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千年世界録  作者: 氷室冬彦
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5 久しき来訪の友の的中

 前日にロアとセルが予想したとおりに――というより期待したとおりに――その日、ロワリア国際会議場にはダウナ国の化身ダウナ・リーリアとともに、リーズベルグ国の化身リーズ・ベルグが訪れた。たまたま二人が正面玄関を通った際、玄関ロビーにいた礼を見た二人の叫び声を聞いたことで二人の訪問を知ったロアは、まず二人に囲まれてあれこれと質問攻めにあっていた礼を助け出したあとに、二人を二階の特別談話室に通した。


「ドッペルゲンガーみたいだね。ロアさんが二人になったのかと思うくらい似てる」


「どうしてあんなにそっくりなんでしょう。知らない間にクローン技術の研究でもしていたんですか?」


「どっちか片方カルセット説ある?」


「あ、たしかに可能性としてはそれも……」


「ないよ。君たち、いくらなんでも好き勝手に言いすぎだろう」


 ロアが呆れて言うと、ダウナは腕を組みながら短くうなった。


「祖国の化身と髪色や目の色が同じっていうくらいなら普通にあるけど、ここまで容姿が似てるっていうのはほとんど見たことないよ」


 たしかに化身の髪色や目の色、肌の色などは、その国に住まう民の模範的かつ理想的な容姿として定められる傾向にある。化身と同じ髪色や目の色を持って生まれることは愛国心の強い民にとっての憧れであり、たとえばダウナ国の民にとってダウナ・リーリアと同じ青髪に青い目を持って生まれることは、とても名誉なことであるらしい。とはいえ、目であれ髪であれ茶色と青色あたりは世界的に見ても普遍的でありふれている。大して珍しい色でもないので正直ありがたみは薄いのではないかとロアは思うが、人間たちからすればそうでもないのだろうか。


「セレイアから話は聞いていたんじゃないのかい?」


「いやあ、まあそうなんだけど。どうせまた俺たちをからかおうとして話を盛ってるんだとばかり……」


 ダウナはうなじを隠す程度に伸びている襟足を逆なでするようにして頭を掻く。ロアは小さくため息をついてからリーズを見た。穏やかな印象の碧眼に暗めの金髪。背中に届きそうな長さの髪をうしろでひとつに束ねて肩に流している。ワイシャツにネクタイを締めただけのダウナとは違って暗色の軍服をきっちりと着込んだ姿からはまじめな優等生のような印象を受けるが、見た目の印象ほど堅苦しくはない。むしろなにかと世間知らずな面も多く、少し抜けている。


「それにしても久しぶりだね、リーズ。最後に会ってから二年は空いたんじゃないかい?」


「はい、お久しぶりです。たいした用もないのに突然押しかけて、迷惑ではありませんでしたか?」


「迷惑だったらとっくに追い返しているさ、会えてうれしいよ。そんな細かいことは気にしないで、いつでも来たいときに気軽に来てくれていいんだぜ? どうせ私はいつも暇しているんだからね」


「ほら、だから言っただろう? 別に用事がなくたっていつでも来ていいよって、ロアさんならそう言うはずだって」


「そ、そうですね……」


 リーズははにかみ笑いをごまかすように頬を掻く。ダウナもリーズも、外見はもちろん実年齢で比べてもロアよりずっと年上なのだが、なぜか二人ともロアを呼ぶ際には「ロアさん」と敬称をつける。最年長はダウナで、リーズのほうがロアと歳が近いが、それでも千年以上の差をつけてロアが最年少だ。とはいえリーズは誰にでも「さん」付けをするし、ダウナも初対面のころからずっとこの調子で、おそらくただ癖になっているだけで特別な理由などはないだろう。


「ところでロアさん、セレイアのやつが言いふらしてた噂が本当だってのはわかったけど、あの子たちどうするのさ? このあたりは孤児院なんてなかったよね?」


「一応、近隣国の施設でよさそうなところを探してはいるよ。セレイアにも言ったが、そう急ぐことでもないからね。私はあの子たち自身の意思を尊重しようと思う。先のことが決まるまではうちで面倒を見るつもりだ。これからのことはゆっくり考えていけばいいよ」


