隣の席のあの子が夏休みデビューした話
実話だったら良かったですね?
「おッすジュンタ! 知ってるかっ?! ブンコの事?!」
九月二日、夏休みが明けた始業式の一日を、八月末からひいてしまった夏風邪が治りきらずに休んだカワカミジュンタは、教室に入る手前の廊下で小学校からの親友のナカタダイキから、登校早々ハイテンションで問いかけられた。
「おっすダイキ。病み上がりの俺を先にいたわれよ。ブンコがどうした?」
「登校して来てんだから元気なんだろ? まだ見てねえのか?」
「見てねえよ。何かあったのか?」
九月の初めはまだまだ暑く、制服のズボンのすそを折り曲げて脛まで出してだらしなく着崩しているダイキは、悪びれもせず問いかけてくる。気心知れたジュンタは特に気にする事もなく、朝からの暑さでうっとおしい開襟シャツの襟元をいじり教室のドアを入った所で答えた。
一学期からジュンタの隣の席のキノシタフミコは、自分からフミコは呼びにくいからブンコでヨロシクっ! などと初対面から言ってくるような快活な女の子だ。真っ黒ストレートのミディアムボブで、重めの前髪。いつも度のきついセルフレームの眼鏡をかけているので、見た目はだいぶ野暮ったいが、持ち前の明るく社交的な性格で、クラスの中心的存在だった。ジュンタとは出席番号が同じで、当番なども一緒になるので何かと良く話をする、クラスで一番仲の良い女の子だった。
「ブンコのヤツ、まだ登校してねえのかな?」
「なんだよ早く教えてくれよ」
教室の後ろにあるロッカーの前で立ち止まったダイキは、キョロキョロと教室を見回しながら勿体を付けた言い回しでジュンタを焦らそうとしたが、いい加減にして早く言えと眉根を寄せたジュンタを見て、再びハイテンションで捲し立てた。
「スゲー可愛くなってんだよ! 夏休みデビューだ! カレシが出来たんじゃね? ジュンタ仲いいじゃん! なんも聞いてねえの?」
ジュンタとフミコが最後に会ったのは、八月の半ばにクラスメート達と遊んだ時以来だったが、その時は別段何も変化は無かった。ジュンタが標準より随分低い150センチの身長をからかえば、冗談を言い合って笑いあっていた。
その後は帰省や夏風邪なども重なって会う機会は無く、SNSではたまにやりとりをしていたが、特に何かしらの話が有ったわけでは無かった。
「…マジか?」
「マジマジ! 見たら驚くぞ!」
「…何にも知らねえし、ブンコの事だからちょっとしたイメチェンだろ?」
「ふっふっふ。ジュンタさん、焦ってます? 焦ってますぅ?」
「急に気持ち悪いしゃべり方になるなよ! 俺が何に焦るんだよ??」
「せいぜいビビるがよいわっ! ちなみに昨日席替えしたから、ジュンタの席はこっちな! そろそろ先生来るから、後でブンコの感想ヨロ!」
そう言い残してダイキは自分の席にさっさと荷物を置きに行ってしまった。廊下側の前から三番目だった席は、窓側から二列目の一番後ろに変わっていた。朝からダイキの良く分からないテンションの知らせに、本人にも良く分からない苛立ちを感じつつ新しい席に着こうとしたジュンタの背中に、聞きなれた声がかかった。
「おはよージュンタ。風邪良くなったの?」
「おうブンコ。ダイキが朝から……」
そう言いながら振り向いたジュンタの目には、たった半月前まで見慣れたブンコの姿は映らなかった。
野暮ったい黒髪が、明るいゆるふわ茶髪のミディアムボブに。重たかった前髪はヘアピンで上げられ、形の良いおでこが出されている。コンタクトにしたのか眼鏡も掛けておらず、眼鏡のせいで小さく見えていた形が良く大きな目が、ジュンタを見ていた。
「お、おぉう……」
「ダイキが何よ?」
ブンコの変身と言ってもよい変化にジュンタは言葉を失ってしまった。
「何よ? 途中で辞めないでよ~」
「……ダイキが朝からうるさいって話だゾ」
「確かにダイキはいつでもうるさいよね~。ところでどうだった夏休み? 何かあった?」
ジュンタは、何か有ったはこっちのセリフだ! と、声を大にして言いたかったが結局何も言えなかった。仲の良かった女の子の急激な変化に怖気づいて、聞いてしまうと今までの関係が全く無かった事になりそうな不安感に襲われてしまった。
