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千年世界録  作者: 氷室冬彦
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7 範囲外の予定と許容

 水底から浮かび上がってくるような穏やかさを帯びて、ロアの意識は夢から覚醒した。ここ最近経験しなかった、やけにすっきりとした目覚めだ。息を吐きながらおもむろに身体を起こす。時計を見るとちょうど午前九時を指しており、いつもより三時間遅い起床だった。いつも日の初めに見るまっすぐな一本線とは違う、ぴったり九十度に曲がった針を見て、ロアは最初こそ、おう、とおどろきともあせりとも取れる声を心の中でもらして飛び起きたが、しかしまあそんな日もたまにはあるかとあっさり受け入れた。


 礼たちが来てから朝食の時間は少し遅くなった。食事は三食、決まった時間に全員そろって摂ることにしたからだ。朝食と夕食は礼たちの生活習慣に合わせているので、ロアの起床時間も以前までより少し遅くなった。今までも極力リンとジオとはともに食事をするよう心掛けていたが、三人そろわないことも当然多くあり、今は各々どうにか帳尻を合わせて集まっている。各々仕事があると今日は仕方ないかと流しがちだったが、子どもたちのためと思えば案外どうにでもなるものだ。今朝は朝食の時間には少し遅れそうだが、間に合わないことはないだろう。


 顔を洗って髪を結い、手早く着替えて鏡を見る。何百年と繰り返し、もはや目を閉じていても正確にこなせるであろう習慣化した手順。軍服の襟元を正したとき、ふと部屋の壁にかかってあるものが目についた。


 それは大きな鎌だ。一メートル以上はありそうな長柄に、これまた大きな刃がついた巨大な鎌。刃の部分は丸く加工してあるので、鈍器にはなっても斬撃武器として扱うことはできない。この建物の壁と似た、青みがかった石灰色で、この部屋に来た友人たちは皆、これを見ると変わった装飾品だと言う。ロアもそう思う。剣や盾、斧などを廊下や執務室に飾っている化身はいるが、大鎌を自分の部屋に飾ってあるのはおそらくロアだけだろう。


 ロアが昔使っていたもの――ではない。あの丘の上の主、かつてロアの友人だった人間が使っていたものをロアの魔力で補強し、状態を維持して保存してある。いわゆる遺品だ。そっと手で触れると、それはひんやりと冷たかった。定期的に手入れをおこなっているので埃はついていない。光沢のある刃にロアの顔が写り込んだ。


 千年前から変わらない不変の容貌。背も顔立ちも成長しないし、老いもない。死んで消滅することもない。たとえ戦いの中で肉体が滅びたとしても、新たな肉体を得て戻ってくる。人間たちが言うところの実質的な不老不死。そもそも化身は生き物という認識でいて正しいのだろうか。生きているというよりは、存在しているとするほうがしっくりくる。


 だからこそ、人間と同じ時間を生きることはできない。それが国の化身である。



「おや、どこかへ出かけるのかい?」


 特別談話室へ向かおうとしていたロアの前を礼が駆け足で横切ったので声をかけた。礼はこちらに気付くとまず朝の挨拶をして、次に先の質問に答えた。


「ちょっとそこまで。でもお昼には戻るよ」


「朝食はもう済ませたんだね?」


「うん、ちょっと早めに作ってもらった。ロアは今から?」


「ああ、ちょっと寝坊してしまってね。そういえば、君が私に聞きたいことがあるらしいとリンから聞いたよ。夕食のときにはなにも言わなかったが……なにか気になることがあったのかい?」


「うん! でも、えーと……なんだったっけ」


「忘れてしまうということは、緊急の用事ではないようだね。また思い出したらでいいよ。遊びに行くのは郁も一緒かい?」


「うん。先に下で待ってるよ」


「そうか、引き止めて悪かったね。気を付けて行っておいで」


「はあい」


 素直な返事をする礼に手を振り、彼の背中を少し見送ってからロアはいつもの部屋に向かった。



 *



 ロアの機嫌はこれでもかというほど悪かった。


 たまには朝寝坊もいいかと思えるほどにすっきりとした朝の目覚め。無邪気でかわいらしい少年との、たわいない朝のやりとり。そんな清涼な気分をすべて台無しにさせる光景に、ロアは大きくため息をつく。