「まあたしかに、いろいろあって精神的なショックを受けてるだろうから、まずは問題を受け入れて向き合うために落ち着く時間が必要だよね」


「来る前にロワリア国の報道誌を読みましたが、その子たちが親御さんを亡くされた事故や事件について、警備隊とはもう話がついているんですか?」


「警備隊への対応はジオに任せているよ。とくに押しかけてくる様子もないから、うまく話がまとまったんだろう」


国家ロアさんの監察下って状況に加えて守護神ジオくんに対応されたんじゃ、警備隊もなにも言えないだろうね……」



 *



 不思議な色をしている――礼はこの石材造りの建物の中で一日を過ごし、あるときそのことに気が付いた。壁も床も天井も同じ色をしている。それ自体は別段変わったことでもないだろう。国際会議場と呼ばれるこの建築物は不思議な色合いをしているのだ。遠くから見れば青に、近くで見れば灰白色に。


 廊下で壁の前に立ち、うしろにさがったり近付いたりしては首をかしげ、またうしろにさがる。それを繰り返していると、郁夜が声をかけてきた。昨日一日安静にしていたからか、もう熱は下がったらしい。


「礼、なにしてるんだ」


「郁、ここの壁、色が変わるんだよ」


 言われた郁夜が礼と同じように壁から離れ、次に近付く。


「本当だ」


「なんでなんだろうね」


「あんたたち、さっきからなにしてんのよ」


 ちょうどその場に通りかかったリンが変なものを見るような目で問いかけてきた。礼が答える。


「壁が変なんだ」


「変? なにが変なのよ、ただの壁でしょ?」


 リンは右手を軽く握って壁の表面をこつこつ叩く。


「色が変わるんだよ。離れたら青いのに近くだと白いんだ」


「ああ、そういうこと」


「リン、なんでここはこんな色をしてるんだ?」


「知らないわよ、気にしたこともないわ。それにこの建物はもともと私じゃなくてロアのものなんだから。ここのことはロアに聞きなさい」


「ロアは今どこ?」


「応接室か談話室だと思うけど……ああ、二階の大きい部屋のほうね。でも今はお客が来てるから行っちゃダメよ」


「仕事?」


「そ。さっき見たでしょ? ダウナとリーズ――背が高いほうがリーズで、髪が青いほうがダウナよ。昨日来てたセレイアと同じで国の化身なの」


「じゃあジオは?」


「ジオは警備隊とか報道陣への対応してて忙しいのよ。他の大人にあんたたちのことをうまく話して、しばらくここにいても大丈夫なようにしてくれてるの」


「リンはなんにもすることないの?」


「わ、私は……こ、これからロアの手伝いでもするところよ。お客さんが来たならお茶を出したりしないといけないでしょ?」


「いつもなんもしてないの?」


「し、し、してるわよ、失礼ね! と、とにかくロアやジオとはあとで話せるんだから、わかったら子どもは外で遊んできなさい!」


「遊ぶ……じゃあ、公園? なにして? 何時まで?」


「もともとこのあたりに住んでたんだから、遊び場なんていくらでも知ってるでしょ? ほどほどに遊んでほどほどの時間に戻ればいいわ。お小遣い渡しとくから、お腹すいたり喉がかわいたときは適当に飲み食いしなさい」


「……それでいいの?」


「なにがよ? あ、でも今日は早めに帰ってきなさいよ。郁はまだ病み上がりだから無理させないように。もし遊んでて体調が悪くなったらすぐ戻ってくること」


 さあ行った行った――と、追い払われるように背中を押された礼と郁夜は、そのまま戸惑いながら廊下を歩きだす。自分たちとさして変わらぬ背格好のリンが、まるで姉か親のように振る舞っているのは、見ていてなんだか妙な気分だ。


「じ、じゃあ……行ってきます」


「はいはい、行ってらっしゃい」


 リンは軽く手を振って二人を送り出す。礼は隣の郁夜とリンとを交互に見ると、郁夜の腕を掴んで小走りで玄関ロビーのほうへ向かった。それなりに気にかけながらも冷たくあしらうようなリンの対応が、礼にはその場でじっとしていられないほどうれしかったのだ。


