葉を貰えることの幸せを日々堪能していた。
お互いに活動を続け、同じライブで同じステージに立つ事もあったし、お互いのライブを観に行くだけの日もあった。活動をしながらも少しずつ2人の時間を過ごし、頻繁には会えなかったが会う度に笑い合い、同じ時間を過ごし、体を重ねた。でも、そうして幸せな2人の時間を過ごす度に、2人じゃない時間の苦しさは強くなっていった。この世界はどうしても異性のリスナーが付く。それは私たち活動者にとって嬉しい事だったし、自分の大好きな歌を聴いてくれる人が居るだけで、私は毎回負い目を感じていたフユに少しでも追いつけているだろうかという希望を持つことが出来た。それはユキも同じだったしお互いの歌が好きで、お互いの歌に対する姿勢を知っていたからこそ、私たちはお互いが大きくなっていくのが嬉しい気持ちはあった。でもそれと同時に、嫉妬することも増えてしまった。2人の時間が増えれば増えるほど共依存になっていた私たちにとって、たとえ大好きで、たとえ大切な活動だったとしても、それ以上に愛の前では邪魔で、苦しいものだった。私たちは話し合い、お互いに一度活動から退き、2人の時間を大切にすることを選んだ。それが私たちにとって最大の幸せになる近道だと思っていたから。
結果的に大好きだった活動を手放すことは、自分にとって大きな喪失感を産むことになってしまった。歌が好きだった私が歌を失ったことで産まれた喪失感はどんどん私の心を蝕み、苦しい毎日の思いを吐き出す場所を失い、荒んでしまった。きっと昔の私ならこんな気持ちにならなかったのだろうか。フユに誘われ、歌の世界に足を踏み入れたあの日から、歌を歌う自分の姿に、気付かぬうちに縋っていたのだろうか。活動を再開しようと思っても、またあの嫉妬に襲われる日常に戻るのが怖くて、踏み出すことも出来なかった。
いつの日からか、幸せの意味を見失っていた。
大好きな歌の活動も、活動を認めてもらうことも、ユキからの愛を貰うことも、全てが欲しいと思っても絶対にそんな上手くはいかない、そんな理不尽な世界に嫌気がさした。強欲な自分に嫌気がさした。
「もう、終わりにしよう、2人のために」
2人のためになんて言ったけれど、結局自分のためだったのかもしれない。楽になりたかった。
「絶対に嫌だよ、俺は。」
「私だって嫌だった。最初はこうして2人の時間を過ごしていくことが幸せだった。大好きな活動を辞めてもいいと思えるだけの価値が、2人の時間にはあると思ってた。でも、そうじゃないんだよ。元々活動ばかりの過ごし方をしてきた私たちが活動を辞められるはずなんてなかったんだよ。知ってるよ、ユキがずっと無理して活動を辞めていたこと。私のために、私が嫉妬するなら辞めるって、あの時は簡単に言ったけれど、本当は嫌だったでしょう?だってユキも活動が大好きだったじゃない。ユキは私を好きでいてくれた、私の知らない愛をたくさんくれた。だけどね、それでユキが苦しむなら意味が無いの。わがままでしょう?嫉妬するから活動をしないでほしい気持ちも、苦しむ姿を見たくないから活動してほしい気持ちも両方ある。」
「わがままじゃないよ、俺はそんなニナが好きだし、ニナのためならなんだって本当に辞めれるよ。苦しくなんかない。自分で選んだんだから。」
「嘘つき。あんなにリスナーを大切にしてたのに、いきなり辞めて何も思わないような心の持ち主じゃないでしょう。本当はみんなとまた仲良くしたいんでしょう、いいんだよもう私たちの関係はこれで終わり、またお互いに活動を再開すればあの日に戻れる。」
「そんなに俺と過ごした時間が嫌だったの?こんなにもニナの事が好きなのに。」
「そんなことは一言も言ってない。私も好きだったよ、ユキと過ごした時間を一秒でも無駄だと思ったことは無いし、喧嘩した時間も、抱き合った時間も、全て今の私の糧になってる。それだけ中身の濃い時間だった。本当だよ。」
「もう、過去形なんだね。」
「ごめんね、でももう、だめなの。」
「……」
こうして私たちは、共依存の生活に終止符を打った。
きっと、こうしなければ、ずっとお互いに傷つきあっていたから。
活動から離れている間に、フユとはまた大きな差が開いてしまった。フユのステージや歌を聴けば、すぐに分かった。
活動に空いた穴と心に空いた穴の両方を埋めるために、私は歌を歌い続けた。早くフユに追いつきたかった。また肩を並べて歌いたかった。
きっとこれは呪いなんだ。
一生埋まらないフユとの距離も、一生埋まらない心の穴も、歌に乗せて吐き出すしかできない呪い。
大きくなるフユの背中と遠くへ行くユキの背中を、今日も後ろから追いかけている。がむしゃらに走りながら。
いつの日か夢見たあのステージで歌えるように―。
涙痕歌 読んでいただきありがとうございます。
私の身近な人を題材にさせてもらいました。
実在する人物を書くのは、想像の中で生み出す子達を書くよりもすごく難しく、奥の深いものでした。
この作品が誰かの心に響くことを願って。