「別に何もねえよ」
「そかそか」
「……」
「……」
二人の間に微妙な緊迫感が流れた所に、始業のベルが鳴った。
「……なんにもなかったの?」
「風邪引いたくらいだ」
「……フンっ!」
少し怒ったようにしてブンコは自分の席に去って行った。どうやらブンコの席は窓際の一番前のようだった。隣だった席も離れ、すっかり見た目が美少女になってしまったブンコに、ジュンタは寂しいような、悲しいような、イラつくような、自分でもよく分からない気持ちになり、ため息をついて頭を掻くと自分の席に向かった。
*
「先生、ワタナベさんが黒板が見えにくいみたいなんで、アタシが席代わってもいいですか?」
始業のタイミングで、ブンコが先生に席の変更を願い出た。ワタナベはジュンタの隣の席だったが、どうやら夏休み中に目が悪くなったらしく席の変更を願い出たらしかった。
「ブンコはコンタクトに変えたから良く見えるのか?」
「ばっちりで~す」
教師受けも良いブンコと軽口を交わしながら、担任が席の変更に許可を出した。
「ウシシシ。また隣ですなあ」
「そうだな。よろしくな」
ニコニコと機嫌が良さそうに自分の荷物を持ったブンコが、ジュンタに話しかけた。
「ブンコよりタナカとかの方が目が良いんじゃね?」
列の中ほどに座った人物に目線をよりながらジュンタが告げた。
「……いいのよ。買ったばっかのコンタクトですから。これでいいんです~」
つい一瞬前まで、絶好調なブンコの機嫌が急降下した。
*
「おいキサマ」
「なんでしょうブンコ様」
「なにか言う事は無いのか?」
昼休みの事、コンビニおにぎりを食べようとしていたジュンタに、ブンコが唐突に声をかけた。
「今日はツナとタラコでございます」
「やっぱりツナが一番だよねぇ……そんなことは聞いておらぬ」
ブンコの言いたい事はジュンタによく分かったが、やはり気恥ずかしくすぐに素直には答えられなかったが、意を決して答えた。
「知ってたけど、目、大きいよな」
「……それだけでゴザルか?」
「イメチェン」
「イメチェンが?」
「ビックリした」
「……」
本当にブンコの事を怒らせてしまいそうだと分かったジュンタは絞り出すように告げた。
「……かわいい……と思う……ぞ」
ガタンと音を立ててブンコはイスから立ちあがった。
「遅いのよ! ば~か!!」
捨て台詞を残すと、ジュンタの机の上に有るツナおにぎりを勝手に奪って走り去って行った。
*
「ブンコ、消しゴム貸してくんない?」
消しゴムを忘れた事に気が付いたジュンタは、まだ慣れないイメチェンしたブンコに話かけた。
「いいけど……」
「けど?」
ジュンタに消しゴムを渡しながらブンコが伝えた。
「ブンコって呼ぶのやめてくんない?」
「急にどうした?」
「なんでもいいからブンコはやめてよ」
目線を合わさずにそう宣言するブンコに悲しい気分になりながらジュンタが答えた。
「わかったよ。キノシタさん」
自分自身が希望したから苗字で呼んだジュンタの声を聞いて、ブンコは悲しげに眼をふせた。
*
完全に見た目が変わったブンコは、随分とモテるようになっていた。先日はサッカー部のエースから告白されたらしかった。あいかわらず隣の席にいるので、ジュンタと会話はするけれど、夏休み前のように盛り上がる事が少なくなった。朝晩はほんの少しすごしやすいと思うようになって来ていた。
*
「キノシタさん」
「なんですか? ジュンタさん」
前までの関係に戻りたかったジュンタは、意を決して放課後に話しかけた。
「ちょっと一緒に帰りませんか?」
「ほほ~う」
断られるのが怖くってジュンタは顔を見れなかったが、ブンコの顔はニヤケていた。
ジュンタが顔をあげた時にはすっかり普通の顔に戻っていた。
二人が共通の通学路である土手沿いを並んで歩く。自転車通学のジュンタは徒歩と電車で通うブンコに合わせて自転車を押して歩いた。押す自転車の向こう側を歩くブンコに距離を感じ、ジュンタは気が重くなった。
「カバン重~い」
「そんなに物は入って無いだろ」
しばらく無言で歩いていたブンコが口を開いた。いつものブンコを感じてジュンタは嬉しくなり口が軽くなった。