 火事で死んだ血のつながらない女性は今のリンとは真逆だった。意地悪だったわけではない。礼のことを心から心配していて、誰よりも責任感を持って礼を育てようとしていた。赤の他人なりに愛してくれていたし、礼の望みを極力叶えようと努力してくれていた。世間的に見て、義母としてはとても誠実で優しい、いい人だった。礼の目から見ても彼女は善人だった。來坂家の本来の母の存在を尊重しながらも、新たな母として、後妻として、新しい家族の一員として礼たちに真摯に向き合おうとしていた。


 父は彼女との交際を礼に伝えると、最初は散歩や食事などの短い時間から、少しずつ慎重に三人ですごす時間を増やしていき、長い時間をかけて礼と彼女の間の信頼関係を構築していった。礼に対して、彼女のことをどう思うか、自分が彼女と交際していることについてどう思っているか、何度もしきりに確認した。彼女が新しい家族として一緒に暮らすことになる未来があるかもしれない。そうなったら礼はどう思うか、もし嫌だと思うなら遠慮せずに言っていいということも、早いうちから繰り返し口にしていた。


 父には幸せになってほしかった。あの女性にも悪印象はなかった。彼女には礼や父に悪いことをしようという意思はなかったし、むしろその逆、三人で幸せになるためにはどうすればいいかを真剣に考えてくれていた。礼が自分のことをどう思うかで将来が決まるのだと身構えながらも、礼に気に入られようと無理に猫をかぶったりはせず、あくまで自然体で礼に接していた。礼も礼で、実の母と同じように愛することはできなくとも、新しい家族として彼女が家にいても不快には思わないだろうと思っていた。実際、年の離れた友達か姉のように接することができていたのだ。いずれ彼女を自分の母として誰かに紹介する日がきたとしても、仲のいい親子として振る舞えるだろうと。


 礼は二人の結婚に賛成した。父を幸せにしてくれると思ったからだ。


 そして再婚後、その父が間もなく死んだ。事故だったと聞いている。


 彼女は責任感の強い人だった。父亡き今、まだ幼い礼を育てられるのは彼女しかいない。父に代わって、自分が礼を立派な大人に育てなければならない。頑強で健康に育てなければならない。大怪我をして身体機能を損なうことがあってはいけない。両親の死を心の傷として残してもいけない。誠実で優しい真人間に育てなければならない。非行に走るような子にしてはいけない。悪い大人に近付けてはいけない。なにか事件や事故に巻き込まれるようなことなど絶対にあってはならない。


 絶対に失敗してはいけない。失敗すれば取り返しがつかない。


 礼の人生という責任が彼女の肩に重くのしかかり、その重圧が日に日にひどくなっていく様子は礼の目にはっきり見てとれた。気にしなくていいと何度も伝えた。そこまで気負わなくていいと。自分は自分でうまくやれると言った。やっていいこと、悪いこと、危ないことの区別くらいはつくと。だが彼女はわかってくれなかった。責任感が彼女をおかしくした。


 父が死んで以降、彼女は過保護になった。礼を心配してのことだとわかっていたので、多少の束縛は我慢できた。だが礼の行動を逐一確認し、やがてはその一挙手一投足に至るまでを把握し管理したがるようになった。いつ、どこで、誰と遊ぶのか。出かける前にそれらを伝えるのはいい。そのくらいの確認はどこの親子もするだろう。そこに不満はなかった。だが、だんだんそれが厳しくなってきたのだ。


 いつ、どこで、どこの誰と、なにをして、何時まで遊ぶのか。事前に伝えた情報と実際の行動に少しでも齟齬が生じると激昂した。遊んでいるところに、何度も様子を見に来るのだ。情報が食い違っている部分があると腕を掴まれて連れ戻され、どういうことかと問い詰められた。遊ぶ場所が途中で変わることもあるだろう。急な予定が入ってその日遊べなくなった子や、たまたまそこにいた知らない子と打ち解けて一緒に遊ぶこともあるだろう。遊びの内容だってそうだ。一日中ずっと鬼ごっこをしているわけではないし、最初はかくれんぼをする予定で出かけても、ボールを持ってきた子がいればボール遊びをするだろう。遊んでいるうちに転んで怪我をすることもあるだろう。そんな当たり前のことすら彼女は許さなかった。


