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千年世界録  作者: 氷室冬彦
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4 夜の街の秘密の外出

 ロワリアの夜は場所によって明暗の差が激しい。大通りのほうは街灯に明かりが灯っているため比較的明るいのだが、そこから少し道を逸れると光は極端に減り、夜は途端にその闇の深さを主張しはじめる。今夜は曇りだ。月も星もない空は墨を撒いたように黒かった。


 数歩先も見えないような真っ暗闇に、ロアが怖気づくことはない。この町はロアにとって庭のようなもの。朝と夜とでずいぶん印象が変わって見えるが、道が変わるわけではない。同じ町、同じ道、違うのは明るさだけ。それはごく当たり前の事実であり、ロアの不安や恐怖心を煽るには、住み慣れた町から明かりを奪うだけでは不足だ。


 ロアがこうして出かけることは珍しいことではない。夜間の外出があることについてはジオやリンも知っているが、同行させたことはないし、行き先についても詳細ははぐらかしたままだ。個人的な外出の中でも、唯一これについては干渉してほしくないのだと伝えてあるので、二人も無理な詮索はしてこない。


 わざわざ夜に出かけるのもひと目を避けるためだ。無関係の人間が立ち入ったところでおもしろいものはなく、ただ気味が悪いばかりであろうから、あえて人払いをする必要はないのだが、それでもその場所のことは極力誰にも知られたくはないというのが本音だ。


 この国でもっとも厳重に隔離された場所。会議場から南西に向かって歩き、位置としてはラウの南部にあたるか。村の外れにある並木道を横に逸れて突き進み、木立のさらに奥へ奥へ。やがて高い鉄柵が現れ、大きな南京錠のついた扉がひとつ。扉をくぐった先にあるのはただの緑の丘だ。ゆるやかな登り勾配をまっすぐ歩き続けると切り立った崖があり、そこから海を一望できる。


 そして、そこにぽつりとひとつだけ、ロアの腰ほどの高さの石碑がある。刻まれた文字はすり減って読めなくなり、当初は正確無比な長方形であった形状も、雨風で削られたことで角が取れてすっかり丸くなっている。大きさもだ。最初はもう少し大きかったはず。今では不格好な丸い岩が地面から生えているような、ただそれだけのものだ。


 この場所はいつも強い風が吹いている。夜風に踊る毛先が頬を撫でる中、ロアは石碑の前で立ち止まった。この国でもっとも空に近い場所。


「やあ、久しぶり。……いや、半月前に来たばかりだったか」


 そう語り掛ける声に答える者はいない。ここにはロア以外に誰もいない。そもそもロアが声をかけた相手は生き物ではない。目の前に佇むこの岩は、ただの墓石である。


 花を手向けることはない。風に飛ばされてしまうからだ。ロア自身、花はそれほど好きではないし、「彼」もまたそうだ。供えたところで喜びはしない。そもそもとうに死んだ者に弔いを喜ぶ心など残ってはいない。


 墓石に手を触れる。ひんやりとした無機質な感触。すべすべとした手触りがロアの手によくなじむ。


「昨夜、子どもを二人保護したんだ。礼と郁夜だ。二人とも両親を亡くして、帰る場所がないらしい。郁夜はおとなしい子で、礼はなんだかなにを考えているのかよくわからない子だ。なんとなく君に似ていると思ったんだ」


 ロアはしばらく目の前の墓石を眺めていたが、そのうちその場に腰を下ろした。


「似ているというのは容姿ではなく、こう……雰囲気がね。君もいまいち読めない子だった。私がまだ若かったからというのもあるかもしれないが……」


 足を崩してうしろに手をつく。


「容姿はどちらかというと私に似ているな。いや、そんな曖昧なものじゃなかった。すごく似ていると思う。びっくりしたよ。なんとも気の抜けたような表情をしているが、まあ私も大概そんなものだろう。リンなんて二度見どころか四度見くらいしていた」


 ふふ――と、ロアは小さく笑い声をもらす。


「ジオが興味を持っていたんだ、珍しくね。しばらくは会議場うちで様子を見ようと思う。彼ら自身もいろいろ考えないといけないことが多いだろうし、時間が必要だ。それに私も彼らに興味がある。今ここに君がいたら――なんて言うかな。イタズラ好きな君のことだから、きっと隠し子だとかなんとか言って茶化しただろうな。そして私はまた君を叱るんだろう。あのころみたいに」


 この墓石の下に眠る人間が、ロアとともにこの世に生きていたのは、ロアが生きてきた千年という長い時間の中のほんの一部。ロアよりも遅く生まれ、半世紀も生きずに死んだ青年だ。千年のうちのほんの十数年。彼の存在はロアにとって何者にも代えがたい、とても大切なものとなったのだ。


 人間。そう、ただの人間。どれだけ努力しようとも、たった百年程度しか生きられない短命の種族。浅はかで欲深く、なんとも愛おしい種族。異様に数が多くて、飢餓や災害などで何度危機に瀕しても絶えない、いじらしい生き物。数えきれないほど存在している人間たちの中の一個体。わが民草。愛おしい人間たちの中で、もっとも心を砕いた一個人。わが盟友。生涯の友。


「君の墓石もずいぶん小さくなったな。私の魔力でできる限り形を維持してきたけど……うーん、新しいものを用意するのもなあ。君は物持ちがよくて私物を大事にするタイプ……というか貧乏性だったし、新調するならこれが地面すれすれまで擦り切れてからにしないと夢に化けて出そうだ。あと千年経ったころにまた考えようか」


 ロアがロア・ヴェスヘリーとしての日々を送るにあたって、なにかしら印象的な出来事があった日には必ずここに来る。もちろんなにもなかった日でも来るのだが、たとえばリンと出会った日や、リンがロアの妹分としてともに暮らすことを決めた日も。ジオと初めて会った日も。ジオが風神ベルヴラッドの名を継ぎ、守護神の現身となった日にも。その彼がロアに忠誠を誓った日も――ロアはここに来ては、彼にすべて打ち明けてきた。


 はらわたが煮えくり返るほどの怒りを吐露した日も、思わずその場で飛び跳ねたくなるほど心躍る出来事があった日も、叫びたしたくなるほど悲しいことや悔しいことがあった日も。ことある事にこの墓石に語り掛けた。無論のこと、目の前の冷たい無機物以外にそれを聞く者はない。ただの自己満足で、ただのひとりごとだ。


「なんとなくなんだけど、彼らをこのまま施設なんかに預けてはいけない気がするんだよ。もちろん施設は探すし、最終的にどこに行きたいかを決めるのは彼らだ。それ以外になにか考えがあるのかと言われると、現時点では別になにもない。我ながら無責任なことこの上ないが、君も言っていただろう? 直感やひらめきは大切にしろ――と」


 來坂礼と、雷坂郁夜。二人にはなんらかの可能性のようなものを感じるのだ。それはロアの主観的な意見であり、勝手にそんな気がすると思っているだけで、なにか根拠があるわけではない。だがロアが二人をもうしばらく保護することに決めたのは、そのなんの根拠もない予感が大部分を占めている。


「なあ、でも、なんだかおもしろいことになりそうな気がしないか? 友よ」


 君はどう思う? ――静かに、優しくささやくように問う。葉擦れの音だけが遠くで鳴っている。ふ、と自虐的な笑みをこぼすとロアは立ち上がった。


「さて、いい加減に夜は冷える。私はそろそろ帰るとしよう。また来るよ」

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