「逆にもうちょっと重くしろよ」
「なんでよ!」
「ちょっとは教科書持って帰れ」
「持って帰ってるモン! だから重いんだモン!」
「モン! じゃねえよ」
久しぶりに軽口が利けて、元の二人に戻れた様な気がして、ジュンタは嬉しかった。
「重~いカバンを持たせてやるぞよ!」
「……貸せよ」
受け取った、ブンコが通学カバンに使っているスポーツブランドのバックパックは存外重かった。
「……ありがと」
元通りになった空気は長続きせず、二人の間に沈黙が下りた。
それが嫌で、ジュンタはなんとか会話を続けようとした。
「あのさ」
「うん」
「イメチェン」
「うん」
「なんで?」
「可愛くない?」
「……かわいい。めちゃくちゃ」
「……」
どうにか勇気を振り絞って答えたジュンタだったが、それっきり二人の間に会話が途絶えてしまった。
トボトボと歩を進めて、もうじき二人の分かれ道に差し迫ろうとしている時だった。
「公園寄ろうよ」
ブンコが不意に声をあげた。
土手の下にある公園で、夏休み前まで、たまに帰り道が一緒になると少し寄り道をして缶ジュース一杯を飲む間くらいの立ち話をした公園だった。
二人は各々ドリンクを買ってベンチに腰をかけた。二つ並んだベンチに、一台ずつ別々に。
「かわいいって言った」
「おー」
「そんだけ?」
「……」
勇気が出なかった。
「かわいいって言ったでしょ」
「……おー」
「もうっ」
ブンコは何やらカバンを漁り、飴やらタブレットやらを取りだすと口に入れ始めた。
「ちょっとジュンタ! これ食べて!」
「お、おー?」
急に飴玉を手渡されたジュンタは目を白黒させながら、言われるがままに口に入れた。飴を手渡したブンコは、ベンチに座らずジュンタの目の前に立ったままだ。
「カワイイって言った! それから?」
「なんで、イメチェンしたんだ?」
「違う! そうじゃないっ!」
ジュンタにはどうすればいいのか分からなかった。
「アタシ! かわいい!」
「お前、かわいい」
「かわいいから?」
「かわいいをアピールしすぎじゃね?」
「今そういうのいらねえからっ!」
脛を蹴られた。
「ちょっと! ジュンタっ! 立ってくれる!」
手を引かれ、勢いを付けて立たされた。
「かわいいアタシに言う事は?」
「前からブンコはかわいい」
赤かったブンコの顔が、さらに赤くなった。
「もう一個飴食べて!」
「はいっ!」
勢いに押されさらに飴玉を口に放り込まれた。
「アタシ、かわいい!」
「ブンコ、かわいい」
「ブンコって呼ばないで!」
「キノシタかわいい」
「フミって呼んで!」
「フミはかわいい」
「かわいいあたしと?」
「かわいいフミと……」
先ほどまで勢い込んで喋っていたブンコが急に押し黙った。
「付き合ってくれ」
「遅いっっっ!」
ブンコはジャンプしてジュンタの首にしがみついた。
「ヘタレ! ヘタレ! へ~た~れ~!」
突然抱きつかれたジュンタだったが、小さくて軽いブンコをしっかり支える事が出来た。
「おいヘタレ。飴食べたでしょ。アタシも食べた」
「お、おう」
ブンコが真っ赤な顔で、ジュンタの耳元で囁いた。
ジュンタがブンコを優しく地面に下ろして見つめると、ブンコがそっと目を閉じる。
目も大きいけど、マツゲも長いな。等と考えて少しブンコを見つめていると、再び脛を蹴られた。
痛みに顔をしかめると、もっと顔をしかめたブンコにドスの効いた声で囁かれた。
「おい、ヘタレ。分かるだろうが?」
「は、はい」
もう一度そっと目を閉じたブンコに、ジュンタは今度こそ唇を落とした。
「ブンコ、好きだ。ずっと好きだった」
「遅いよね~。ヘタレだよね~」
「悪かったよ。……付き合ってくれるか?」
「もっかいちゃんと言え」
「ブンコ、好きだ。付き合ってくれ」
また脛を蹴られた。
「フミ、好きだ。付き合って下さい」
「仕方ない。よきにはからえ」
真っ赤な顔でそう答えた。
「だが、キサマ。キサマのヘタレ具合は忘れてやらんぞ」
「許してくれよ」
「一日一回、フミ様かわいいと唱えれば許してやらんでもないぞ?」
「フミ様カワイイ、ヤッター」
「心を込めろ」
もう一度ジュンタの脛を蹴ったフミは、とても嬉しそうに笑った。