 そういった、遊び方や外出自体の完全把握などは日々の暮らしのほんの一部分でしかない。彼女との生活の中で肩の力を抜けたことなどない。いつも見られている。厳しく管理される。礼が耐えられる許容範囲を超えた窮屈を強いられ、何度も口論になった。何度も訴えたのだ。あなたの気持ちもわかるが、自分の気持ちもわかってほしいと。心配なのは理解しているが、もう少し信じてほしいと。危ないことはしないし、門限は守る。知らない大人について行かない。わかっている。外で遊ぶだけでなく、部屋の掃除や家の手伝いも、勉強もしている。行儀よくしている。いつもそうしている。きちんと従っている。そんなに気を張り詰める必要はないだろうと。そうすると彼女はただ、礼の身になにかあれば天国の父に顔向けできないと泣いた。いつもその言葉で礼を縛りつけた。


 お互いに思うようにならない日々が続き、あるとき礼は言った。なぜ母親でもない他人のあなたにそこまで管理されなければならないのだと。彼女は父の存在を引き合いに出して礼を縛る。父を理由にされると礼がなにも言えなくなるからだ。だがそれがいつまでも通用するわけではない。彼女がそうやって礼を黙らせるたびに、礼は何度も強く感じていたのだ。他人のくせに、と。いつも喉の奥で止めていたその言葉が、とうとう我慢できなくなった。


 その日、彼女ははじめて礼に手をあげた。はじめに頬を、次に頭を。十五回は叩かれた。最後の数発は平手ではなく拳だった。金切り声で怒鳴り散らし、しばらく感情的に取り乱していた彼女は、やがて我に返ると泣きながら謝った。礼はもう、彼女に対する一抹の情すら失っていた。


 その日以降、彼女は礼と意見がぶつかって精神が不安定になると手をあげることが増えていった。痣になるほど強く叩かれたわけではないが、それは加減しているからではなく単純に筋力が弱かっただけだ。彼女は彼女が出せる力いっぱいの全力で礼を殴っていたのだ。口論になり、思いどおりにならなければ礼を殴り、少し経てば泣いてすがってくる。


 そのうち礼は彼女と口をきくのも面倒になっていき、説得することをあきらめた。なにを言っても無駄だ。彼女は礼を信じる気はないし、礼の気持ちを理解する気もない。いくら話しても聞こうとしない。礼は彼女に従わなくなり、口を利かなくなった。彼女が礼と向き合わないなら、礼もまた彼女と向き合う必要はない。礼が彼女になにも言わなくなると、彼女ははじめこそ礼が自分の気持ちを理解して従順になったと思ったが、すぐにそうではないことに気付き、途端に礼の機嫌をとろうと必死になった。礼に嫌われるのが怖かったのだ。むちゃくちゃな人だった。


 頑強で健康な真人間に、心身ともに無傷であるようにと願いながら暴力を振るい、精神がおかしくなりそうなほどの徹底管理をおこなう。窮屈で厳しい束縛生活を強要しながら、嫌われたくはないと異様に甘い態度を取る。嫌われるのが怖いからと甘い態度を取るくせに、やはり束縛はゆるめない。自分が正しいと強く信じ、礼のことを愛していると言いながら、礼をまったく信じていない。礼を見ていない。礼の言葉を聞いていない。


 同じ言葉を話す同じ人間同士であるのに、まるで話が通じない。気味が悪かった。家にいたくなかった。居心地が悪い。気の休まる時間がない。彼女がいる限り礼に自由はない。帰る場所などなくなってしまえばいいと思った。だから、家が焼け落ちて人の住めない状態になり、その中から彼女が焼死体で発見されたことを聞いても、まるで心が痛まなかった。むしろ肩の荷が下りたような気分だった。ようやく解放された。これでやっと自由になれるのだとさえ思った。あの家であの人と暮らし続けるくらいなら、知らない土地の孤児院で暮らすほうが何倍もいい。


 そんな礼には、リンやロアの寛容で大雑把な対応が新鮮で、なんとも心地よかった。別の環境で育った郁夜には共感できないだろうし、いきなりこんな話をしても困らせてしまうだろう。きっと大人になっても彼と一緒にいて、今よりずっと親しくなれていたなら、もしかしたらそのときにはこの日の気持ちを話しているかもしれないが。目下のところ、これは礼が一人で噛みしめるべき喜びなのだ。


 礼は郁夜の腕を掴んだ手に力を込めると、そのまま二人で外へと駆けだしていった。

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