1.意気投合
まるで念仏のような長話。ステージに立って話をするんだから、もう少し聞いてもらう努力をしろよ、と思いながら天道暁は欠伸を噛み殺した。
ここは、広磨高校。よくある私立高校だ。そして、現在記念すべき入学式の真っ最中。…だというのに。校長の念仏のおかげで、暁の気分は急降下していた。体育館の淀んだ空気のせいもあっただろう。
リスでも乱入したら念仏もこの退屈な気分も吹き飛ぶだろうに。リス、乱入してこないかな、と適当な事を考えていると、すぐ近くで欠伸を噛み殺す音がした。何気なく音がした方向、右を見る。
そこには、未だ念仏を唱えている校長をけだるそうに見る少年がいた。髪は綺麗なブラウンで、前髪は頬まで、後ろ髪は背中まで伸びている。男にしてはちょっと長い。制服を微妙に着くずしていて、それがとてもセンスがいいと感じた。精悍な顔立ちで、これは女子にモテそうなタイプだ。羨ましい。
観察していると、急にはっとした表情になり、真剣な顔で校長を見つめだした。何をそんなに熱心に見つめているんだろうと不思議に思い、暁も校長を見つめてみる。何か変わったことでもあるのだろうか。全くわからない。相変わらず油性のテカった顔で、念仏を唱えている。
と、不意に少年が呟いた。
「あの校長…」
暁は誰に話し掛けたのかを確認するため、少年を横目で見た。しかし、少年は誰に話し掛けたというわけでもなさそうだった。少年はそれから口をつぐんだ。
「あの校長が、何?」
暁は焦らされて、先を促した。少年はちらりとこっちを見ると、また視線を戻し真剣になった。
「…ビーバーに似てねえか?」
ビーバー、ああ、前にテレビで見た事があるな…と想像する。その想像と校長の顔が見事にダブり、思わず吹き出して笑い転げそうになった。ビーバーに丸眼鏡を掛けると、そっくりなのだ。暁は笑わないように、必死に耐えた。思わず笑い転げたりすると、少なくとも200人の前で恥を晒すことになる。それだけは絶対に避けたい。腹を強く押さえつけ、何とか我慢する事に成功した。腹筋がかなり痛み、過呼吸になる。少年は声を出さずに笑った。
「やっぱり、そっくりだよな」
「そっくりどころか、あれはどこからどう見てもビーバーだろ…」
それから少しの間、2人で息をひそめて笑い合った。暁が涙を流しそうになっていた時、少年は手を差し出した。
「俺、蒼地槇巳。お前は?」
暁も手を差し出す。
「僕は天道暁。宜しく」
縮こまって握手を交わす。まだ少ししか話していなかったが、槇巳とは巧くやっていける予感がしていた。
唐突に念仏が終わった。周りの人が起立しているのに気付き、2人は慌てて立ち上がる。揃って礼をする。しかし、顔は半笑いだ。ビーバーの顔が忘れられない。
それから暁は、校長とビーバーを見ると笑わずにはいられなくなった。
よく晴れた昼下がりの午後。2人は喫茶店の喧騒の中にいた。一番奥の、片隅にある席。昼時だったせいか、そこしか空いていなかった。空いてるだけでも運がいいと思うべきなのだろうか。
「まさか、入学初日から友達が出来るとは思わなかった」
暁はメロンソーダをすすりながら言った。金が無いので、これで出来るだけ保たせないといけない。少しずつ、ちびちびと飲んでいく。
「俺も」
目の前の席に座っている槇巳は、パスタをラーメンのように豪快にすすって食べている。旨そうだなあ、と眺めながらメロンソーダをすする。
同級生達の中であのビーバーが校長の高校を選んだのは、暁だけだった。だから少し不安だったのだが、これなら楽しく青春が送れそうだ。
槇巳はパスタを食べ終えると水を飲み干し、合掌した。暁はその様子に少なからず驚いた。不良っぽい見た目からして、そういった事は一切しないという偏見をもっていたからだ。
「…槇巳って意外と礼儀正しいんだな」
頬杖をついて、メロンソーダをすする。槇巳は背もたれにもたれかかっていた。
「何それ、見た目?」
「あ、いや、そうじゃ…」
怒らせてしまったかと急いで否定したが、それは槇巳の快活な笑い声で遮られた。
「別にいいよ。俺の髪な、これ、地毛なんだ」
「え、槇巳ってハーフ?」
「違うよ」
「へえー…」
知らぬ間に身を乗り出し、凝視してしまう。日本人でそういう髪色のやつがいるとは思わなかった。茶色っぽいのなら見た事ある。しかし、槇巳は鮮やかな、ライトブラウンなのだ。まるで、アメリカ人か誰かの子供のような。
「赤ん坊の頃の写真でも見せてやろうか? 正真正銘の生まれつきだよ」
「うん、今度見せてくれ」
暁はまだ半分以上残っているメロンソーダをすすり、また話を再開させた。
「ところで、槇巳の家ってどこ?」
「高森」
「近いね。僕は伊崎」
高森のすぐ隣が伊崎で、その近くにここ、左結海がある。
2人とも電車通学で、乗る路線も同じようだった。明日は電車の中で再会することを約束し、今日のところは解散になった。
広磨高校を選んで良かった。暁は、心からそう思った。