「帰れ」


「だから来たくて来たんじゃねえっつうの」


 しばらくは会う必要もないと喜んでいたというのに、セレイア・キルギスは目が合うと嫌なものでも見たように目を逸らして舌打ちをした。


「スケジュールのミスだ」


「はあ?」


 対するロアもあからさまに眉を歪めた。


「ミス? ミスってなんだ」


「スーリガの伝達が間違って……いや間違ったってほどでもねえが……そもそもてめえと違って俺様はを四つつけてもいいぐれえ忙しいだろ? てめえと違って忙しい俺はこのごろそっちに確認の連絡も取れねえほど別件で立て込んでて……」


「素直に忘れてたと言え。私とお前とでなにをするんだ?」


「俺たちだけじゃねえ、ダウナもだ。それと聞いてなさそうだから言っとくが、てめえらんとこの今年の記念祭に来賓として俺を呼ぶ話が出てるんだとよ」


「どこの誰だい、そんなこと言い出した命知らずは。なんで私たちがセレイア国との戦争に勝った記念の祭にセレイア国の化身を呼ぼうと思ったんだ?」


「ダウナの野郎だ。どうせ言い出しっぺは他の化身やつだろうがな」


「バカが……なんの意味が……」


「歴史学上じゃ苛烈な戦いで両軍ともに惨憺たる状況で云々――っつって事実そのままの険悪さを強調してるからな。またいつか俺たちの間で戦争が起こるんじゃねえかって心配してる人間のために、俺たちがあのときほど険悪じゃねえってことを示しといたほうがいいってことだ」


「は?」


「お前ら全員目障りで生意気でクソうぜえが、今さら戦争おっぱじめんのも無茶だろ? あんときゃともかく、今は殺し合う理由がねえ」


 言われて考えてみるとたしかに、今も昔もセレイア・キルギスが嫌いなまま、存在自体が不快だと思う気持ちにこそ変わりはないが、戦時中ほど明確な敵意や殺意はない。言葉でも物理でも殴り合いはするが、お互いに本気で殺そうとまでは考えていないのだ。


「個人的な感情はともかく、戦争なんて今は世論が許さないだろう。それを振り切ってまで戦う利点はない。……だからって普通呼ぶか? 少なくともスーリガの入れ知恵ではないな」


「それと、この前の会議のときに配られた書類が間違ってたみてえだぞ。記載が、っつうより印刷ミスだな。既に済ませた分とは別の、三人でやらねえとなんねえ案件が出てきた。もうちっと早く発覚してりゃあ、日程合わせて集まったってのに……」


「無駄に日を分けてバラバラに来た挙句、結局もう一度集まることになるとは。印刷に不備があったことに関しては機械の不調なら仕方ないが……誰も確認しなかったのかい?」


「見落としたのはダウナ側だ。あいつの下にそそっかしいのが何人かいんだろ。その案件自体も一応は記念祭に関連したことだから、打ち合わせついでにさっさと済ますぞ。ダウナのやつもそのうち来るだろうよ」


「スーリガと兄弟水入らずですごしているはずじゃないのか?」


「知ったこっちゃねえよ。あいつもあいつでスーリガが帰るからって浮かれててこのこと忘れてたんだろ」


「浮かれていたというか、あわてていたというか……」


 ということはひとまずダウナ待ちか――ロアはため息をついた。


「そういや、今日はあのガキどもの姿がねえな」


「礼と郁なら出かけているよ。なにか二人に用でも?」


「んなわけねえだろ。一昨日あんな大口叩いてたくせに、もう施設にブチ込んだのかと思っただけだ」


「私がそこまで薄情に見えるか?」


「薄情だろ」


「お前に対してはそうかもしれないな」


「珍しいことがあるもんだ。リラやレスペルみてえに特定の人間に入れ込むような性質たちじゃねえだろ」


「……普段はたしかに、必要以上の交流には気が進まないほうだよ。でも、たまにはこういうこともあるさ。そもそも現時点では別にあの子たちに入れ込んでいるわけではないだろ」


「千年前も同じこと言ってたろ。あの人間で懲りたから個人的な交流は控えてたんじゃねえのか?」


「誰のせいだとッ……はあ、もういい。ダウナを待とう」


 まったくとんだ厄日だ――ロアはわざとらしくため息をついた。

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